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このサイトでは、「自然と防災のための街づくり」をコンセプトとし、都市計画における「人間と自然との共存と調和」と「地域の防災力の向上」を両立するための具体的な方法やアプローチを紹介しています。
地域の合意形成の重要性と実現プロセスに注目した内容や、持続可能な土地利用を実現するための組織的な活動は、実際にお仕事として関わっている方や、街づくりに関心を持つ地域の皆さまにとってご参考なればと思います。
また、その後に、世界の自然を守るためには、先進国が率先して自国の自然を増やしていく必要性や、学校教育のあり方として、成年の学生と未成年生徒の親権者が学校の統治に参加する必要性を説明しています。

自然と防災のための街づくり(1)

第1 はじめにー人間の土地利用上生ずる問題
第2 街づくりの歴史
第3 市街化調整区域における市街化の抑制
第4 防災と緑地の保全の観点から、市街化区域についてどうするのか

マリーアントワネット 田舎

第1 はじめに−人間の土地利用における課題

土地所有権は、人間が土地を利用するときに、最も適切に利用するためのシステムとして生み出され、活用されているが、人が居住する空間としての街づくりから見たとき、土地所有権に基づく土地利用には二つの問題がある。
 第一には、人が居住する空間としての街づくりのための土地利用は、森林を伐り開いた上に行う。したがって、自然という人間以外の生命体の行っている活動、それによって成立する生態系を排除して成り立つことから、人間の土地利用と森林で形成される生物の土地利用は、互いを排除し合う関係にあるという問題がある。
 この問題の解決の方向は、人間と生物の土地利用の適切な均衡を求めていくための調整が必要である。人間が、物理的な力で圧倒する他の生物との間において、それら生物との間での適切な土地利用のあり方を求めるとき、人間の土地利用を、生物の土地利用に対して上位に置いて、人間の土地利用が生物から自由なものであるとするべきではない。
 人間が人間の活動のためにどうしても必要とするものではなく、人間が有意義に利用している程度が低い土地については、人間の土地利用が生物から自由なものであるとしてはならない。
 それらの土地については、自然という人間以外の生命体の行っている活動、それによって成立する生態系のために、人間の利用の対象から自然に還すことが必要である。
 第二には、人が居住する空間としての街づくりのための土地利用において、個々人が所有権の権利の内容たる土地の利用、収益、処分を追求する結果、全体の土地利用としては、不適合を起こすという問題がある
 都市においては人の活動を、各人がしたいままの行動をすることを放置すると、各人が家を建て込んで、都市がスラム化する。都市がスラム化することによって、個々の生活のための土地建物の利用が互いの土地建物の利用を妨害し、互いの生活を不快、不衛生、病気の蔓延、更には火事、水害などのリスクに脆弱な住居を作るという各人の生活に危険をもたらすものとなる。
 「都市においては人の活動をそのまま放置すると、人が家を建て込んだ結果として、都市がスラム化する」ことは、世界各地の普遍的な現象である。
 日本の土地利用においては、江戸期まで交通手段は主に徒歩、補足的に馬によって行われていたのが、明治以降、自動車等機械による交通手段が短期間でもたらされ、不十分な道路付けの上に急速な都市への人口集中が生じ、狭く不十分な家屋が建て込まれた結果として、狭くて密集した街並みが形成されてしまう状況が普遍的に生じた。
 その結果、道路網と住宅の建設が計画的に行われるという都市整備ができないままに家が建て込まれ、今日の日本の街が密集住宅街として形成されてしまっていることの原因となっている。

本稿は、以上のような、自然保護と防災という観点から見て、街並みに不可避的に欠陥を生じさせている、土地所有権制度に基づく土地利用の持つ普遍的な問題に対して、地域住民が組合という集団としての行為によって、自然保護と防災という問題を解決するための方法を検討するものである。

第2 街づくりの歴史

 街づくりをする、あるいは都市をつくるというのは、人間にとって歴史的な経験であり、過去の街の上に、新しい街が作られてきており、どのような街づくりが適切なのかということは、論理的な思考によってのみ結論づけられるものではない。
 どのような街づくりがいいかという検討のためには、人間が過去に行ってきた街づくりを踏まえて検討を行うことが必要である。
 街づくりについての歴史的事実の評価を行うことは本稿の目的ではないが、以下において、今後における街づくりの検討に必要な範囲で、街づくりないしは都市づくりの歴史を見てみる。

1 欧米における都市づくりの歴史
(1)「都市において人の活動をそのまま放置すると、家を建て込んで、都市がスラム化する」ことは、世界的に普遍的な現象である。
 欧米においては、都市において人が家を建て込んで、都市をスラム化することに対して、「公益の立場から都市の中に緑地を人為的に作出し、これを維持すること」を、都市づくりの最大の目的にしてきた。
 欧米の都市においては、広場のような形態をとるものや大規模な公園の形態をとる緑地を作り出して、緑地を維持してきている。
 イタリア、フランス、イギリスをはじめとしてヨーロッパの支配階層の価値基準において、美しい自然を見ることができる環境で生活することに、大きな価値を見出してきた。
 今日の都市の中の緑を保全する都市公園の原型は、イギリスの自然風景風の大規模公園がその源流と言われる。[1]
 荒涼とした自然を持つイギリスでは、豊かな自然への憧れと、自国の自然に対する愛着から、自然風景のような大規模な公園を作り、そのような風景の中に身を置く生活スタイルに価値を見出した。
 ロンドンにおいては、王の住む宮殿から連続した狩猟地として取得された土地が、ハイドパークなどとして市民に開放されたが、19世紀に入ってからも、都心のセントジェームズ・パークと道路で連絡するイギリス自然風景式庭園(リージェントパーク)を整備し、宮殿を建設するとともに公園を取り囲む邸宅地を建設し、それぞれの建築から広大な公園を見渡すことができるように配置するという市街地開発が行われた。[2]

並木道

 都市においても、大規模公園は、ロンドンの都会の空気の浄化を果たすものとして、「都市の肺」ともいうべき存在として、設けられた。
 ヨーロッパで成立した都市公園を受け継いだアメリカにおいては、ヨーロッパの都市で実現される都市公園を取り込んで、自然と都市空間を一体化し全体を一つのシステムとみて快適な都市を形成するものとして、パークシステムが19世紀後半に生み出された。

(2)パリにおける都市改造
 ヨーロッパで成立した都市づくりの代表例として、パリについて見てみる。
 パリは大火に見舞われることもなく、抜本的な都市改造は行われておらず、城壁に囲まれた市街地内は、曲がりくねった細街路が走り、通気、採光、汚水処理が不十分で、悪臭を放つ状況にあった。
 城壁に囲まれている都市域において、17世紀において、マドレーヌ広場からバスチーユ広場にかけて城壁が取り壊され、並木を有する馬車道として整備され、大邸宅、カフェー、レストラン、劇場が立ち並ぶ繁華街となるなどしたが、その後もパリでは都市改造が行われ続けた。
 1853年から1870年にかけて、ナポレオン3世が、イギリスのロンドン中心部の整然とした街並みを参考にして、セーヌ県知事オスマンに街並みの改造を命じ、オスマンによって芸術性を併せ持つ都市改造が行われた。
 並木大通り(ブールヴァール)、公園、斜路、上・下水道、広場等の都市基盤の整備が行われた。市街地は、沿道の建物の壁面の線を定め、建物の高さを一定にした。市内の22か所以上に公園(square)を整備し、公園を相互に結ぶ街路等が整備された。
 大規模公園として、パリの西側にブーローニュの森が作られ、既存林は約半分になり、大小の池が掘られ、約40万本の喬木、灌木が植えられ、曲線の園路が配され、動物園、スケート場などが設けられた。パリの東側にはヴァンセンヌの森が同様に整備され、これらの森は市街地とブールヴァールで結ばれた。
 ブーローニュの森と市街地を結ぶブールヴァールは、中央の馬車道をはさみ、両側に植樹帯と住民のための歩道を有し、沿道の建物は、街路境界より10メートルのセットバックが義務付けられた。
 このような都市改造を支えた仕組みが超過収用の制度であり、街路整備に必要な敷地の境界を越えて、道両側の用地も強制買収により取得し、壁面が道路幅より後退するよう規制をかけて開発業者に売却し、街路整備に伴う地価の上昇による開発利益を吸収した。土地の収用補償額は裁判所が定め、用地取得費用や建設資金のための借入金は、開発利益の吸収による歳入により返済された。
 オスマンのパリ改造は、土地所有者の反対の高まりと、普仏戦争のフランスの敗北による共和制への移行という激動の中で、未完成のまま終わっている。
 しかしながら、パリは、19世紀においては世界の首都と賛美され、パリの街を模倣しようという動きを生じた。
 今日でも、パリは、木漏れ陽を浴びる彫像と咲き乱れる花々の間を散策し、高く揺れるマロニエの街路樹から落ち葉が街路に舞い散るのを眺めるだけで、人に忘れがたい感銘を与える魅力を持っている。

(3)アメリカにおけるパークシステム
 18世紀までのアメリカの都市は、植民地時代のフィアデルフィア計画にみられるような格子状に交差する街路に方形の広場を組み合わせた格子状に作られた都市であった。その後、ヨーロッパの都市で実現されていた都市公園を取り込み、自然と都市空間を一体化したパークシステムを、新しい都市づくりとして、19世紀後半に実現させた。
 水系を軸としたボストンの都市整備を始めとして、アメリカの諸都市は、マスタープランに基づいて隣接する地域の市街地整備と連動させて、湿地帯、遊水池、山林、海浜等を都市の中に包摂して、都市と田園を一体化したパークシステムとして都市基盤の整備を行った。
 ミネアポリスを例として取り上げると、1883年の「ミネアポリス市の公園とパークウェイのシステムの提言」は、次の5つを骨格としている。[3]

第一に、都市の品格を創り出すための街路(ブールヴァール)を整備する。
第二に、街路が植樹帯を持って、有幅員60−90メートルとすることにより、街路に、火勢を弱め、消火の可能性を生じさせる防火帯としての役割を果たさせる。
第三に、河岸の緑地を保全し、河川沿いの地域を公園化する。
第四に、湖沼地帯を公園緑地として保全する。
第五に、都市における公園緑地により、大気の浄化と夏季における熱を緩和し、伝染病の予防という公衆衛生上の役割を果たさせる。

フォンテーヌ公園

ミネアポリスのパークシステム(都市市街地において公園を個別的に配置するのではなく、お互いを関連づけ全体としてオープンスペースのネットワークを形成する)の整備は、公園はぜいたくであり経済活動に貢献しないため無用であるという考えに対し、都市と田園を一体化したパークシステムは周辺地域への良好な市街地開発を進展させる、市街地の資産価値を増大させる、税収を増加させる等の経済への波及効果を現実に生じさせることによって、アメリカの各都市の都市計画に影響を与えた。パークシステムを整備することの都市間の活発な競争が生じ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨークで行われた。
 市民が共有できる仕組みが作られた。
 第二期(1920年代以降)は、都市を複数のゾーンに区分し建築の規模と用途を規制することにより土地利用をコントロールするゾーニング規制が取られるようになった。
 第三期(1925以降)は、複数の都市間の問題を、行政区分を超えて広域的に調整を図りながら計画していく地域計画(6070haの公園と40qのパークウェイが、38の自治体の協力と財源分担によるボストン広域圏、ロサンゼルス・カウンティ、ニューヨーク広域圏等)が一般化した。[4]

3 日本の明治以降の街づくりの歴史
 欧米の都市づくりの考え方は、日本の行政にも大きく影響を与え、明治以降、これを範にした首都東京都心部の形成が行われた。
 1888年に東京市区改正条例が公布されたが、条例は「首都ノ宏壮ヲ図リ、商業ノ旺盛ヲ永遠ニ企図スルタメ」に、パリの都市改造をモデルとし、軍事、警察の為、都市の美観と街路整備に重点を置いた街づくりを行うことを旨とするものだった。
 しかし、日清、日露戦争による財政難に加え、地価高騰と、郊外のスプロール(都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がっていくこと)を抑止できなかったが、今日でも残されている都市整備として、@東京駅計画に合わせて計画された丸の内センター街、A幅36メートル以上を基準とした皇居周辺の幹線街路網、B日比谷から霞ヶ関にかけての官庁街がある。
 しかし、日本の近代化の中で、都市への人口集中が進み、都市計画がされないまま、市街地が無秩序、無計画に拡がっていった。
 明治、大正、昭和にかけて、都市の発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がっていくことが非常な勢いで拡大し、住宅問題や保健衛生問題、とりわけ結核とスラムの形成が社会問題となった。
 第一次世界大戦後の資本主義の興隆と人口の都市集中が著しく、住宅問題や保健衛生問題が社会問題として顕在化する状況下で、1919年(大正8年)には都市計画法が公布された。同法は、@地域制の確立(ゾーニング)による土地の用途の確定 A市区改正に伴う土地区画整理及び不良住宅地の改造による既成市街地の整理 B新たに市街地になろうとする土地の発展を統制し、健全で秩序ある都市の形成を促すことを目的とした。
 しかし、都市のスプロール化は止まることなく、この頃東京では千住から浅草まで市街地が連なってしまったように、市街地は無制限に拡大した。
 無秩序に家が建て込む市街地が形成された状況で、1923年に関東大震災が起き、家の倒壊と大規模な火災が発生し、多数の死者と被災者を生じる原因となった。東京周辺の復興のため、帝都復興院総裁後藤新平が招聘したチャールズ・ビアードは「良き火災防護は、広幅員街路および公園地の設定により提供されるべきこと」「住宅地域については、過大なる街路をつくるよりも、多数の小公園および安全地を設けることが一層重要である」と提言した。
 帝都復興計画原案は、公園と広幅員街路を基盤に据え、緑地とオープンスペースにより分節された安全な都市づくりをつくり出すというパークシステムに考え方に基づいたものであったが、財政上の理由から原案は大幅に縮小されたものの、帝都復興事業は焼失区域の約9割に相当する3119ヘクタールの区域で区画整理が実施された。
 このように形成された戦前の都市は、第二次世界大戦の空襲により、その多くが灰燼に帰した。
 1945年12月30日に閣議決定された「戦災地復興基本方針」は、「過大都市の抑制」と「地方中小都市の振興」を二つの柱に掲げ、復興において、広幅員街路と緑地を基盤整備の柱とする考え方をとった。
 第二次世界大戦後においては、兵隊の復員や失業者が都市に流入し、人口の都市集中がますます進行した。
 昭和30年代からの経済の高度成長の過程で、人口、産業の激しい都市集中が起き、これにより著しく都市が拡大した。人口の都市集中に対し、人の収容を行う都市の施設整備が追い付かず、大都市の周辺部では、「バラ建ち」という単発的開発が先行した。それが累積して農地や山林などを蚕食的に宅地化するとの無秩序なスプロールが蔓延した。この住宅の拡散現象は、道路や排水施設もなく、宅地と言えないところに、不良市街地を作り出した。工場と住宅がゴチャゴチャに混在して公害の発生や悪環境を作り出した。都市施設整備の手戻りや、追随的で効率の悪い公共投資を余儀なくさせた。[5]
 一方、都市の内部では高層ビルによる空に向かっての垂直的拡大が起こり、鉛筆ビルと言われるような、狭い敷地に何階も積み重ねたビルが建てられ、将来の再開発を必至とする無計画なビルの乱立状態となった。
 都市の周辺部で、農地、山林の所有者から個別に土地を買った個人や企業が、畑や山林の中にまちまちに住宅や工場等を建築するため、宅地として最低限の要件たる道路や排水施設等さえも備えていない狭小で不整形な「宅地」が無秩序に連担し、劣悪な環境を形成した。 フォンテーヌ公園
 無秩序な「バラ建ち」が一般となったのは、都市の郊外に集中する市民の経済のストックの乏しさ、農村からの移住者が都市的な共同体意識や都市的な居住環境への意識を持たず、基礎的な施設すら備えない宅地に加工する素材にすぎないはずの土地が「宅地」として売買され、このような土地に電気、ガス、水道等の公益的サービスの供給が義務付けられる制度となっていることが、弊害の発生を助長することの要因となったものである。[6]
 その後、昭和44年に、現行の都市計画法が制定され、現在の都市づくりの基本的方向付けとして、市街化区域と市街化調整区域の線引きをして、市街化区域とその外側の市街化を抑制する地域に土地利用を二分割にし、市街化区域について、土地利用の用途別に土地利用規制を行うゾーニング規制が行われることとなった。

第3 市街化調整区域における市街化の抑制

1 都市における緑地の形成の意義
(1)アムステルダム国際都市計画会議
 1924年、欧米で都市計画を主導してきた専門家が集まったアムステルダム国際都市計画会議において、欧米で成立した都市計画において共有される理念として、次の7か条が採択された。
 第1条 大都市の無限の膨張は、決して望ましいものではない。過大都市の現状は、今後の都市計画に大きな警鐘を促している。
 第2条 衛星都市をつくり、人口の分散をはかること
 第3条 既成市街地のまわりに、農業、園芸、牧場等よりなるグリーン・ベルトを導入し、家屋が無限に連続するのを防ぐこと
 第4条 自動車交通の急速な発達に伴い将来の交通問題に対して格別の注意を払うこと
 第5条 大都市の将来の発展のためには地域計画を準備することが不可欠であり、しかもこの計画は単純な都市拡張計画であってはならない
 第6条 都市の地域計画は、状況の変化に対し、弾力性を有すべきこと<
 第7条 計画の有効性を保障するため都市計画権限の付与が必要であること
 アムステルダム国際都市計画会議が採択した7か条は、大都市の無限の膨張は阻止しなければならず、大都市でも、美しい自然が見れる環境で生活することを実現しなければならず、そのためには、大都市の規制市街地のまわりにグリーンベルトを作り、家屋が無限に連続するのを防ぐことを提唱するものである。

(2)グレーター・ロンドン・プラン
 アムステルダム国際都市計画会議で提唱されたグリーンベルトの考え方に基づき、1927年、イギリスの保健大臣が招集した委員会は、「ロンドンの無秩序な外縁拡大の遮断地を確保するため、幅員3〜4キロメートルのオープンスペース(緑の環状帯)の帯を保全し、その外側に田園都市建設を行う」ことを提案した。
 1938年グリーンベルト法が成立し、1万4175haの緑地が買収された。
 グレーター・ロンドン・プランは、ロンドンの人口分散と工業の再配置を目的とし、
第一の環状帯―工場を移転し、人口を減少させる地域
第二の環状帯―新たな人口と工場の増加をさせない静的な地域
第三の環状帯―市街地の連担を防ぐため、規制市街地の外延部から約16q幅で広がる緑地帯(グリーンベルト法の緑地を包含する広範な農地、公園、森林等で構成)
第四の環状帯―田園に集落や都市が点在するが、その特性を保ちつつ、人口の受け皿となるニュータウンの建設
 グレーター・ロンドン・プランが実施された後、都心への業務機能の集積に伴う人口流入の増加、工業の衰退に伴うインナーシティの空洞化と治安の悪化、グリーンベルトの減少と後退するなどの批判がなされたが、ロンドンのグリーンベルトの外側には、8つのニュータウンが建設され、イギリスのその他の各都市にもグリーンベルトが設定されており、グリーンベルトは今日なお健在である。
 グレーター・ロンドン・プランは、アムステルダム国際都市計画会議が採択した7か条の考え方を受けて、既成市街地の外側にグリーンベルトを作り、大都市の無限の膨張を阻止して、大都市と自然がある環境を両立させるものである。

フォンテーヌ公園

2 日本の土地利用における緑の保全
(1)関東大震災以後の緑地の保全
 関東大震災により、東京が灰燼に帰した後、都心中心部に区画整理が実行されたが、アムステルダム国際都市計画会議で提唱されたグリーンベルトの考え方が日本にも伝えられた。
 1932年には、東京外縁部に11―2キロメートルの幅員で環状に緑地帯を形成し、市民の保健、休養、慰安、体育等の方面における施設として必要な公園その他の緑地を整備することを内容とする「東京緑地計画」が作られ、内務大臣に報告された。
 「東京緑地計画」が計画の対象とした緑地地域は、武蔵野特有の景趣を有し、山林、原野、水辺、農耕地、集落等から成る地域であった。
 日本が日中戦争、大東亜戦争に突入する中で、東京外縁部(現在の東京23区の外縁部)に環状に緑地帯を形成する構想は、敵国の空からの攻撃に対して都市を守る手段としての防空空地帯の整備を行うものとして実現されることとなり、緑地帯内の砧、神代、小金井など七か所の緑地825ヘクタールが買収され、緑地は、防空対策(空襲時の避難、飛行機の発着、高射砲の設置等)上の防空緑地と位置付けられた。
 このように、武蔵野の自然を守る「東京緑地計画」は、戦時中に実現したものであったが、それによって守られるべき東京の街も、第二次世界大戦の空襲により、その多くが灰燼に帰することとなった。

(2)第二次世界大戦後の緑地の保全
 第二次世界大戦後においても、イギリスのグレーターロンドンの構想は、日本の都市計画に影響を与え続けた。
 1946年戦災復興のための「特別都市計画法」が公布され、「緑地地域指定標準」として、@緑地地域の配置は市街地の外周部及び内部に環状または放射状にとり、公園緑地計画とあわせて系統的に行う、A緑地地域の幅員は、家屋の連坦を防止するためには、0.5キロメートル以上、市街地の膨張を抑制するためには、1キロメートル以上とされた。
 東京区部面積の32%(1万8010ha)に当たる土地が当初、緑地地域に指定されたが、緑地地域のゾーニング規制は、住宅の建蔽率を1割とする厳しい制限を課すものであった。[7]
 東京区部の外縁に位置するエリアが、緑地地域に指定されたが、防空空地帯に指定された地区がほぼそのまま指定されたものであり、武蔵野の面影を強く残す田園地帯であった。
 1956年首都圏整備法に基づく首都圏計画が、「既成市街地」(東京区部、三鷹、武蔵野、横浜、川崎、川口など都心から16〜20qの範囲内の地区)の外側の周囲を、幅5〜10qをもって、「近郊整備地帯」として、既成市街地の無秩序な膨張を抑制する目的を持った緑地帯として位置づけた。そして、「近郊整備地帯」の外側の「周辺地域」に、人口や産業の集中する区域を、「市街地開発区域」に指定して都市整備を行い、「市街地開発区域」で人口と産業を受け止めることを計画した。
 しかし戦後復興とその後の経済成長の中で、土地所有者の開発志向は強く、住宅地としての基盤が整備されることのないまま小住宅の密集地が出現した。
 建蔽率を1割とする緑地地域の規制と現実との乖離は甚だしく、緑地地域の指定を解除することへの要望が烈しくなり、緑地地域の指定は逐次解除され、東京区部の全面的な市街化が進行し、1969年に緑地地域の指定はすべて廃止された。
 1969年(昭和44年)に全面改正された新都市計画法において、緑地地域はなくなり、市街化調整区域(市街化を抑制すべき地域)制度が生まれた。しかしそのときは既に東京区部は市街化され尽くされ、市街化調整区域に線引きされることはなく、東京区部全域が市街化区域とされた。
 新都市計画法は、無秩序な市街化を予防し、計画的な市街化を図ることを目的とし、すでに市街地を形成している区域及びおおむね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域を「市街化区域」とし、市街化を抑制すべき区域を「市街化調整区域」とした。都道府県が、都市計画法の対象区域を「市街化区域」と「市街化調整区域」に区分できることとされた。
 特別都市計画法の緑地地域は、武蔵野のような緑地を対象とするものであったが、その緑地が市街化された後に成立した新たな都市計画法の市街化調整区域は、主に農地を対象とするものである。
 戦後における食糧増産の必要性とその後の高度成長期における急激に増大した宅地需要等の都市的土地利用に応える必要性の中で、日本の平地が、狭い限られた平野の中にあり、その中で、都市的土地利用と農業的土地利用を両立させなければならないという現状の中で、都市計画法は、都市的土地利用と農業的土地利用を、市街化区域と市街化調整区域に区分して、農業的土地利用に利用されている地域については市街化調整区域に線引きし、都市的土地利用に供すべき土地については市街化区域に線引きすることとした。そして都市計画法は、主に市街化区域の土地利用のあり方を規定し、市街化調整区域については、市街化を抑制すべき地域として開発行為を規制することとしている。
 市街化区域内の、都市にとっての緑についての都市計画法の扱いは、都市施設としての都市公園などに限定して対象とする。
 今日、農業的土地利用に依存した市街化調整区域の、緑地を保全する地域としての存在意義は、大都市の無限の膨張を阻止し、大都市においても、美しい自然が見られる環境で生活することを実現する役割を担うものとされている。

フォンテーヌ公園

3 市街化調整区域における防災と緑の保全上の問題
(1)市街化調整区域の意味
 大正8年に制定された旧都市計画法は、法の適用対象となる「都市計画区域」を、「市と主務大臣が指定した町村の区域」をしていたが、このような区域設定は、清掃法のような当時の内務省の法律において、都市特有の行政対応を行うべき地域として設定されていた。
 昭和44年に制定された新都市計画法は、「都市計画区域」を、都市として総合的に整備、開発、保全すべき地域として都道府県が指定することとしたが、従来の都市計画区域である「市と指定された町村の区域」を踏襲するものだった。
 都市計画法7条は、都市計画区域について「無秩序な市街化を予防し、計画的な市街化を図るため必要があるとき」は、市街化区域と市街化調整区域に区分することができることとし、「市街化区域」とは「すでに市街地を形成している区域及びおおむね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域」であり(同条2項)、「市街化調整区域」とは「市街化を抑制すべき区域」(同条3項)とされている。
 市街化調整区域の土地の現況についての国の統計は存在しないが、埼玉県は独自に集計しており、埼玉県の市街化調整区域の面積は、平成7年に11万2990haであるが、そのうち農地が7万9101ha、山林が1万7698ha、水面が6093ha、その他自然地が1万0098haとなっている。
 その他の都道府県の市街化調整区域でも、農地や森林等の自然環境が保全されている。
 都市計画法が、「農地」を都市計画地域の市街化調整区域として取り込んだことの対抗として、同法制定と同じ昭和44年に農業振興地域の整備に関する法律が制定され、農地について、都市計画区域の指定とは別に、農業振興の視点から、将来も農業のための土地としての指定がなされている。
 昭和55年9月16日付建設省都市計画局長通達「市街化区域及び市街化調整区域に関する都市計画の見直しの方針について」は、市街化区域に含めるべきでない土地として、@市街化の動向等を勘案して市街化することが不適当な土地の区域、A水害の災害の発生のおそれのある土地、B農用地として保存すべき土地、C自然風景の維持、都市環境の保持、水源涵養、土砂流出防備等のため保全すべき土地を挙げている。

(2)市街化調整区域とグレーター・ロンドン・プランとの違い
 グレーター・ロンドン・プランは、ロンドン都市圏は中心地区から50〜60キロの範囲で、中心部から外周に向かって、内部市街地、郊外地帯、グリーンベルト、衛星都市が点在する外部田園地帯の四つのベルト地帯に区分され、ロンドンの市街地の膨張を防ぐため周囲に幅約10キロのグリーンベルトをめぐらした。
 グリーンベルトの外側に、ハーロウなど八つのニュータウンが開発された。
 ロンドンに集中する人口と機能を中心部から外周部へ分散し、約100万以上の人口を、工場とともにグリーンベルトの外周部に移住させ、都市化地域を再編成し、中心部の集中を緩和しようとした
 日本の首都圏の整備計画は、グレーター・ロンドン・プランの影響を受けており、1958年に策定された第一次首都圏基本計画は、一都七県にまたがる半径約100キロを対象とし、東京およびその周辺への人口、産業の集中に対応するため、規制市街地の発展を一定の限度にとどめ、周辺地域に衛星都市を育成する、首都と衛星都市の間の市街地の連なりを防止するため、幅10キロの農地、山林、その他の緑地からなるグリーンベルトを指定することを内容とした。
 1965年の第二次基本計画では、緑地を保全する地区として近郊整備地帯と呼び、東京区部の周辺部50〜60キロ圏内の地域を指定し、グリーンベルトとして整備する計画であった。
 グレーター・ロンドン・プランが、ロンドンの中心地区から50〜60キロの範囲で、内部市街地、郊外地帯、グリーンベルト、外部田園地帯とし、幅約10キロのグリーンベルトをめぐらしたことと、ほぼ匹敵するため、首都圏基本計画が実現していれば、グレーター・ロンドン・プランと同様の、内部市街地、郊外地帯、グリーンベルト、衛星都市が点在する外部田園地帯の同心円構造が、関東に実現していたものである。
 しかし、首都圏基本計画を実現するための緑地規制は、圧倒的なスプロール現象(都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がっていくこと)の圧力のために吹き飛ばされ、東京区部の周辺部50〜60キロ圏内の地域は、スプロールで形成された市街地が延々と連坦することになった。
 首都圏のグリーンベルト構想は破綻し、昭和44年(1969)年制定の都市計画法では、失敗したグリーンベルト構想に代わるものとして、市街化された土地の外側に市街化調整区域が設けられることとなったのである。
 昭和44年に成立した都市計画法の下で、「市街化を抑制すべき地域」として市街化区域の外側に線引きされた市街化調整区域は、東京中心部からはるか遠くに成立することとなり、それは人の利用方法が特定されない緑地ではなく、農業が成立する地域において、農地によって成り立っている。
フォンテーヌ公園  したがって、人の利用方法が特定されない緑地がグリーンベルトとして都市を囲み、市街地の無限の連鎖を防ぐのではなく、農地という農業という都市的土地利用とは別の土地利用に供される土地が、緑地として都市を囲むことによって、日本の都市計画は成立したのであった。
 農地は、ラドバーンの田園都市計画でも都市の外側で緑を提供する緑地として位置づけられており、都市において都市生活を営むものにとって、疑似自然として、緑地としての効用を持った存在である。
 日本の都市計画は、アメリカのパークシステムやイギリスのグレーター・ロンドン・プランのように市街地が公園に囲まれるのではなく、市街地が農地によって囲まれることによって、市街地の無限の連鎖を防ぐものとされたのである。

(3)市街化調整区域についての農林漁業者の利用について
 都市計画区域において、開発行為をしようとする者は、あらかじめ、都道府県知事の許可を受けなければならない(都市計画法29条)が、市街化調整区域、区域区分が定められていない都市計画区域等においては、農林漁業の用に供する施設又は農林漁業者の居住の用に供する建築については、許可を要しないこととされている。
 市街化調整区域は、農林漁業が営まれる地域と大部分が重なっているが、農林漁業が営まれている地域に、かぶせるようにして市街化調整区域に指定しているのだから、農林漁業の用に供する施設又は農林漁業者の居住の用に供する建築については規制することができないからである。
 しかし市街化調整区域の制度ができて50年以上が経ち、農林漁業をめぐる情勢も大きな変化があり、経済成長下での農業収入の非農業就業による収入に対する相対的低下の結果、農家の大部分が第二種兼業農家(一家の収入の過半が非農業的収入である農家)となり、農家に分類される家計に属しながら非農林漁業に従事する者が、市街化調整区域に多く居住することとなっている。
 これは、市街化調整区域の土地利用について、非農業的土地利用への誘因が存在していることを示すものといえる。
 農林漁業者の居住の用に供する建築については、居住者が農林漁業者の場合は、農林漁業のための土地利用と言えるが、非農林漁業者である場合は、農林漁業のための土地利用と言えない。農林漁業者と非農林漁業者が同居する際に、非農林漁業者の生活の営みを抑制すべきということは困難である。したがってその必要からする居住を抑制すべきとは言えないことから、非農林漁業者による農林漁業のためでない土地利用の要望が生じてくる。
 しかし、その非農林漁業者による農林漁業のためでない土地利用を認めることは、市街化調整区域として、開発を抑制すべき区域であるという趣旨に抵触することとなる。

(4)市街化調整区域の土地の公共的利用について
 都市計画法29条1項3号及び同法の施行令21条は、市街化調整区域で公益上必要な建築物の用に供する目的で行う開発行為を認めている。
 法令で開発許可が不要とされ、自由に設置できる施設は、鉄道施設、図書館、公民館、変電所、休養施設、運動施設、教養施設、放送設備施設、電気事業用工作物、ガス工作物施設、国・都道府県・市町村の庁舎などである。
 また、都道府県の許可で設置が可能な施設は、社会福祉施設、保育所、医療施設、学校等である。これら施設の設置が許可制の下にあることは、許可をもらうための行政当局への働きかけによって、許可がなされるという政治的な決定が行われることとなる。
 しかしながら、これら施設は、住民の利用のための施設であり、都市的な土地利用というべきであり、これら施設が市街化区域でなく市街化調整区域に設置されることは、市街化が抑制されるべき地域として線引きされている市街化調整区域の趣旨と合致しているのか疑問がある。
 これらの公共施設のための土地利用は、市街化区域で行われるのが原則であり、市街化調整区域での公共施設のための開発行為は抑制されるべきである。

(5)市街化調整区域の都市計画事業等による土地利用について
 昭和55年の「市街化区域及び市街化調整区域に関する都市計画の見直しの方針について」の通達において「市街化区域への編入は、土地区画整理事業の実施が確実な土地の区域等計画的な市街地整備が確実な区域について行うこと」とされていたが、この趣旨は、都市計画法29条1項4号から8号に整理され、土地区画整理事業、市街地再開発事業、住宅街区整備事業、防災街区整備事業の施行として行う開発行為については、都道府県知事の許可を受ける必要はないことが規定されている。
 土地区画整理事業等の住宅整備事業が行われるときは、住宅街の計画的整備が行われるため、市街化調整区域においても、これら事業を行うことは開発行為の規制の対象外である。そしてこれら事業が行われたことによって住宅街が形成されることから、事業が行われた地域は、市街化調整区域の線引きが変更されて市街化区域に線引きされることとなる。

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(6)防災の観点から、市街化調整区域で都市的土地利用を認めるリスク
 以上のように、市街化調整区域について、農林漁業による土地利用から、他の土地利用を行うことが認められる場合があるが、市街化調整区域について、農林漁業による土地利用から、他の土地利用を行うことへの転換を認めることは、市街化調整区域であることによって確保されている社会的利益を害するおそれがある。特に防災と自然保護の点である。
 第一に、防災の観点から、市街化調整区域にゾーニングされている土地について、農林漁業による土地利用以外の都市的土地利用を認めることが、災害の危険を引き起こすおそれがないのかという問題がある。
 関東の市町村において、市町村の振興のため、住宅街を整備する事業が行われ、市街化調整区域を市街化区域に線引きし直されることが行われるが、都道府県の手によって洪水マップが作られてみると、これら整備された住宅街の家が洪水に見舞われる危険性があることが判明するという事態が起きている。
 洪水の危険は、地球温暖化の進行により、局地的集中豪雨の頻発により、その危険の度合いを飛躍的に高めている。
 豪雨、台風などの水害が多発化、激甚化しており、気象庁のデータによると、全国の1時間降水量50mm以上の年間発生回数は年々増加傾向にあり、最近10年間(2012〜2021年)の平均年間発生回数は、1976〜1985年の10年間の平均年間発生回数と比べて約1.4倍増加している。
 また、豪雨の発生回数の上昇に伴い、水害の被害額も年々増加している。河川の堤防が決壊し、大量の河川水が住宅街などに溢れるなどの被害が起きている。
   このような水害被害の発生は、気候変動の影響から、今後も維持継続していくとみられることから、新たな水害への対策・取組みとして、「流域治水」の考えが、国によって導入されている。
 従来の水害対策は、河川や下水道、砂防、海岸などで、ダムや堤防というハード施設を整備して、力で水害を抑え込む対策が主体であった。しかし、近年のように、これまで経験したことがない広域的かつ長時間に及ぶ集中豪雨が起こるようになると、これまで市街地を洪水から守ってきた堤防を河川の水が簡単に越えて、ときには堤防そのものを破壊して大きな水害をもたらす事態が頻繁に起こるようになった。
 従来の対策では対応できなくなる状況になったため、水害対策の内容を大きく見直し、従来のように河川区域や氾濫域という限られたエリアにおいてのみ治水対応をするのではなく、河川に流れ込む水の集水域を含めた流域全体において、河川を管理する国・都道府県・市町村と、流域全体のあらゆる者が協力し、ハードな施設対策と人によるソフトな対応が一体となって取り組む「流域対策」を行うこととなった。
 流域対策は、河川の集水域を含めた流域全体の持っている保水・遊水機能を回復し高めることによって、流域に降った雨の河川への流入を抑制する対策である。
 流域対策の実施上、河川の流域全体を、地域の特性に応じて、保水地域、遊水地域、低地地域の三地域に区分する。
 森林、雑木林などに降った雨は、一部が地中に浸透し、水量を減らしながら、緩やかに川へと流れていく。こうした働きを保水機能といい、土地の現況が森林、雑木林である地域は、保水機能を持っているので、「保水地域」という。
 水田などは、降った雨や川および水路から流れてくる水を一時的に貯留する働きを持っているが、雨水や川からの流水が一時的にとどまって川の負担を軽くする、遊水機能を備えている水田など農地によって構成される地域を、「遊水地域」という。
 川沿いの低い市街地のように、降雨が流域にとどまり、浸水となったり、川からの流水が流れ込み、浸水被害が生じる地域を、「低地地域」という。
 保水地域は、森林、雑木林などが土地の現況となっており、森林等が持つ保水機能を確保することが必要なため、自然状態のまま保全していくことが必要であり、市街化調整区域の線引きを維持し、開発行為が行われることを抑制することが必要である。
 遊水地域においては、土地の現況が水田など農地になっている土地は、地形上貯水しやすい性状の土地に作られており、水田という貯水能力がある構造になっているため、治水対策として、水田を維持することが必要である。このため、水田等農地の遊水機能を確保するため、市街化調整区域の線引きを維持し、開発行為が行われることを抑制することが必要である。
 浸水被害が生じる低地地域は、主に市街地となっている市街化区域である。低地地域の治水対策として、内水排除施設の整備、貯留施設の設置、耐水性建築を奨励することなどが必要である。
 流域対策は以上であるが、それ以外の土砂崩れや地盤沈下、あるいは火山噴火、津波など様々な自然災害に対し、これらによる住宅や施設の被害を生じさせないためには、市街化を抑制し、市街化調整区域を維持しなければならない必要性は高い。
 このような様々な災害を防がなくてはならない必要性から、現況が市街化区域に線引きされている土地についても、市街化を抑制する必要性から、市街化区域の線引きを市街化調整区域に変更する例が、近年相次いでいる。
 大きな被害を生じた広島県や北海道の例をはじめとして、土砂崩れによる住宅被害が生じる災害の発生が相次いでいることを踏まえ、市街化区域として住宅を存置しておくことが適切でなく、市街地をなくすために市街化区域から市街化調整区域に編入する必要が拡大している。
 災害対策の観点からは、市街化調整区域を維持し、更に市街化区域を市街化調整区域へ編入する線引きの見直しを計画的に行う必要がある。

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(7)緑地保全の観点から、市街化調整区域で都市的土地利用を認めることの問題
 市街化調整区域にゾーニングされている土地について、都市的土地利用を行うことを認めることにより社会的利益が害されるおそれがある第二の点として、緑地保全の観点から、市街化調整区域に線引きされた土地について、都市的土地利用を認めてよいのかとの問題がある。
 市街化調整区域の実際の土地の状況は、森林と農地がその太宗を占めており、市街化調整区域と都市計画区域外の土地においては市街化が抑制され、森林や農地等の自然環境が保全されている。
 森林は、生物が生態系を形成している自然状態にある土地である。人間により林業が営まれることや山歩きが行われることがあるとしても、基本的には、生物の住処である分、人間による利用は排除されており、自然界に属する土地であると言える。
 農地は、人間によって農業が営まれる地域であるが、農業が動植物を育て、動植物が生育する場所として管理されている点で、疑似自然として評価することができる。都市計画における農地の意義として、法律上生産緑地と呼称され、農業生産を行う緑地として評価される。
 このため、市街化調整区域の土地を構成する森林と農地を、「緑地」と呼称する。
 ここで、「緑地」の土地利用上の意義を論じる。

ア 景観における緑地の意義
 緑地保全の意義として、景観に占める緑地の意義がある。
 緑は美の宝庫である。自然こそ人間の視覚にとって、美そのものである。木の姿は、どの木も、こよなく美しく感じる。
 これは、自然が人間にとって、原始の時代からかけがえのない価値あるものであったからであろう。人間にとって有用である自然を生態系として構成する森は、人間の感情に根源的に働きかけるものを持っている。
 自然を美しいと感じることを保護するためには、自然に対する景観権を保障する必要がある。

イ 自然に内在する価値
 緑地保全の意義は、人間にとっての価値を考えるだけでは不十分であり、自然が自然自体として持つ意義を考える必要がある。
 自然環境とは通常、生命体がいる環境であり、それは生態系を構成する生物と、生物の生息地である土壌、水、大気等から成る。したがって、自然環境の保護とは、生態系を保護し、生物の保護ないしは生物の多様性を保全することである
 従来、生物を保護する根拠は、食用や衣料としたり、あるいは愛玩したりするため、さらには生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、文化上からの利用価値で説明されてきた。しかし、世界自然憲章や生物多様性条約などの国際連合の各国の合意で、生物を保護する必要性は、人間にとっての利用価値のみならず、生物自体に内在する価値を尊重することであるとされている。
 1982年10月28日国際連合総会で決議された「世界自然憲章」は前文で、「あらゆる形態の生命は固有のものであり、人類にとって有用なものであるか否かに関わらず尊重されるべきであること、およびほかの生命体に対してこうした認識をもつために人類は倫理的な行動規範に導かれなければならない」としている。
 1992年の生物多様性条約は前文で、生物多様性を保全する理由は、人間にとっての利用価値のみならず、生物の多様性が有する内在的価値のためであるとしている。
 様々な生物の存在を可能にする生態系が存在することが、人間とのかかわりを超越して、それ自体として根源的な価値を内在していることを認め、そのために生物の多様性を可能にする生態系等を保全する必要性を認めている。
 生物に内在する価値を認めることは、人間が地球上の主人公としてしたいことをすべて行ってよいという考えを制約する。
 人間がしたいことを自由にしていいとの考えを法として表現するのは、所有権である。所有権制度は、所有する範囲の土地とこれに付着する生物を、所有する人間が自由に使用・収益・処分することを認める。
 しかし、生物に内在する価値を認めることは、人間の土地に対して有する使用収益処分権を、生物との関係において、相対化する。したがって、それは所有権の前提となる人間中心主義を制約する。
 陸上における地域一体の自然状態は、人間の手が加わらない限り、水資源の賦存状況に応じて森林または草地などとなる。このような人間の手が加わる以前の水資源の賦存状況に応じた森林または草地などの本来の姿に復旧し、生態系を復活させることは、生物に内在する価値を否定しないために必要である。

ウ 地球環境保全上の緑地の意義
 緑地は、地球環境保全の観点からの意義がある。
 日本は、世界の70以上の国とともに、カーボンニュートラルを達成することを表明している。
 カーボンニュートラルを達成するとの目標は、各国のCO2排出量と森林等によるCO2吸収量を差し引きゼロにすることを意味する。それは、温室効果ガスの中核となる二酸化炭素の排出量と、森林等による二酸化炭素の吸収量を均衡させることである。
 したがって、日本政府がカーボンニュートラルを達成することを表明していることは、森林の減少を抑制し、可能な限り森林面積を増大させ、日本が緑に覆われるようにする意図を表明しているものである。
 カーボンニュートラルを達成するためには、森林等による二酸化炭素の吸収量を増大させていくために、日本の貴重な森林資源の減少を防ぎ、森林面積を増大させていく必要がある。

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4 市街化調整区域における防災と緑の保全のために必要な対応
(1)緑地の保全の意義
 以上のとおり、森林、農地で構成される「緑地」には、防災の観点、自然保護の観点からの意義が存在する。
 日本における総人口は減少傾向にあり、日本における都市的な土地利用のニーズは総体として減少していくことを認めるべきである。
 このため、市街化すべき地域を整然と整理して市街化区域をコンパクト化し、緑地で構成される市街化調整区域を拡大していくことが必要である。

(2)市街化調整区域内の農地を転用することについて
 農地は疑似自然として、自然に近い状態にあることに、食糧生産以外の存在価値がある。このため、市街化調整区域内にある農地につき、農業的利用が止めた土地は、緑地として保全されることを原則とすべきである。
 したがって、農業的利用をやめた土地について、原則として都市的土地利用を行うべきではない。
 類似した問題状況として、市街化区域内の都市公園の過去からの取扱いが想起される。
 日本の都市公園においては、公共施設の建築を認めてしまうことが相次いだことで、緑地としての機能を低下させてきた。東京緑地計画に基づき、緑地にするために国が買い上げた土地が今はゴルフ場や公共施設用地となってしまっていたりする。
 これと異なり、アメリカにおける都市公園制度の運用は、例えばセントラルパークにおいて公園内に施設を作ることが何度も計画されても、公園管理当局は、公園の非緑地的利用は1インチも認めないという方針を100年以上堅持してきている。
 都市公園ではない自然公園である国立公園についても、アメリカ政府は、人間にとっての経済的利用価値がゼロであることが真に国立公園の価値であるとの考えのもとに、国土に占める国立公園の面積割合の拡大に力を入れている。
 日本もこれに相当する努力として、市街化調整区域内で農業的利用を止めた土地については、原則として緑地として保全することを原則とすべきである。
 市街化調整区域には、大都市の無限の膨張を阻止するとともに、大都市でも、美しい自然が見られる環境で生活することを実現するという目的がある。この目的を実現するため、今日、農業的土地利用の必要性が、都市的土地利用の必要性に対して相対的に低下してきている状況からは、仮に農業的土地利用が減衰する部分があるのであれば、農業的土地利用に依存した市街化調整区域のうちのこの部分を、緑地として、自然の営みが行われ、生態系が形成される森林や草原にすることが必要である。
 そのことによって、郊外の農地や緑地から成るグリーンベルトと都市内の緑地とをお互いに関連づけ、都市の広域のパークシステムとして、全体としてオープンスペースのネットワークが形成される都市づくりを実現していくことが必要である。

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(3)都道府県が市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことについて
 都道府県が都市計画区域の土地のうち市街化調整区域の土地を市街化区域に線引きし直すことは、都道府県の都市計画審議会にかけて行われる。
 市街化調整区域に対する評価として、高度経済成長期が終焉し、都市への人口集中圧力がなくなったと考えられる平成12年時点での都市計画法改正の立法担当者の編著による「改正都市計画法の論点」(大成出版 2001年 43頁)において、「線引き制度は、都市を計画的に整備、開発、保全していく上で依然として極めて有用な制度であり、維持してもらわなければ困るという意見も(法改正の検討過程で)非常に強くありました。特に大都市圏の都道府県からはこのような要請が強くありました。実際、30年にわたる都市計画行政実務の積み重ねの中で、線引き制度は、地方公共団体の現場に完全に定着しています」、「市街化調整区域はいずれ市街化区域に編入されることが制度の建て前になっているわけですが、30年たっても線引きの線はほんの少ししか見直されていない。」と記載されている。
 市街化調整区域は、今後においても、「市街化を抑制すべき区域」であり、市街化区域への線引きの変更を抑制することを、明確にすべきである。
 市街化調整区域の土地が市街化されることの抑制を全うするためには、市街化調整区域内の農地は、永続的に緑地であることを維持する措置が必要である。
 市街化調整区域内で農業を営むことについては、職業選択の自由の下で、営農を止めることも、個人の土地所有権の行使の自由の中に含まれる。しかし、農地は都市計画上緑地としての存在意義があることから、市街化調整区域内の農地について営農を止めるときには、当該農地は都市緑地法の緑地保全地域に自動的に指定されることとすべきである。
 都市緑地法の緑地保全地域は、国立公園や生産緑地である土地と同様に、土地の人為的改変行為が許可制となっており、違反に対して原状回復措置がとられる。都市計画区域内の緑地が緑地である形状を永続的に維持するためには、都市計画区域内の農地について営農を止めるときは、緑地保全地域として土地の人為的な改変行為を抑制することが必要である。
 なお、市街化調整区域内の緑地保全地域が永続的に緑地であることを維持するためには、市街化区域に編入されること防ぐためには、森林についてのゾーニング法である森林法に、緑地保全地域を規定することとすべきである。

(4)市街化調整区域において、公共的な土地利用を行うことと市街化区域に線引きし直すことについて、環境影響評価手続を実施すべきこと
 環境影響評価法は、一定規模以上の土地再開発事業など大規模な環境改変行為についてのみ、環境影響評価手続を実施すべきことを定める。土地区画整理事業、新住宅市街地開発事業、新都市基盤整備事業、宅地造成事業といった個別の限られた事業に限定して、これら事業の施行区域面積が100ha以上のものをアセスメントの対象とし、70haから100haまでのものも選択的にアセスメントの対象としている。
 市街化調整区域において公共施設を建設することと、市街地開発事業を行うため市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことのうち、上記のようにごく限られた一定の事業に限定し、しかも施行区域面積が著しく大きな事業に限って、環境影響評価手続を実施することとされている。
 このため、市街化調整区域において公共施設を建設することと、市街地開発事業を行うため市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことの両者において、環境影響評価手続が実施されるのは、きわめて例外的である。
 しかし、市街化調整区域において公共施設を建設することと市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことは、農地、森林、水面という緑地から、公共施設、あるいは市街地としての土地利用に転換するものであり、自然保護と防災の観点から環境に不可逆的な影響をもたらす。
 したがって、市街化調整区域において、公共施設を建設することと、市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことは、小規模な環境改変行為であっても、必須的に環境影響評価手続を実施する必要がある。

(5)公共的な土地利用を行うことと市街化調整区域を市街化区域に線引きしなおすことによる利益を土地所有者に帰属させないこと
 欧米における都市計画においては、公共事業の実施により特別の利益を受ける者に対しては、応分の負担を課すことにより、その受益を社会に還元することを基本としている。
 市街化調整区域の土地の非農業的土地利用を行うことと市街地開発事業を行うため市街化調整区域を市街化区域に変更することは、市街地として都市的な土地利用を認めることになるから、土地を利用することによる期待収益が高まり、地価は上昇する。
 市街化調整区域の土地を公共施設用地として土地利用を行うことと、市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことは、市街化調整区域が市街化を抑制すべき土地であるにもかかわらず、土地の本来の目的ではない外在的な理由により、都市的な土地利用を行うものであるから、線引きの変更による地価上昇や土地の売却益などの経済的利益は、市街化調整区域に所在する土地を所有する者に、本来帰属していない利益である。
 それにもかかわらず、市街化区域に変更する線引きの変更等による地価上昇や土地の売却益などの利益を受けることは、市街化調整区域に所在する土地を所有する者に、本来帰属していない利益をもたらすものであり、この利益を土地所有者に帰属させておく合理的理由はない。
 市街化調整区域内にある農地について、農業のための土地利用が止めた土地を、緑地として維持しないときには、この利益を土地所有者から回収することが必要である。そうでなければ、これらの土地利用を行うことに経済的インセンティブを与えることとなり、土地の転用を促進してしまうからである。緑地からの土地の転用を防ぐためには、経済的措置による抑止手段を設ける必要がある。
 そのため、市街化区域内の農地を、生産緑地として評価して市街化区域内の土地利用の中に農地を位置づける生産緑地法と同様の対応をすべきである。
 このため、市街化調整区域内の農地を、終身営農を条件に相続税が納税猶予されるものとして扱い、市街化調整区域内の農地について、公共施設用地として土地利用を行うことと、市街地開発事業を行うため市街化調整区域を市街化区域に線引きし直すことが行われるときは、相続税の納税猶予を解除して、納税義務を課すこととする必要がある。
 この措置によって、土地転用による土地から得る収益に対する課税を行い、土地転用のコストを明示的に負担させることを、緑地にしない土地利用の転用を抑止する最低限の手段とする必要がある。

アンデュース竹林公園

第4 防災と緑地の保全の観点から、市街化区域についてどうするのか

1 スプロールで形成された街並みである密集住宅街をどうするのか
 東京の都市計画について、次のような感想がある。「東京は世界最大規模の活力ある都市だが、先進国の大都市と比較しても潤いやゆとりの空間に欠け、狭苦しくて緑が少ない。どうしてそんな街になってしまったのか?また、東京は非常に混沌としたカオス的な街で、地図を見ているといろいろなことに気づく。どうしてあの道は、途中から突然狭くなるのだろう? 下町の道は整然としているが、世田谷の道があんなに入り組んでいるのはなぜ?」[8]
 マスタープランによる規制がされないままに、また、広い幅員の道路網が整備される前に、東京では都市計画なしに、もしくは都市計画を無視して、スプロール(都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がっていくこと)による街並みが形成されてしまった。このため、広い幅員の道路網がないまま形成された街並みに、規制をしようにも、規制を導入することでスプロールによって形成されてしまった街並みは、すべて既存不適格となってしまう。このため、土地所有権に基づく土地利用の自由を全面的に阻害することとなる規制を導入することができない。
 現実に、大量に存在しているスプロールによって形成されてしまった街並みをどうしたらよいのかという問題が、東京のみならず、日本の多くの都市の問題として、未解決のまま今日なお残されている。

2 スプロールで形成された街並みである木造住宅密集地域の問題
(1)木造住宅密集地域不燃化10年プロジェクト
 太平洋戦争で後焼け野原となった東京都や大阪府の市街地では、戦後復興の際都市計画道路の計画が策定されたが、それらの多くは実現せず、無秩序に復興が進み、家が密集した住宅街が広がっていった。
 首都直下型地震が予想される東京では、特に木造密集地域が山手線外周部に多く、震災が発生すると壊滅的な被害になることから、対策事業が取り組まれることとなった。
 東京都では2012年から木造密集地域解消を目標に「不燃化10年プロジェクト」が行われた。日本全国に木造住宅密集地域はあるが、中でも東京は山手線外周部から環七通り沿いまでを中心に帯状に木造住宅密集地域が広がっており、危険な密集市街地は、区部の総面積のおよそ25%にあたる、約1600ヘクタールを占めている。
 木造住宅密集地域において地震が起きた際、@建物の倒壊、A火災の発生と延焼の拡大、B密集地域における災害時の活動の困難、という3つの危険が生じる。
 木造住宅密集地域には、耐震基準を満たしておらず、老朽化した木造建築物が並ぶことも多いため、地震が起きたとき建物が傾いたり倒壊する危険が高い。
 これら地域では無秩序に建物が建てられた結果、幅員の狭い細街路や隣り合った住宅がほぼ密着している地域もある。地震によって火災が発生した場合、木造という構造と、建物が密集している密度と、広幅員道路や公園が少ないとの条件が重なることで、延焼が広がり、被害が拡大する恐れがある。関東大震災でも、木造住宅密集地域では多発した火災が強風で広域に広がり、火災による死者が被害者の約9割に及んだ
 狭い道路において建物の倒壊や火災が起きて道を塞いでしまうと、人々の避難が難しくなり救急車や消防車が通行が困難になる。結果的に、木造住宅密集地域は火災の広がりや建物の倒壊、消化活動や救助活動が遅れてしまうリスクがある。
 東京都が2012年に始めた木造住宅密集地域不燃化10年プロジェクトは、木造住宅密集地域の改善を促し、燃え広がらない・燃えない街づくりを目指して、改善が必要な地域を「不燃化特区」と指定して、2020年度までに不燃領域率を70%にすること(不燃領域率が70%を超えると市街地の延焼の危険性がほぼなくなるとされている)等を目標に、老朽化した建物の除却(解体)や建替え・住替えなどにつき、固定資産税・都市計画税の減免、解体費用の一部又は全部の助成などの支援措置を行った。
 また、戦後都市計画決定されていながら、人口増加による市街地拡大のため整備されていない都市計画道路のうち、防災上効果の高い道路を「特定整備路線」として、整備を進めた。
 70%にすることを目標とされた不燃領域率は2006年プロジェクト開始時点で56%だったが、事業終了時の2020年度では64%にとどまっており、プロジェクトは2020年度に終了したが、不燃領域率の目標が未達成なため取組みは5年間の延長となっている。
 不燃領域率が64%にとどまり、目標を達成できないでいることの原因として、地域のコニュニティーや歴史を保ちたいという地域住民や商店経営者の意思が、老朽化した建物の除却(解体)や建替え・住替えを妨げていると指摘される。零細な地権者が多く、また、その所有者たちも高齢化しており、長く住み慣れた土地や住宅を手放すことは、苦痛を伴うためである。
 高齢化した地権者は、地震のリスクを過小に評価する傾向があるとも言われ、そうした危険に対して敏感とは言えない人たちに対して、安全な街区の形成のための再開発といっても、説得力を持たない可能性がある。しかし、木造住宅密集地域の問題を放っておくことはできないものであり、危険な街区を安全な街区に作り変える必要がある。

アンデュース竹林公園 木戸

(2)不燃領域率の意味するもの
 市街地の燃えにくさを示す指標とされる不燃領域率が70パーセントに達することを、東京都は政策目標としている。
 不燃領域率は、空地率(道路、公園などの空地の土地面積に占める面積割合)と(1−空地率/100)×不燃化率(燃えにくい建物(鉄筋コンクリート造など)の敷地面積が全建物敷地面積に占める面積割合)を合算した数字である。
 空地の面積と、建物が鉄筋コンクリート造などの、木造住宅でない燃えにくい建物の敷地面積の合計が、土地面積に占める割合をもって不燃領域率として、市街地の燃えにくさの指標とされているものである。
 木造住宅密集地域において地震が起きた際の危険である、@建物の倒壊、A火災の発生と延焼の拡大、B密集地域における災害時の活動の困難、という3つの危険をなくすためには、@人が避難し、救援の自動車が迅速に交通することができるようにするために、真っ直ぐで一定以上の幅員を持った道路に建物が接していること、A避難した人が倒壊した建物の下敷きにならないようにし、延焼が拡大しないようにするためには、各戸建ての敷地に占める空地の割合を高めることや空地である公園を増やすことが必要である。
 しかし、スプロールで形成された密集住宅街では、真っ直ぐで一定以上の幅員を持った道路に建物が接するようにしたり、公園などの空地を増やすためには、所有区画自体を変更する区画整理事業ないしマンションを作って居住権を立体化する市街地再開発事業を行うことなくしては実現しえない。
 また、密集住宅街の建築物は、建蔽率ぎりぎりで建築されるのが通例であるから、各戸建ての敷地に占める空地の割合を高めることは、条例で定められている建蔽率を引き下げない限り、不可能である。
 このため不燃領域率を70パーセントにするとの目標を達成することは、条例で定められている建蔽率を引き下げることをしない限り、木造住宅を鉄筋コンクリート造などに建て替えていくことによってしか、実現できない。
 したがって、木造住宅密集地域不燃化対策事業は、区画整理事業ないし市街地再開発事業を行わない限り、木造住宅を鉄筋コンクリート造などに建て替えていくことを意味している。
 しかし、市街地が無秩序、無計画に拡がっていったスプロールで形成された密集住宅街で、木造住宅を鉄筋コンクリート造に建替えていくことだけを行うことは、密集住宅街で家が密集して建てられているという状態を、鉄筋コンクリート造にして長期に固定するという結果をもたらすことになる。
 不燃領域率は、延焼防止だけであって、それですむものではない。木造住宅密集地域は、地震により、狭い道路において建物の倒壊がおきて道を塞いでしまうと、人々の避難が難しくなるとともに救急車や消防車が通行が困難になり、生じた火災に対する消化活動や救助活動が遅れてしまうことになる。
 これを防ぐには、不燃領域率を高めるだけでなく、根本的に、密集した街並みそのものを変えること、広い街路のもとで、スペースとして活用できる緑地があり、家への出入りが阻害されることのない住宅街を形成することが必要である。
 木造住宅密集地域とされる山手線外側から環七通り沿いの地域の内側にも外側にも、スプロールで形成された密集住宅街が広範に存在しており、東京都の対策事業ではそれら地域の改善は何ら図られない。
 スプロールで形成された街並みの問題点は、狭く曲がりくねった道沿いに、密集して家が建て込まれている点で、木造住宅密集地域とされる地域と同じ問題を抱えている。これら密集した住宅街の問題を解決するためには、不燃領域率を高めるだけではなく、真っ直ぐで一定以上の幅員を持った道路に建物が接するために、所有区画自体を変更する区画整理事業ないし市街地再開発事業を行って、密集した街並みそのものを変えることが必要である。

3 木造住宅密集地域とこれを含めたスプロールで形成された街並みの改善の必要性
 土地所有権をめぐる権利調整を全面的に行うことの困難性から、密集住宅街であることはどうしようもないこととしてあきらめるのは、現実的な選択かもしれない。
 しかし、防災や環境保全上大きな問題を抱えている街並みをそのままに放置することは、ベストな選択ではない。
 災害によって大きなリスクが発生する危険を感じながら、現実の生活を変えることの困難性ゆえに、現状に甘んじていることは、後で大きな災害が発生してしまった後で正当化できるものではない。
 東北大震災による福島の原子力発電所の放射能汚染事故などの大きな事故あるいは災害において、事故あるいは災害が起こってしまってから、事前に対策を考えておけば良かったと悔やむことは、理性的に正しい行動ではない。
 事故あるいは災害が起こる前に、リスクに見合った適切な対策を取ることは、今を生きるすべての人にとっての責務である。
 スプロールによって形成された密集住宅に関し、災害が起こる前に、リスクに見合った適切な対策を取ることは、居住するすべての人たちにとって必要なことである。
 都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がって形成された密集住宅街をどうしたらよいのか。
 いったんスプロールによって形成された街並みを、望ましい街並みに変えていくためには、もう一回最初から街を形成するところからやり直すしかない。
 もう一回街を形成する方法は、土地の権利者たちが、土地の利用形態を全面的に調整して改善するしかない。
 土地の権利者たちが、土地の利用形態を全面的に改善していく過程を作り出すためには、土地の利用形態を全体的に調整するための、土地区画整理又は市街地再開発としての組合の活動による土地の権利者の合意を形成することが必要である。

4 都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がって形成された密集住宅街について、作るべき街並みのイメージ
(1)ル・コルビュジエの「300万人のための現代都市」
 都市の急速な発展により、市街地が無秩序、無計画に拡がって形成された密集住宅街について、防災と緑を創出することを目的とした、作るべき街並みを構想する。
 日本の都市の状況を規定する要因は、日本が、人口稠密で、狭い国土であるという条件の中で、多数の人に住居を提供するとともに、人が利用しない空間を作り出し、それを緑地化することによって、災害を防ぐことができる安全性が確保され、緑に包まれた住環境を住民に提供することを実現することが目標である。
 この目標として、現在考えうるベストの選択は、ル・コルビュジエが1922年に「300万人のための現代都市」[9]として描いた、人々が行き交う場所には緑が描かれ、空の空白も木々で埋められ、緑に囲まれた中に高層マンションが点々として建つ街をつくることであると考えられる。
 これは、ル・コルビュジエが、都市構想として描いたものである。都市の限られた空間において、緑地と住居を生み出すためには、高層マンションを建築することにより、住民の住居を作り出すとともに、住居となる高層マンション以外の土地を空地とし、これを緑地として整備することにより、都市空間に、安全な住居とともに自然を蘇らせることができる。
 多くの人に居住の場を提供しなければならないという課題に対して、高層建築は、高密度化する都市の合理的な解決となる。
 快適な住居として戸建て住宅に住みたいという人も多くいるであろう。しかしながら土地区画整理によって、戸建住宅を整備することによって、面積当たり収容できる人数と、市街地再開発によって大規模な高層マンションを整備することによって、面積当たり収容できる人数には大きな差がある。日本が人口稠密で、狭い国土であるという条件の中で、多数の人に住居を提供するとともに緑地を創出することは、戸建住宅を整備することによって達成するのは困難である。
 したがって、大規模な高層マンションを整備することによって、多数の人に住居を提供するとともに緑地を創出することが必要である。
 この場合、従来、その地域で居住していた人の数よりも、大規模な高層マンションを整備することによって、居住する人の数を増加させない必要がある。大規模な高層マンションを整備するのは、密集住宅が形成されているという問題を解決するためである。従来の居住人数よりも多くの人の居住スペースを提供することを目的とすると、従来の居住者を大規模な高層マンションに収容して、今までの密集住宅地域に空地を作り出し、緑地を創出するという目的が達成されないこととなる。
 地域住民の土地建物所有権を立体化して、高層マンションを建築することにより、空地を生み出し、空地を原則として公共団体管理の緑地とすることを制度化することにより、大面積の緑地を作り出すことができる。

Rematuelle

(2)ヒルベルザイマーの高度都市計画
 ル・コルビュジエと同時期に、ドイツ人建築家のヒルベルザイマーが描いた高度都市計画(1924年)[10]においては、高層建築が林立する中で、建築の間に緑はなく、ただ道路を人が行き交う図を、あるべき都市空間として提示している。
 コンクリートで作った直方体の機能主義的な建物群のみが存在し、無機質的な空間が広がるばかりの図は、死をイメージさせる。建物の外見で表現しようとするものが、何もないにもかかわらず、コンクリートで作られ、表面に化粧板を貼り付けた、機能主義的な建物は、外見で何も表現しようとしていないものであり、外から建物を見る人に対して何ら発信をしていないモノでしかない。
 外から建物を見る人とのコミュニケーションを拒んでいるモノであり、見る人に対して、疎外していることを表現している。
 中川理「風景学」共立出版78頁(2017年)は、「ル・コルビュジエの絵は、ヒルベルザイマーの絵に何かが加えられたものだと言えるだろう。それは、豊かな木々であり、それによって実感できる人々の生活のイメージである。そこに加えられようとしているのは、眺めの「意味」であると言えるのだろう。(中略)ヒルベルザイマーの絵に描かれた(中略)近代主義は、その本質において、眺めの価値を作り出せないばかりか、「意味」を失わせていったのである。」と記載している。
 緑は美そのものであり、居住していくうえで、美のある良い環境に住むということは、緑ある市街地に住むことである。すべての生きとし生けるものによって創り出されるモノは、生物が生きようとする目的をもって生命活動を行う結果として、生物が表現するものであるから、人間は別の生命体ではあるが、他の生物の活動の成果であるそれら生物の表現を見て、人間もまた美しいと感じる。
 自然を構成する植物も動物も、生きようとする営みを行うことの中に、外に向かって表現する行為をしており、その表現を人間は感じ取ることで、美しいと感じているのだと考えられる。

(3)都市景観としての緑の意義
 景観という都市の美を追求する上で、自然を生かすことの重要性として、緑地でない場所に緑をつくり出すことは、街並みに美をもたらすことと同義であるといえるだろうか。
 日本を、自然、風土を生かした美しい国にするためには、街づくりにおいて自然を生かすことが非常に重要である。
 建築家の隈氏は、人間が建築を通じて自然とつながることの重要性をいう。[11]
 家の中から自然を感じることが重要であるのと同様に、街並みにおいても、自然を感じることが重要であり、この点を街づくりの基本にすべきである。
 人が街を歩くとき、視界の中で、自然が溢れているように街を構成することが重要と考えられる。

(4)緑のそばで暮らすライフスタイルの実現
 人間の土地利用と森林で形成される生物の土地利用が互いを排除し合う関係にあることを解決するためには、人間が人間の活動のためにどうしても必要とする土地以外の、人間が有意義に利用している程度が低い土地については、自然という人間以外の生命体の形成する生態系を回復するために、人間の利用の対象から外して自然に還すことが必要である。
 人口稠密となって緑が失われ続けている日本の都市部は、もともと森林地域であった土地が伐り開かれて作られている。本来は森林として、豊かな生態系を誇っていた地域は、今日でも森林を回復して、豊かな生態系を作り出すことができる土地である。
 都市に転換されたかつて森林であった土地に、森林を再生することができれば、その価値は大きい。そのためには、人類の生活様式、人間の生き方を、森林という自然環境と共存するというパラダイムへ転換し、個人が森のそばで暮らすライフスタイルを実現できる環境を整備することが重要である。

SaintTropez

(5)市街地の海をパークシステムに変える
 1938年グリーンベルト法を成立させ始まった、グレーター・ロンドン・プランは、1万4175haの緑地を買収し、市街地の連担を防ぐため、既成市街地の外延部から約16q幅で広がる緑地(農地、公園、森林等で構成)の環状帯を作り上げた。
 それに対し、日本の1965年の第二次首都圏基本計画では、緑地を保全する地区を近郊整備地帯として、東京都心から50〜60キロ圏内の区部周辺の地域を指定したが、緑地を保全すべき土地を買収する資金がなかったため、首都圏のグリーンベルト構想は破綻し、スプロール現象に飲み込まれて、首都圏は、市街地が連坦する「市街地の海」となった。
 日本の都市において、防災と緑を創出することを目的とした、作るべき街並みにおいて、高層建築を設けるのは、人々に効率的に住居を提供できるようにするためだけでなく、人々の居住空間を効率的に整理して、スプロールで密集して家が建て込まれた街並みを、緑地に変えるためである。
 いままで緑を創出するために、土地を買収する資金を出してこなかったことの代償として、「市街地の海」を変えるために、市街地再開発事業により、大規模な高層建築を設けて、多数の人々に効率的に住居を提供するとともに、密集住宅を一掃して空地を作り出し大規模な緑地を創出することに、資金を投入すべきである。

(6)都市の森林化の可能性
 緑に囲まれた中に大規模な高層マンションが点々として建つ街をつくることにおいて、緑化を徹底し、都市が森林のような外観を呈することを目的とすることが考えられる。この場合、大規模な高層マンションを、地上ではなく地中に建設することができれば、都市の森林化により接近する。
 都市に、森林の外観を作り出す方法として、住宅などの土地利用を地下に移し、地上に森林としての形状を作り出すことは、安藤忠雄氏の地中美術館や淡路夢舞台などで先駆的に創造されている。地中美術館は、瀬戸内の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設されており、地下でありながら自然光が降り注ぎ、一日を通して刻々と展示物や空間の雰囲気が変化していく。
 このような光景が多くの人にとって自然なものとして受け入れられるようになるまでは、地上部に都市施設の用地としての機能を保全しつつ、森林としての機能を併存させる形で森林を復活させることが考えられる。
 街区における個別の建物の調和については、基本的に建物間にできる限りの多くの緑(植物、とりわけ樹木)を配置することを要求すべきであろう。
 街区の、個々の建物を調和させて、美しさを作り出すのは、街区の、個々の建物間の、そして建物を覆う緑(植物、樹木)である。
 建築されるマンションの地上部は、高い緑化率(建築物の緑化施設(敷地内の保全された樹木、植栽、花壇等の施設並びに附属する園路、土留等)の面積の敷地面積に対する割合)を課すことが必要である。そして、緑地が転用されないためには、地方自治体の管理下に置くべきである。

※注釈は「自然と防災のための街づくり(2)」の文末に掲載

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Chinon

自然と防災のための街づくり(2)

第4 防災と緑地の保全の観点から、市街化区域についてどうするのか
第5 土地の利用形態を全体的に改善する合意をすることに持ち込むまでの過程
第6 土地の権利者たちが、土地の利用形態を全体的に改善する合意をするための、組合の活動 第7 おわりに


第4 防災と緑地の保全の観点から、市街化区域についてどうするのか(つづき)

5 ユニバーサルデザインに適合した街並みとすることについて
 モノ作りのデザインについての、「ユニバーサルデザイン」を街づくりに応用して、世田谷区などでは、街づくりを含めて「ユニバーサルデザイン推進条例」を制定している。
ユニバーサルデザインの概念について、ノースカロライナ州立大学ユニバーサルデザインセンターは、利用者の個性にかかわらず、できるだけ多くの人が利用できることを目指したユニバーサルデザインの原則を提唱した。
@ どんな人でも公平に使えること
A 使う上での柔軟性があること
B 使い方が簡単で自明であること
C 必要な情報がすぐに分かること
D 簡単なミスが危険につながらないこと
E 身体への過度な負担を必要としないこと
F 利用のための十分な大きさと空間が確保されていること
 ユニバーサルデザインは、モノを利用する人すべてにとって、快適に利用できるようにすべきであり、個人的なハンディキャップを持つ人にとっても、そうでない人と同じように利用できるようにすべきとの考え方であり、福祉におけるノーマライゼーション(障害をもつ者ともたない者とが平等に生活する社会を実現することを目的とする考え方)と理念を共通にする。
日本の国土交通省は、ユニバーサルデザインをまちづくりに適用し、2005年にユニバーサルデザイン政策大綱を定め、次の通り記載する。
「だれもが安全で暮らしやすいまちづくり
 まちは、人々の生活の基本となる場所であり、まちづくりに当たっては、多様な人々にとって暮らしやすいまちづくりに配慮することが大切である。

(1)歩いて暮らせるまちづくりに向けた取組みの推進
 過度に自動車に依存することなく、街なか居住を進め、徒歩圏内において生活の基本的ニーズに応えられる物品やサービスの取得が可能で、歩行者のスケール感にあった、生活関連施設等が近接するまとまりのある(コンパクトな)まちづくり、「歩いて暮らせるまちづくり」に向けた取組みを推進することが必要である。

(2)まち全体を視野に入れた取組みの推進
 人々のまちの中での多様な活動の円滑化を図ることが求められ、特定の施設だけを念頭に置くのではなく、多様な施設利用やそれらへの移動の円滑化等に配慮する必要がある。多様な主体の意見を踏まえつつ、まちづくりの主体である地方公共団体が、まち全体を視野に入れ、ユニバーサルデザインの考え方を踏まえたまちづくりの基本的な方針を提示するとともに、整備の必要性、重要性を踏まえ、計画的、段階的に、安全、快適な歩行者空間等の整備を進めることが大切である。

(3)まちの再生、再開発も活用した、居住・福祉・賑わい等生活機能の創出
 高度成長期等に作られた市街地やニュータウンの再生等の機会も活用しつつ、福祉部局をはじめ関係部局とも連携し、多様な居住の場の整備や不足する高齢者、障害者、子育て家族等が必要とする施設のまちなか等での整備を支援し、地域における居住・福祉・賑わい等生活機能の創出を図る必要がある。

(4)安全・安心のまちづくり
 だれもが安全に安心して暮らせるように、高齢者、障害者、子ども等にも配慮した防災対策や建築物における日常的な事故防止対策を推進することが必要である。」
とする。



 木造住宅密集地域をはじめ、スプロールにより形成された街においては、長年の生活が営まれてきた人々の知恵により、温もりがあり、「歩いて暮らせるまちづくり」や「居住・福祉・賑わい等生活機能の創出」という点で、人々にとって暮らしやすい部分が少なからず、あるとも考えられる。
 しかしながら、スプロールにより街が形成されている地域は、防災の面での安全性が欠けている
 これは、ユニバーサル原則の7の「利用のための十分な大きさと空間が確保されていること」を欠いていることであり、このため、スプロールにより街が形成された地域は、ユニバーサル原則の中の「公平な利用」、「利用における柔軟性」、「単純で直感的な利用」、「接近や利用のためのサイズと空間」などを充たすことができない。
 ユニバーサルデザインの考え方を、スプロールにより街が形成された地域に適用するためには、これら地域は居住の安全性や利用しやすさを欠くという問題を先に解決する必要がある。
 世田谷区の「ユニバーサルデザイン推進条例」では、自動車や歩行者の通行のための道の幅員が十分とれないため、世田谷区の区道に、新規に街路樹を植栽することはできず、既に街路樹がある道についても既存不適格の状態となっている。
 しかし、世田谷区で街路樹が新植されないことを住民が望んでいるとは考えにくい。
 これは、スプロールにより街が形成されている地域において、ユニバーサルデザインの考え方を機械的に適用することは、自然保護と防災を目的とした街づくりを実現できないおそれがあることを示している。
 地域住民の土地建物所有権を立体化して、高層マンションを建築することにより、空地を生み出し、空地を緑地とすることを解決することにより、街の人々が安心で安全な生活を営める温もりのある街づくりを目指すべきである。

第5 土地の利用形態を全体的に改善する合意をすることに持ち込むまでの過程

1 土地の利用形態を全体的に改善する合意をする状況を作り出す公共団体の責務
 都市において、各人がしたいままに行動をすることを放置すると、各人が家を建て込んで、個々の生活のための土地建物の利用が互いの土地建物の利用を妨害し、互いの生活を不快、不衛生、病気の蔓延、更には火事、水害などのリスクに脆弱な都市のスラム化をもたらし、各人の生活に危険をもたらす。
 そして、密集市街地が延々と連坦し、はるか遠方の農地で構成される市街化調整区域に到達するまで、わずかな公園内の緑地を除き都市に必要とされる緑を欠くことになる。
 各人が土地を所有し、家を建てるという自由な所有権の行使が、各人相互の土地の利用を妨害し、防災、環境保全の観点から街並みに欠陥を生じるという問題は、個々の土地所有者が単独で解決できる問題ではない。
 防災、環境保全の観点から街並みとしてあるべき姿を実現するためには、各人の自由な所有権の行使を、地域住民の全体の合意に基づいて、防災、環境保全の観点からあるべき街並みを実現するように、各人の所有権の行使を拘束し修正していくことが必要である。
 地域住民が集団的意思決定によって、各人の所有権の行使を拘束し修正していくことができる状況を作り出すことは、公共の利益を実現することを目的とする公共団体の責務である。
 このため、公共団体は、土地の利用形態を全体的に改善する合意をしていく過程が適切に進行するように政策を実施する責任がある。

2 宅地の広さを規制する必要性
 防災上安全であること、景観上美しく快適に過ごすことができること、生活上必要となるものを充足することを可能にすることなどが、良好な住宅であるためには必要である。
 たがって、良好な住宅街を形成するためには、住宅の敷地が狭小なものにならないように、住宅の敷地の広さが一定以上となるよう下限を設定し規制することが必要である。そして、住宅を売却したり、相続した住宅の敷地を相続人が分割しようとするときは、住宅の敷地の広さを維持するための敷地面積の下限規制に抵触する分割を規制する必要がある。
 ところが、日本では、当局が住宅の敷地が狭小とならないように規制する前に、様々な広さの敷地の上に立つ建物が無秩序、無計画に建てられたことから、当局が宅地の広さについて下限を設ける規制をする行政を行うことは不可能となった。
 現行都市計画法の立法担当者(大塩洋一郎)が昭和55年に書いた「日本の都市計画法」113頁は、「都市の周辺部で、農地、山林の所有者から個別に土地を買った個人や企業が、畑や山林の中にまちまちに住宅や工場等を建築するため、宅地として最低限の要件たる道路や排水施設等さえも備えていない狭小で不整形な「宅地」が無秩序に連担し、劣悪な環境を形成している。無秩序な「バラ建ち」が一般的であるのは、都市の郊外に集中する市民の経済のストックの乏しさ、農村からの移住者が都市的な共同体意識や都市的な居住環境への意識を持たず、基礎的な施設すら備えない宅地に加工する素材にすぎないはずの土地が「宅地」としての市場性を持ちうること、このような土地に電気、ガス、水道等の公益的サービスの供給が義務付けられており、弊害の発生を助長すること等の要因による。」「これに対し欧米諸国でこのような現象が少ないのは、一定水準の公共施設を備え、住宅地がある程度整然と配置されることは、宅地の開発の最低要件であることが市民の社会的常識として、市民から要求されているのであって、このような要件を備えていない土地には宅地としての市場性がなく、したがって建築物が建てられることがないという社会的実体がある。
 多くの欧米諸国では市街地開発の大部分がデベロッパーによって計画的に、かなりの規模で行われた。」と記載している


 日本でも都市計画法で用途地域というゾーニングが定められており、低層住宅専用などの用途規制が行われており、建築基準法により、容積率や建蔽率の基準が定められている。
 しかし、アメリカでは土地の開発や建物の建築について、州または郡レベルでの厳しい審査がある。マスタープランに従って、どこの地区にどういった建物(集合住宅、戸建住宅、大型商業施設、小規模商店、工業施設、倉庫等々)を建てて良いのかが定められ、一定の面積に対して何戸建てるのか、どういう人(所得階層など)が住む家を建てるのか、どんな家(タウンハウスなのか、シングルファミリーハウスなのか、何階建てなのか)を建てるのか、各戸の土地面積はどれくらいで、建物面積はどれくらいか、各戸はどれだけ離れているのかなどを、市当局と協議して決めなければならない。
 これに対して、日本における、スプロールによって住宅地が形成された土地においては、各戸の土地面積はどれくらいで、建物面積はどれくらいか、各戸はどれだけ離れているのかなどを、事前に市当局と協議してはじめて建築することが可能になるという規制をすることが不可能になっている。

3 高さ規制と建蔽率(建ぺい率)による建築規制から容積率規制への転換
 日本の建築基準法の規制は変遷しており、昭和38年以前においては、建築物の規模のコントロールは、建築物の絶対高さの制限(住居地域20m以下、住居地域外31メートル以下)と、建蔽率(建築物の建築面積の敷地面積に対する割合をいう)の制限(良好な住居の環境を保護するゾーニングである住居専用地域については、10分の3,10分の4、10分の5又は10分の6のうちから当該地域に関する都市計画で定める(住居の環境を保護するゾーニングである住居地域については10分の5、10分の6又は10分の8のうち都市計画で定める))によって行われていた(都市計画法9条、建築基準法53条)。
 建蔽率が建築物の建築面積の敷地面積に対する割合であることから、建築物の高さが規制されることと建蔽率の規制によって、建築物の規模の上限はコントロールされる仕組みとなっていた。
 建築物の規模をコントロールする必要性は、都市への人口集中により交通混雑、水不足等の問題が顕著になり、道路、公園、下水道等の公共施設との均衡がとれた建築物の規模にする必要性があったからである。
 しかし、経済の発展等に伴って、限られた市街地内の土地の合理的かつ高度な利用が望まれる中で、建築技術の進歩により超高層建築物の実現が可能となったことから、建物の高さを一律に規制する「高さ規制」の制度は、過剰な規制となった。
 このため、昭和38年、45年の二回の建築基準法改正により、容積率(建築物の延べ面積の敷地面積に対する割合)による建築密度をコントロールする制度が適用されることとなった。土地の住宅、商業、工業などの用途地域ごとに容積率の上限を規制する「容積率」規制によって、用途、密度、形態等に応じた建物の規模の規制を行うようにしたものである。
 容積率の規定が建築基準法に設けられ、建築物の容積、形態の規制は容積率に一元化されたことにより、建蔽率は、建築物の高さの制限規制とセットで建築物の規模をコントロールする規制としての意味はなくなった。
 それにもかかわらず、建蔽率は、容積率規制がされるようになってからも存続し続けている。
 昭和45年以降の建蔽率は、それ以前の間接的に容積率規制を担うという目的がなくなり、敷地内に空地をある程度確保することにより、通風、日照、採光、防災等市街地の環境条件を確保するとともに、緑化や日常生活のための空間を市街地に確保することが目的となった[12]
 建蔽率の規制は、もともと建築物の容積規制を担うことを主目的としてきたため、昭和45年以降に、「通風、日照、採光、防災等の確保や緑化や日常生活のための空間の確保」が規制の主目的となったとしても、これらの目的を純粋に目的として作られた規制ではなく、スプロールによって街並みが作られることを防ぐことを目的とするものではない。このため、建蔽率は、現在の「通風、日照、採光、防災等の確保や緑化や日常生活のための空間の確保」という規制目的からみると、中途半端な、緩い建蔽率とされてきたものであり、家と家が近接し密集して家が建て込まれることを許している。



4 あるべき建蔽率の基準
 日本の住宅街が美観に欠け、緑という自然がないまま、防災の観点からは極めて危ない状態が放置されているのは、日本における住宅環境のほとんど唯一の規制手段である建蔽率の、建物の敷地に対する割合が大きすぎて、家が密集して建て込まれることを許しているからである。
 日本における人口減少により、都市への人口移動による住宅における収容人数の圧力が全体として緩和してきていることからは、街並みにおける、防災、景観、緑化の必要性に対応して、スプロールによる街並みを解消するために、建蔽率について、住居専用地域等については10分の3,10分の4、10分の5又は10分の6、住居地域については10分の5、10分の6又は10分の8という割合を引き下げていくことを現実に検討する必要がある。
 建蔽率を引き下げる改正による規制は、新規の建築から適用されて、既存建物について改築の際から適用されることになる。
 密集住宅地域一帯において、建蔽率引下げの効果として、既存不適格となる建物の所有者に、既存建物の改築の引き下げた建蔽率に適合することの必要を生じさせ、住宅高層化のための都市再開発を行うことへの動機付けとなり、市街地再開発事業による立体化への動きが作り出されることになる。

5 空地の緑地としての管理
 建蔽率を引き下げることにより、既存建物の増改築に制限がかかることは、日本で不可避的に進行している高齢化による空き家の発生を加速させることとなろう。
 空き家の発生に対して、空き家の所有者は居住していないため、空き家の土地の管理を自らはできないため、土地所有権を放棄できることを欲している。
 民法は、所有権の放棄を規定していないが、土地所有権の放棄を実質的に可能とする「相続等により取得した土地所有権の国庫への帰属に関する法律」が、2023年4月27日施行された。
 同法は、国庫帰属の承認申請の主体を相続人等に限定する、制限的な制度設計が採用されたが、立法に至る議論では、まずは相続を契機としてやむを得ず土地を取得したものに限ることとして、申請主体の拡大について引き続き検討し、「制度を小さく生んで大きく育てる」との考えが述べられることもあった。
 今後、同法の適用の要件を拡大する検討が行われることにより、空き家の所有者が放棄を欲する土地については、国が所有者から土地を譲り受け、土地上の建物を除去し更地にして、これを緑化して管理することを法制度化することによって、防災の観点と環境保全の観点から、その土地が有効に緑地等として保全されることにより、全体の土地利用に資するようにしていくべきである。

6 所有者不明の土地への対応
 人が居住する空間としての街づくりのための土地利用は、もともと森林を伐り開いた上で行われている。このように人間の土地利用は、自然の中で生態系として行われている生物の営みを排除して成り立つことから、人間の土地利用と森林で行われる生物の土地利用は、互いに排除し合う関係にある。
 この点の適切な処理のためには、人間と生物の土地利用の適切な調整が求められ、この観点からは、所有者の土地利用を絶対的に自由なものとすべきではない。
 人間が有意義に利用する程度が低い土地については、自然という人間以外の生物の営みによって成立する生態系のために、自然に還す必要がある。
 所有者不明の土地は、土地所有者が土地利用を放棄している土地であり、その土地は所有者に利用させる必要を欠いている。
 所有者不明の土地をそのまま放置するのではなく、所有者不明の土地に私人の所有権を残しておくべきでなく、人間の利用する土地から、生物によって形成される生態系のために自然に戻すべきである。
 所有者不明の土地は、他の人間が所有して利用している土地の中に混在しているため、現実的な管理方法としては、個々の人間の所有権の対象となっていない海や湖などの公有水面と同じく、国の所有地にして更地にしたあと、自然の状態に戻すために緑地として管理すべきである。このため、都市緑地法の緑地保全地域に指定し、人が人為的に改変する行為を規制して管理することが適当である。

7 都市計画
 (1)都市計画法の性格
 都市計画とは、都市の健全な発展と秩序ある整備を図るための土地利用を計画し、都市施設を整備し、市街地開発事業を行うことについての計画である。
 都市計画を定める都市計画法は、都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もって国土の均衡ある発展と公共の福祉に寄与することを目的とし(1条)、都市計画の理念として、健康で文化的な都市生活を確保すべきとしている(2条)。
 都市計画は、街を形成する各種事業が整然と、相互に矛盾なく実行されるよう、全体の街づくりを整除し、統括する目的を持っている。
 都市計画で計画されたあるべき都市を実現する方法としては、建築許可や開発許可のように人々の行為を規制する方法と、都市計画事業またはその他の公共事業を実施することによって都市施設を作り出すという方法の二種類がある。
 都市計画は、以上のように街を形成する各種事業活動の「交通整理」をするという性格と、街を形成する各種事業を自ら実施することを計画するという二つの性格を持つこととされている。



 このため、公共団体が自ら行う事業のほか、私人が行う街を形成することに関わる事業も、都市計画において決定することが必要となる。都市計画事業として公共団体が自ら行う事業としては、都市計画施設を整備することは、都市施設(街路、公園、下水道等)の整備と市街地開発事業があり、私人が街づくりに関わる事業として行うものは、都市再開発法に基づいて市街地再開発組合等が行う市街地再開発事業や、土地区画整理事業等がある。

(2)都市計画に定める市街地再開発事業
 市街地再開発事業について、都市計画において決定する必要があるのは、建築物と建築敷地と公共施設(道路、公園、下水道その他の施設)の整備の内容である(都市再開発法4条)。
 都市施設を整備する市街地再開発事業についての都市計画の内容は、道路、公園その他の公共施設を備えて良好な都市環境を形成するものであること、建築物の整備に関しては、市街地の空間の有効な利用、建築物相互間の開放性の確保及び建築物の利用者の利便を考慮し、建築物が当該地区にふさわしい容積、建築面積、高さ、配列、用途を備えたものとなる必要がある。
 都市計画の案を作成しようとする場合には、公聴会の開催等、住民の意見を反映させるための手続を行う必要があり(都市計画法16条1項)、住民と利害関係人は、縦覧に供された都市計画の案について意見書を提出することができる(都市計画法17条1項、2項)。
 そして、都市計画決定において、自然保護と防災が図られるようにするためには、環境影響評価手続を行うこととすることが必要である。

(3)密集住宅街解消のための市街地再開発事業についての都市計画の内容
 市街地が無秩序、無計画に拡がっていくスプロールにより家が密集した街並みが形成されたことは、都市計画が機能してこなかったことを意味する。
 家が密集した街並みが形成されていることに対し、防災の観点、環境保全の観点などから街並みとしてあるべき姿を実現するためには、現在の街並みを修正する都市計画を作成する必要がある。
 この都市計画を作成するのは行政庁であり、行政庁は、防災の観点、環境保全の観点などからあるべき姿をもった街づくりがされるように、地域住民の総意を民主主義的に体現するものとして都市計画を決定する義務がある。
 広い街路のもとで、緑があり、機能的に人が出入りできる住宅街を形成するためには、密集した街並みそのものを変える市街地再開発事業ないし土地区画整理事業を行う必要がある。
 このうち土地区画整理事業は、戸建てから戸建てへ権利の移転を行うものなので、密集住宅街を解消して住居と緑地を創出する事業に適していない。多数の戸建てを高層マンションに集約し空地を作り出し緑地を設けるためには、土地所有権を、マンションの区分所有権へと変容させる都市再開発法に基づく市街地再開発事業を行う必要がある。
 都市計画に定める市街地再開発事業の内容としては、従来、その地域で居住していた人の数よりも、大規模な高層マンションを整備することによって、居住する人の数を増加させないことが必要である。大規模な高層マンションを整備するのは、密集住宅が形成されているという問題を解決するためである。従来の居住人数よりも多くの人の居住スペースを提供することを目的とすると、従来の居住者を大規模な高層マンションに収容して、今までの密集住宅地域に空地を作り出し、緑地を創出するという目的が達成されなくなってしまうので、適切でない。

8 税制
 土地の利用形態を全体的に改善するために市街地再開発事業が行われることを促進するためには、スプロールによって形成されてしまった街並みに住むことが、経済的に引き合わないようにして、密集住宅に居住を続けることから脱却しなければならないことの動機付けを与えることが必要である。
 密集住宅に住み続けることが経済的に引き合わないようにする方法は、密集住宅街という危険な住宅街に住み、その一員となっていることに対し、危険状態を改善するために発生する費用についての原因者負担として、税を課すことである。
 現在行われている税制は、更地に対する固定資産税に比し、家がある土地に対する固定資産税を、居住権を保護するとの名目で低課税としているが、これはスプロールによって形成された安全性を欠く街並みを保護する施策となっている。
 区画整理や再開発が行われる前の街並みを形成している密集住宅街の土地に対しては、空地よりも逆に固定資産税の税率を高くすべきである。居住者の生活を保護することは、社会保障で対応すべきことである。

9 補助金
 1938年に始まった、グレーター・ロンドン・プランは1万4175haの緑地を買収し、市街地の連担を防ぐため、規制市街地の外延部から約16q幅で広がる緑地帯(農地、公園、森林等で構成)の環状帯を作り上げた。
 それに対し、日本の第二次首都圏基本計画(1965年)では、緑地を保全すべき地区を指定しようとしたが、緑地を保全すべき土地を買収する資金がなかったため、首都圏におけるスプロール現象により、結果、市街地が連坦する密集住宅街となってしまった
 したがって、いままで緑を創出するために、土地を買収する資金を出してこなかったことの代償として、その結果形成されてしまった密集市街地ないし密集住宅街を改善するために、防災と緑を創出することを目的として資金投入すべきである。
 市街地開発事業により、大規模な高層建築を設けて、その地域で居住していた人に対して住居を提供するとともに、密集住宅を一掃して空地を作り出し、大規模な緑地を創出することを重点的に支援すべきである。

10 密集住宅解消のための市街地再開発事業
 建築物が、真っ直ぐで、一定以上の幅員を持った道路に接するようにするためには、所有区画を変更し、広い街路のもとで、緑があり、機能的に人が出入りできる住宅街を形成する必要がある。このためには、多数の戸建て住宅を高層マンションに集約して空地を作り出し、緑地を設けることであるので、土地所有権を、マンションの敷地権へと変容させる都市再開発法に基づく市街地開発事業を行う必要がある。
 宅地の立体化を行おうとすれば、従前の建物を除却しなければならなくなる。そして、従前の土地は、施行者から与えられる建築物の一部(土地付き建物)に変化する。その間には権利関係の同一性はなく、従前の権利関係は破壊されてしまう点で、市街地再開発事業のために土地を収用することは、土地所有権に対する強制処分となる。
 救急車、消防車が入れるように、公共的な政策として、土地収用法を背景として、道路の改良を進める場合、土地所有者の意思に反しても、道路の改善や超過収用を行うことは認められているが、街づくりは、居住者の福祉の実現が主目的であり、土地を強制的に収用することは、個人の土地の利用処分権と直接衝突する。
 このため、街づくりのための市街地再開発事業は、地域住民の主体的な取組みとして行われることが必要である。
 宅地の立体化を行うため、従前の土地に対する権利を、施行者から与えられる建築物の一部(土地付き建物)に対する権利に変化させる市街地再開発事業としては、都市再開発法の中に、第一種市街地開発事業と第二種市街地開発事業があり、更に事業を個人が施行する場合、市街地再開発組合が施行する場合、市街地再開発会社が施行する場合、地方自治体が施行する場合、都市再開発機構が施行する場合がある。
 しかし、スプロールで形成された密集市街地における市街地再開発事業の実施は、市街地再開発組合(以下「組合」という。)により、事業対象地域の多数の権利者の同意の下に都市再開発事業が行われるという民主主義に基づいたものとして行われるのが基本的に必要である。
 その理由は、密集住宅街は、個々人の生活のための土地建物の利用が、互いの土地建物の利用を妨害し、互いの生活に、不快、不衛生、火事、水害などのリスクを生じ、緑のない環境を生み出すこととなっており、各人が土地を所有し建物を建てるという所有権の自由な行使が、各人のお互いの権利を圧迫している。これは防災、環境保全の観点から、個々の土地所有者が単独で解決できない問題を生じているが、防災、環境保全の観点から街並みとしてあるべき姿を実現するためには、地域住民全体の集団的意思決定に基づいて、各人の自由な所有権の行使を修正していく必要があり、そのために市街地再開発事業が行われる必要があるからである。
 このため、スプロールで形成された密集市街地を変えるための市街地再開発事業は、土地権利者の多数の意思という民主主義の実現として、組合が行う必要がある。

第6 土地の権利者たちが、土地の利用形態を全体的に改善する合意をするための、組合の活動

1 市街地再開発組合によって行われる密集住宅を解消する街づくりの事業内容
 市街地再開発組合(以下「組合」という。)が、防災と緑を創出する街並みを作り上げる事業は、密集住宅の地域で、不動産会社が土地を買収し、所有権を取得した土地に高層マンションを建て、マンション中の住戸を希望者に売却することに、外形上似ている。
 しかし、密集住宅の地域で、大規模な高層マンションを整備するのは、従来の居住人数よりも多くの人の居住スペースを提供しようとすることを目的とするものではなく、密集住宅が形成されているという問題を解決するために、従来の居住者を大規模な高層マンションに収容して、今までの密集住宅地域に空地を作り出し、緑地を創出することを目的とするものである。
 組合は、民主主義的に多数の意思を結集することにより、密集住宅街を変えて緑に囲まれた中に高層マンションが建つ街をつくることができる。

2 組合設立の単位
 第一種市街地再開発事業の事業施行区域については、事業実施の必要性が認められる区域とされており、「十分な公共施設がないこと、当該区域内の土地の利用が細分されていること等により土地の利用状況が著しく不健全であること、土地の高度利用を図ることが都市の機能の更新に貢献すること」とされている(都市再開発法3条)。
 密集住宅街に新しい街づくりを行うために、ル・コルビュジエが「300万人のための現代都市」として描いた、人々が行き交う場所に緑があり、空の空白も木々で埋められ、緑に囲まれた中に高層マンションが点々として建つ街を作ることとするとき、大規模な高層マンションに収容されるべき住戸が存在している地域の土地権利者全員を組合員とする組合が設立される必要がある。
 したがって、組合設立の単位となる事業施行区域は、高層マンションが設立され、そこに収容されるべき住戸が存在している地域となるべきであり、したがって、それは、町名が付されている程度の広範な地域が事業施行区域となる必要がある。

3 街づくりを進める際の公共と地域住民の協働
 防災の観点、環境保全の観点などから街並みとしてあるべき姿を実現するのは、全体の視点から、公益の実現を判断して実行する主体によって行われる必要があり、行政庁は、地域住民の総意を民主主義的に体現する意思決定権者として、都市計画決定において、防災の観点、環境保全の観点などから公益の実現を判断実行する義務がある。
 しかし、都市計画は街づくりのアウトラインを定めたものであり、街づくりを実行する市街地再開発事業において行う土地利用の調整は、地域一体の土地権利者による集団的な意思決定によって実行していく必要がある。
 都市計画に基づき、都市機能の更新や防災面の整備などの観点から新建築物の建設整備、権利変換、緑化といった街づくりの具体的内容を決定実行していく市街地再開発事業を担うのは、土地の権利者を組合員として組織し、組合員の多数の意思で意思決定を行う、組合という地域住民の民主主義により運営される組織である。
 以上のとおり、行政庁が都市計画を担い、組合が市街地再開発事業を担うのは、両者相まって地域住民の総意を、民主主義として体現するためであるが、都市計画とこれに基づく市街地再開発事業が、一体となって防災と環境保全の観点からあるべき街並みを実現するためには、行政庁と組合が協働して街づくりを進める必要がある。

4 自然保護と防災を目的とした街づくりとしての市街地再開発事業の実施の流れ
 自然保護と防災を目的とした街づくりとして行う市街地再開発事業の意思決定の実際は、次のようなものになると考えられる。

(1)自然保護と防災を目的とした街づくりとしての市街地再開発事業のオルガナイザーの役割を果たす志を持った人が、密集住宅地域を改善するため、新しい街づくりとして市街地再開発事業を行うことを構想し、発意することから、すべては始まる。
 志を持った人として事業を発意する人は、住民から出てくることが望まれるが、地域住民の代表として、地方自治体の長が発意することも考えられる。

(2)市街地再開発事業を行うことを構想し、発意する人に、賛同し同意する人が加わり、再開発準備組合が組織される。再開発準備組合は、都市再開発法60条で「組合を設立しようとする者」として規定されており、市街地再開発組合(以下「組合」という。)の前身組織である。
 再開発準備組合によって、市街地再開発事業の対象地域と考えられる地域に居住する人たちへの情報の浸透と、地域住民の意見を受けて、構想を具体化していく作業が行われる。
 再開発準備組合は、対象地域の土地の権利関係を詳細に調べる権限を有しており、事業の施行の準備を進める。(都市再開発法60〜64、65条)

(3)組合の設立については、施行地区内の宅地について所有権又は借地権を有する者の頭数及び面積の、それぞれ3分の2以上により、組合の定款及び事業計画についての同意を得た上で、都道府県知事の認可を得ることを要する(都市再開発法14条)。

(4)市街地再開発事業を行う計画が現実性を持つに至った段階で、再開発準備組合又は組合の行政庁への働きかけにより、行政庁が所要の手続きを経て市街地再開発事業を実施するための都市計画を決定する。
 行政庁の都市計画の決定にいたる過程で、都市計画案の住民への縦覧、説明会が行われ、環境影響評価手続も行われる場合がある。

(5)市街地再開発事業を実施するための都市計画決定を受け、組合による市街地再開発事業が実施される。
 密集市街地解消を目的として、防災の観点、環境保全の観点などから街並みとしてあるべき姿をもった街づくりを行う市街地再開発事業が、住民の多数の意思による民主主義として実行されるためには、(4)の都市計画を決定する行政への働きかけと、(5)の市街地再開発事業の施行が、利害関係者の多数決によりそこに住む住民の主体的な意思決定として行われることが必要である。
 市街地再開発事業による街づくりに地域住民のすべての者を巻き込んで、再開発準備組合の立ち上げ、行政庁による都市計画決定への働きかけ、市街地再開発事業を実施する組合を運営していくことは、自然保護と防災が図られる街づくりへの強い意欲を持ったリーダーにけん引されていく必要がある。
 組合の核となる強い目的意識を持った一人あるいは複数のリーダーによって担わなければ、地域の住民の意見を結集して街づくりを事業化するという事業に挑むことはなしえない。

5 市街地再開発組合(以下「組合」という。)の事業

(1)組合の設立
 組合は、法人とされ、施行地区内の宅地について所有権又は借地権を有する者は、すべて組合の組合員とされる(都市再開発法20条)。
 組合の設立にあたっては、組合の定款及び事業計画について組合員となるべき、施行地区内の宅地について所有権又は借地権を有するすべての者の頭数及び面積の、それぞれ3分の2以上の同意を要する(法14条)。
 事業計画は、施工地区、設計の概要、事業施行期間及び資金計画を定めなければならない(法12条)。
 施行地区内の権利者で設立に反対する者も組合員になるが、権利変換手続上は、一般のルールに従って権利変換を受けることとなり、組合の設立に反対したからといって特別の扱いを受けることにはならない。権利変換を希望せず金銭の給付を希望する場合はその旨の申出をすることができる。
 しかし、組合の設立に反対したからといって最終的に土地の明け渡しを拒否することができない。都市再開発の目的を達成しえなくなるためである。
 権利変換を希望する者は、権利変換計画の縦覧の際、自分の希望する床(区分所有権を有することとなるマンションの専用部分)の位置等について施行者に自分の意見を申し出ることができる。

(2)組合の目的と事業内容
 都市再開発法の目的は、「都市における土地の合理的かつ健全な高度利用と都市機能の更新とを図ること」であり、より良い街づくりをすることが、第一種市街地再開発事業を行う組合の目的となる。
 組合は、組合員の権利(土地所有権等)を、別の権利(マンションの区分所有権(共用部分共同所有権と敷地利用権を含む。以下同じ。)に変容させる業務を行う。組合員の権利を、より良い街並みの中での権利に変容させることを目的として事業を行う。
 組合は、土地建物の所有者等のいままでの密集住宅街の中で居住してきた住環境を、大規模な緑地に囲まれた高層マンションの中での居住環境に変えるといった街づくりのデザインを実現するために、市街地再開発事業で、大規模な高層マンションを建設するとともに、密集住宅街の中での各所有者の土地建物所有権等を、高層マンションの区分所有権等に権利変換することを実行する。
 権利の変換に関し、都市再開発法74条は、関係権利者間の利害の衡平に十分の考慮を払って、権利の変換をすることを要求するが、実務は、再開発前の地権者の資産(従前資産)と再開発後に建築される新しい建物の一部(従後資産)が同価値であることを確保することとして運用されている。
 第一種市街地再開発事業は、従来の建物を除却し、街路を始めとした公共施設を整備し、新たな建物を建設する。このため、土地建物につき権利を失った者は、新たな建物の区分所有権を取得する。
 しかし、新たな建物の区分所有権を取得することを希望しない者には、権利を失ったこと等に対する補償を受ける。
 第一種市街地再開発事業を行う事業主体が、組合となるときは、組合が法人格を取得するためには、事業対象地域の3分の2の数の権利者が、組合を設立することに同意することが要件となるので、事業対象区域にも、組合設立に同意しない者もいることになるが、組合の設立に同意しない者も組合員とされる。同意しない者も、新建物への権利の取得をすることができるが、取得を希望しないで地区外転出することもでき、その場合は、法が定めるところに従い、従前の権利その他についての補償を受ける。
 事業の中心的な内容となる、土地建物につき権利を失った者が、施行者が取得した土地の上に建築する建築物について取得する区分所有権の内容を個別具体的に定める「権利変換計画」を決定するには、総会議決として組合員の過半数による議決が必要とされている。
 組合員の中に反対する者がいるにもかかわらず、組合が、事業ができるのは、組合が土地権利者という地域住民の多数意思を実現する民主主義を実行する過程として活動しているからである。

(3)組合による街並みづくりにおける設計事務所、不動産会社、建設会社の活用
 組合が、防災と緑を創出する街並みを作り上げる事業は、密集住宅の地域で、不動産会社が土地を買収し、所有権を取得した土地に高層マンションを建て、マンション中の住戸を希望者に売却するという行為に、外形的には似ている。
 行為の外形は似ていても異なる点は、密集住宅地域で、組合がマンションを整備するのは、密集住宅街が形成されているという問題を解決するために、従来の居住者を大規模な高層マンションに収容し、今までの密集住宅地域に空地を作り出し緑地を創出することを目的とするものであることである。
 組合は、密集住宅街が形成されていることによる問題を解決するという地域住民の意思の付託を受けて、地域住民のために事業を行うのであり、組合員である地域住民の利益を実現するという忠実義務を負っている。
 組合は、各住戸者に対して忠実義務を負っていない不動産会社に、土地権利者の権利変換に関する業務を全面的に委託してその業務を行わせることはできない。
 しかし、組合が作る大規模な高層マンションは、住民の住環境を改善するために、優れた美しいものとすることが必要であり、また、組合は、市街地再開発事業の収支を均衡させて事業を完成させる義務がある。
 民間の設計事務所、不動産会社、建設会社は、不動産建設事業の収益性を確保しつつ魅力ある建築物を作り、その市場価値を高めるノウハウを持っており、この民間の不動産会社等が持っているノウハウを、組合が活用し利用していくことは重要である。したがって、組合は、建物と緑地の配置、マンション建設の設計、建設等を設計事務所、不動産会社、建設会社に委託し、その持っているノウハウを活利用して市街地再開発事業を行っていく必要がある。

6 組合による、密集住宅街の中での土地建物所有権等の、高層マンションの区分所有権等への権利変換の手続
 市街地再開発事業の実施は、住民が居住していた建物を立ち退かなければならないなど、多数の人の居住に重大な影響を与える。したがって、いったん開始された市街地開発事業は、居住する人に不当な損害を与えることなく、居住環境の改善を図るという所期の目的を成功裡に必ず達成することが必要である。
 その目的達成の観点から、市街地再開発事業の権利変換の手続をみてみる。
 組合の設立により、施行地区内の地権者は全員が組合の組合員になり、施行区域内の土地、建物等はすべて再開発事業の対象になる。
 継続して借家している者は、関係権利者として扱われる。
 従前資産の価値を算定するため、土地に関する土地調書と建物に関する物件調書を作成する。(法68)
 組合は、土地権利者に対して権利変換処分を行う。権利変換処分は、再開発前の地権者の資産(従前資産)を、再開発後に建築される新しい建物の一部(従後資産)に移転させる。そのために、組合は、権利変換計画(従前資産を整理して、従前資産と同価値の再開発ビルの床の一部を権利者に配分する一覧表)を作成する。
 従前資産を有していた者が、再開発後の施設建築敷地の共有持分又は施設建築物の一部等に変換することを希望しない者は、従前の資産の価額に相当する金銭を給付することを申し出ることができる(71条)。
 地権者が従前資産の価格評価について不満がある場合は、収用委員会に対し審査を申し立てることができる。従前の資産の価額については、一応施行者である組合が判断するものの最終的な判断は収用委員会を経て裁判所が行う(85条)
 権利変換計画は行政庁に認可されることにより確定し、内容が地権者に通知されることによって権利変換処分は地権者に対して法的な効果を生じ、その後の権利変換期日をもって従前の権利は、従後の権利に置き換わる(87条)。
 従前の権利の補償(91条補償)―変換した新たな権利を取得することを希望せず地区外に移転する権利者に対して、権利変換期日までに、従前の資産の評価額が支払われる。
 従前の建物所有権は、組合が取得し、30日の猶予をもって、建物占有者に対し明渡しを求めることができる(96条)。
 明渡しに伴い通常受ける損失の補償(97条補償)ー明渡しの負担を負う地権者及び借家人が明渡しに伴い通常受ける損失と評価される額の補償が支払われる。明渡しの期限までに補償額の協議がまとまらなければ、審査委員の同意を得て組合が定めた補償額が支払われる。補償額については、一応施行者である組合が判断するものの最終的な判断は収用委員会を経て裁判所が行う(97条)。
 占有者は、補償の支払いがなされているときは、組合の明渡請求に対し、期限までに土地、建物を明け渡さなければならない。明渡しがなされない場合、都道府県知事等に請求することにより、行政代執行により明渡しを執行することができる(98条)が、これに加えて、民事訴訟による強制執行をすることができる。
 市街地再開発事業により建築物の一部等であって、従前資産の権利者が取得しないものは、施行者である組合が取得する(これを保留床という)が、保留床は原則として、公募により賃貸し、または譲渡される(108条)
 組合による再開発ビルの竣工後、権利変換計画に基づき取得した床に、それぞれの地権者及び借家人が居住できるようになって事業が完成したのち、組合は解散する。

7 組合の組合員に対する忠実義務

(1)組合の組合員に対する忠実義務
 組合は、組合員の「より良い街づくりをすること」へのニーズを充足するために最善の結果となるように努力する義務を負い、組合員に対し、組合員の利益だけを考えて「より良い街づくりをすること」を行わなければならず、「自己又は第三者の利益を考えることを排除しなければならない」という忠実義務を負っている。
 市街地再開発事業を行う事業主体については、行政法通則によって法的性格の説明がされているが、以上の組合の組合員に対する忠実義務を説明するためには更に議論を追加する必要がある。
 組合の、都市再開発法により授権された中核的な業務は、組合員の権利変換計画を作成することと補償を行うことである。権利変換計画を作成することは、土地所有者等の従来の権利を喪失させ、新たな権利を付与することであり、そして補償は、新たな権利を付与されることを欲しない人に対して、権利等の喪失等に対して補償することである。
 組合がこのように、組合員の権利の得喪に関する業務を行うことができるのは、都市再開発法が、組合に対して、組合員の権利の処分という組合員自身が行うことができる事務を処理することの授権をしているからであり、組合員は自己の権利の処分に関する事務を処理することを組合に法定委任しているものである。
 したがって、組合が組合員の権利の得喪に関する業務を行うことにより、組合は、組合員の「より良い街づくりを行うために自己の権利の処分を行う」という目的実現に助力する受託者責任を負い、組合員に対して忠実義務を負う。
 委任において忠実義務が成立することについては、当然に成立するという見解のほかに、忠実義務の成立のためには、委任者の事務を処理していること、信頼関係性および独立裁量性が認められることが必要との見解もある [13]ので、この見解に従って忠実義務の成否を検討すると、組合員が、「より良い街づくりを行うために自己の権利の処分を行う」という目的をもって組合員となるとき、受任者である組合は、「より良い街づくりを行うために自己の権利の処分を行うという組合員の事務を処理する」ものである。
 そして、組合が、組合員に対して自己の目的を実現することに助力するにあたり、より良い街並みの中での居住の権利に変容させることについて裁量性があるので、組合には、組合員の利益を実現することについての「独立裁量性」がある。そして、組合員は、組合が、組合員の権利を、より良い街並みの中での居住の権利に変容させて、組合員の利益を実現することのために業務を行うように、組合員として議決権を行使するのであり、それを通じて組合を統治し、その行動に信頼を置くという「信頼関係性」がある。
 以上のとおり、組合による目的のための業務の遂行には、委任の持つ事務処理性、独立裁量性および信頼関係性が認められる。したがって、組合は、組合員の「より良い街づくりをすること」へのニーズを充足するために最善の結果となるように努力する義務を負い、組合員に対し、組合員の利益だけを考えて「より良い街づくりをすること」を行わなければならず、「自己又は第三者の利益を考えることを排除しなければならない」という忠実義務を負っている。

(2)協同組合としての組合の原理
 市街地再開発組合は、土地の権利者が組合員となり、組合員として議決権を持ち、組合を統治して、事業の利用者の利益を実現する事業を行う実質的な協同組合である。
 協同組合とは何かについて、ネイサン・シュナイダーは、「協同組合とは組合員が所有し、組合員によって、組合員のために運営されている事業である。」とする [14]
 協同組合の組織原理は、「利用者が望む事業を行う事業体を、利用者が統治して事業の内容を決める権利がなければ、事業を望む人々のために事業が行われる保証はないから、事業の利用者に事業主体を統治する権利を与える」ことにある。
 協同組合とは、@組合員が事業を所有すること、A組合員が事業を統治すること、B組合員の利益を実現することが事業の目的である事業体である。
 Bの「組合員の利益を実現することが事業の目的であること」は、協同組合が組合員である事業の利用者に対して忠実義務を負っていることを意味している。
 市街地再開発組合は、組合員が定款の定めるところにしたがって賦課徴収金を支払って組合の費用負担を行い、組合員が議決権を行使して役員の選任、事業計画の決定、予算の作成等を行い組合を統治し、組合員の利益を実現する事業を行う。
 

 このため、組合は、@組合員が組合の事業を所有すること、A組合員が組合の事業を統治すること、B組合員の利益を実現することを組合の事業の目的とすること、を組織要件とする協同組合である。
 この場合、協同組合には一般に加入する意思のある者は加入でき、脱退する意思のある者には脱退する自由があるが、市街地再開発組合の場合はどうか。
 まず、地権者は、当該地域から転出する自由があるので、事業により権利を取得することなく補償をもらうことにより、組合から、実質的に脱退する(44条は議決権を失うことを規定する。)。
 地権者が組合への参加を強制される制度は、市街地再開発事業の目的が、市街地再開発事業の事業施行区域内の土地に関する権利を集成して権利変換を行うことなので、施行区域内に土地の権利者の組合への参加の強制は必要である。
 権利変換を受ける土地権利者が組合への参加を強制されることは、当該地域の土地の権利者であるということの中に、その地域の街づくりに参加する義務があるという土地所有権に内在する制約があるところに、土地権利者が組合への参加を強制されることの根拠がある。
 協同組合に加入自由の原則がある理由は、加入する意思のある者の加入を拒まないという開かれた組織でなければならないことに根拠がある。施行区域内の土地権利者がすべて加入する組合は、地域の土地権利者は誰もが入る点で地域の住民に対して開かれている地縁共同体である。地縁共同体としての組合は、良き環境で居住する住民の権利を実現するため、地域の街づくりを決定し実行していく権限を持つ必要がある。
 組合が街づくりを実行する権限を持つことを正当化するものは、組合が地域住民の民意を担う機関として、民主主義による住民の多数の意思にしたがうところにある。

8 組合による街づくりの達成

(1)組合の負う忠実義務の具体的内容
 市街地再開発事業は、多くの人の権利変換を伴って街づくりを行うため、市街地再開発事業が中途で挫折して権利変換計画の実行が完了しないときは、多くの人にとって権利侵害が発生するおそれがある。市街地開発事業が挫折するときには、権利変換日の到来により、旧権利が消滅し、新権利が与えられることになっているにもかかわらず、新権利を得ることができないという損害、明渡しが実行されているときは居住者は居住権を失っているという損害、また、権利を失った人や建物を引き渡した人は補償を受ける権利が法定されているにもかかわらず、補償が実行されないという損害が発生するおそれがある。<
 このため、組合は、権利変換計画を実行するとともに法定された補償を行って市街地再開発事業を完成させて、組合員である地域の住民に安全で快適な住居に住むことができるという組合員の利益を実現する忠実義務を負っている。

(2)市街地再開発事業成功のための中小企業団体中央会による指導
 市街地再開発事業を完成させる方途としては、都市再開発法が事業完成を義務付けている中で、中途で挫折する要因として、組合員間の対立による組合業務の停滞による事業の停滞のおそれがある。
 地域一体の土地権利者によって行われる集団的な意思決定の過程は、民主主義そのものであり、民主主義に即した意思決定を行う過程が組合であり、組合の意思決定の停滞によって中途で挫折するおそれを排除していかねばならない。
 このため、組合における意思決定のプロセスが適正に行われるよう指導していく機関が必要である。
 組合という事業体の活動の適法性を確保し、組合の意思決定における民主主義的過程が適切に行われるように、組合の活動を見守り、指導していくことが必要である。
 中小企業団体中央会は、協同組合の議決権制度などの民主主義的な制度や、組織の適法性、会計の適切性などを確保することを目的として中小企業団体に対する指導を行う唯一の指導機関である。
 中小企業団体中央会が、中小企業団体に対する指導で培ってきた、協同組合の民主主義による運営や、意思決定プロセスの適切性、会計の適切性を確保することの指導のノウハウを活用し、組合が、市街地再開発事業の事業を成功裡に完了させていくことに対し、指導を行うよう制度改正を行うのが適切である。
 市街地再開発組合は、中小規模の事業者を構成員とする団体として、商工中金の融資対象とされているものであり、商工中金が組合への融資を行うことと併せ、中小企業団体中央会が、組合の運営に対する指導を行い、両機関が一体となって、組合を物心ともに支え、市街地再開発事業が成功裡に遂行されることを期すべきである。

(3)市街地再開発事業の財務的な問題の改善策
ア 市街地再開発事業は、建物建築などの事業費と権利変換不同意者への補償額などの支出を、マンション建設後の保留床(転出者の分として作られたマンションの区分所有権の売却による収入と補助金と事業における公共施設についての管理者負担金の収入によって賄うことで成り立っている [15]
 しかし市場の不動産価格の急落など、事業計画作成時に予測し得なかった外部的要因による収入の減少などにより、収支が均衡しなくなり市街地再開発事業が中途で挫折してしまう危険がある。
イ 市街地再開発事業が中途挫折することとならないように、事業を完遂させることの制度的な担保として、事業代行の制度がある。
 都道府県知事は、監督処分によって組合の事業の遂行を図ることができないと認めるときは、事業代行者として、自らを、または市町村長を定めることができ、これによって事業代行者は、組合の業務執行権、財産管理処分権を取得し、事業を続行する制度である。
 事業代行は、伝家の宝刀的制度であり、これを行うことは都道府県知事の判断であり、必ず行われるという保証はない。
 事業挫折に対して、事業代行が行われないときには、事業主体について、破産手続ないし民事再生手続という倒産手続が行われることも考えられる。この場合、未払いの91条や97条の補償金支払請求権は、破産債権ないし再生債権となって、破産財団の清算配当ないし再生計画による権利縮減後の弁済となって、権利全額の支払いはなされないことになる。
 倒産手続が選択されたとき、関係者に生じる損害が解消されるためには、再生債務者となった組合もしくは、組合に代わって新たに市街地開発事業の事業実施主体となる新事業者が、市街地再開発事業を続行し、市街地再開発事業を完了させることが必要である。
ウ 以上のような、中途で事業が挫折するおそれを解消するために必要なことは、組合の財政が破綻するリスクをできる限り低減することである。
 組合の財政が破綻するリスクが発生する原因は、市街地再開発事業の収支を均衡させることを内容とする事業計画を作成した後において、市場の不動産価格の急落によって、保留床の売却価格が低下し、補償金の支払いを償うだけの収入が得られなくなってしまうことなどであり、このような事業計画時に予測しなかった外部的要因により、収入の減少などにより、組合の収支が均衡しなくなるものである。
 これを避けるためには、収支計画と実際の収支にズレが生ずることを防ぐ必要があり、このズレを生じさせる外部的な要因による収支の変動を抑える方策が必要である。
エ 組合の支出の主なものは、既存建物の除却費用、マンション建設費、緑地その他の公共施設整備費、権利変換不同意により転出する者に対する補償金支払いである。これに対して、組合の収入の主なものは、マンション建設後の保留床(転出者の分として作られたマンションの区分所有権)の売却による収入と建設後の補助金収入と事業における公共施設についての管理者負担金の収入である [16]
 上記の支出のうち、既存建物の除却費用、マンション建設費、緑地その他の公共施設整備費の支出は、補助金収入と公共施設についての管理者負担金によって賄われる。
 これに対して、権利変換不同意により転出する者に対する補償金支払いの支出は、転出する者の分として新建物に設定された区分所有権(保留床)の売却による収入によって賄われる。
 問題は、転出する者に対する補償金支払いは、次のとおり91条補償、97条補償とも、既存建物の除却が始まる前に支出されなければならないことである。
オ 旧建物を解体し新建物を建設する工事を行うことができるのは、旧建物の居住者の旧建物に対する権利が消滅し、居住者の立ち退きが終わったときになる。
 従前の権利が消滅するのは権利変換期日であるが、地区外移転を希望した地権者に対しては、従前の権利が消滅することとなる権利変換期日までに、従前資産の評価額を支払わればならないこととされている(91条)。
 そして、居住者に立ち退くことを要求できるのは、その家屋に居住する権利を失って、明渡しをする準備ができていない人に30日の猶予期間を設定し、その期間が経過した後とされており(96条)、明渡しをしなければならない地権者と借家人に対し、明渡しに伴い通常受ける損失額の補償を行わなければならない(97条補償)。
 この補償額の支払いは、明渡しをしなければならない明渡し猶予期間終了日までにしなければならない。
 以上のとおり、地区外移転を希望した者に対する補償は、91条補償、97条補償とも、建物を明け渡し、建物が除却されるより前に支払われなければならない。



カ これに対して、保留床の売却による収入は、マンション建設後に得られる金員であり、これらの支出と収入の間にはこのような時間差があるため、この時間差の間に、外部的要因によって、収入が予定よりも減少するおそれがある。
 このため、市街地再開発事業の財務的な問題を改善するためには、保留床について、市街地再開発事業の全体計画を決定する際の予定販売価格から、実際の売却価格の変動についての価格変動リスクをカバーする必要がある。
 この価格変動による収入の予期せぬ減少が発生することを防ぐためには、マンション建設後の保留床の売却を、既存建物の除却が始まる前の補償金の支払時に行うこととすれば、転出者分の保留床の売却と転出者に対する補償金の支払時期が一致し、保留床の売却代金をそのまま転出者への補償金支払いにあてれば、この限りで清算を行われ、組合の財政が損害を受けることはない。
 このため、保留床というマンションの販売価格が不動産市況の悪化により低下したときにも、組合が予定していた販売価格収入を得るためには、マンションが建設される前に、マンション建設によって作られる保留床を売却することが必要である。
 したがって、マンション建設前に、未だ現実には作られていないマンションの区分所有権を不動産REITに売却する、ないしは将来債権である保留床の売却代金債権を証券化して市中に販売することを行う必要がある。
キ 民間企業による市街地再開発事業においては、保留床の数を増加させることにより、事業の採算性を向上させることが可能であるが、本稿で提案している市街地再開発事業は、密集住宅地域の危険除去と環境問題の解決として、居住人数を増やすことなく、マンションと緑地を創出する市街地再開発事業を行うこととすべきであるので、保留床の数は、原則として地区外転出者の数と一致しており、採算性を向上させる余地が限られているので、価格変動リスクをカバーする必要性は高い。
 このため、保留床の売却価額が予定したとおりに売却できるようにするためには、権利の補償額を支払う時点で、完成後の保留床を、補償金支払い時に、不動産REITに売却すること、ないしは将来債権である保留床の売却代金債権を証券化して市中に販売することを、組合の事業実施において義務付けることが必要である。
 将来の保留床の市場での売却により、予定していた保留床の販売価格に到達しないことも考えられる。将来の保留床に対する市場の評価が、増床しないで緑に囲まれた居住環境になることの価値を適正に評価しないリスクもあるからである。このリスクは、証券化という手法だけではカバーできないので、その場合には、市場の評価の歪みを是正するために、公共団体が将来権利を買い上げ、のちに市中に売却するとの措置を検討する必要がある。
 密集住宅地域の土地問題の解決として、居住人数を増やすことなく、マンションと緑地を創出する市街地再開発事業の公益性の高さからの措置であるが、モラルハザードとならないよう、公共団体の組合の管理に対する命令権の行使を受け入れることを条件に買い入れる旨の規定を設けることが考えられる。

9 組合の設立要件の検討

(1)現行の設立要件
 現行法では、組合を設立するためには、定款と事業計画について、設立区域内の権利者である土地所有権者と借地権者のそれぞれについて頭数と所有面積の3分の2以上の同意を得て認可申請することが、設立要件として必要とされている。
 これは、組合設立により、設立区域内の権利者が組合員となることにより、権利変換計画により、組合員の従前資産についての権利が、従後資産であるマンションの区分所有権に変更することとなる等の所有権等の処分を行うことは、所有者等の個別の同意を要することなく、設立区域内の権利者の頭数と所有等面積の3分の2以上の同意を得て組合を設立することによってできるとされているものである。

(2)マンションの建替えにおける総会決議要件の変遷
 所有者の権利の変更をすることについて、所有者の個別の同意を得ることを要しないとされていることは、マンションの建替えにおいても同じである。
 マンションの建替えとは、マンションの建物を取り壊して新たに建物を建築することであり、その区分所有者はマンション取り壊しによりいったん権利は無くなるが、新たなマンションを建築してそこに区分所有権を取得することになるというので、権利の消滅、発生という権利の変更が行われるものである。
 現行法制度は、マンションの管理組合法人の集会において組合員の頭数と専有部分の床面積の5分の4以上の多数により、建替えを決議することを認めている(建物の区分所有等に関する法律(以下「区分所有法」という。)64条)。
 マンションの建替えの決議要件に関する法の規定は変遷しており、その変遷過程を、組合の設立についての同意要件の検討の参考としてみてみる。
 所有権は、所有物の使用収益処分を自由に行う権利であるが、その内容は民法が定めており、民法206条は、所有者は自由に所有物の処分をする権利を認め、民法251条は、共有物の変更について、共有者全員の同意で行うこと認めている。


 区分所有権のマンションは、専有部分は区分所有者の単独所有であり、共用部分は区分所有者の共有物であるから、単独所有部分の所有権の処分については、所有者による処分を認めている民法201条が適用され、共用部分の共有物の変更について、共有者全員の同意を要求している民法251条が適用される。
 このため区分所有法の制定時(1962年)の12条は、マンションについて、建物を取り壊して新たに建物を建築すること(建替え)に関し、マンションの区分所有者の全員の同意をもって行うこととしていた。
 しかし、区分所有法を全面改正した1982年法(現行法)は、62条で、区分所有者及び専用部分の床面積の割合に応じた等の議決権の各5分の4以上の多数で、建替えの決議をすることができることとした。
 建替えの決議について、旧法の「全員一致主義」から、現行法の「5分の4以上の多数決主義」に変更されたのは、多数意見に賛成しない者の利益を保護するために必要な代償措置を設けることによって、建替えに反対する者にも建替えを受け入れることを要求できるとされたからである。
 代償措置は、第一に、建て替えに参加しない者の区分所有権を「時価」で売り渡すとの請求権を、建替え決議に賛成した区分所有者等に与えて、反対者に「時価」による金銭的補償を与えたこと(同法63条4項)と、第二に、売渡請求権が行使され、専有部分を明け渡さなければならなくなった建替え不参加者のため、裁判所がその明け渡しにつき1年を超えない範囲内での猶予期間を与えることができること(同法63条5項)である。
 このような代償措置を伴うことによって、「5分の4以上の多数決主義」をとることができることとされたのは、区分所有のマンションに関して、民法206条、民法251条という一般規定に対し、区分所有法が特別規定になり、特別規定が一般規定より優先適用されるとの関係になっているからである。

(3)組合のあるべき設立要件と権利変換計画の議決要件
 上記の区分所有法の規定が、区分所有のマンションに関して、所有権の変更は、全員一致でなく、反対者がいても特別多数の議決で専有部分と共用部分の処分ができることとされた理由は、建物の区分所有においては、建物の老朽化により区分所有者の互いの所有物が、互いの所有権に悪影響を与えるという関係にあることにより、個々の所有権の行使についての絶対的自由を制限して、個々の所有権の内容を保全するために、所有者全体の多数決により、共有物の変更についての決定を行う必要があることである。
 この理は、スプロールによって作られた密集住宅街において、土地権利者の互いの所有権等の権利が、互いの居住の安全性を損なうという、互いの所有権等の権利の内容を制限する関係にあるから、個々の所有権の絶対的自由は制限される必要があり、個々の所有権者が他の所有権者と権利の調整を図って安全で快適に居住する権利を実現するために、所有者等の権利者全体の多数決により、市街地再開発により街づくりを行うことが認められる必要があることに、そのままあてはまる。
 従来の建物を除却し、新たに居住するマンションを建設するとの市街地再開発による街づくりは、個々の所有者の意思に委ねられるのではなく、住民の多数の意思で決定されるべきであり、街づくり事業を行う事業体である組合の設立と、組合による街づくりの実行は、多数決により決することとする必要がある。
 この多数決のやり方に関し、現行法は、組合の設立要件について、土地の所有者と借地権者のそれぞれの3分の2の同意と同意する者の所有ないし借地の地積が区域内の宅地と借地の総面積の3分の2以上になることを必要としている(法14条)。設立要件を、土地の権利者の過半数の同意に代えて、3分の2の特別多数の同意が必要として、厳重化している。
 しかし、スプロールによって作られた密集住宅街において、土地権利者の互いの所有権等の権利が、互いの居住の安全性を損っていることに対し、これを全体として改善するための地域の街づくりは、組合の構成員となる住民の多数の意思で決定されるという民主主義によって行われるべきである。民主主義の原則は、是とするのか否とするのかにつき、住民のうち否とする者を、是とする者が上回ることで決することであるから、市街地再開発による街づくりを行うための組合の設立は、地域住民の過半数の同意によって決することとすべきである。
 組合設立に3分の2の同意を要するとしていることを正当化する理屈としては、「組合の設立に同意しないで、地区外転出する者が3分の1以下に減り、補償を要する人の数を減らす」という意味合いがある。反対者を減らして、地区外への転出により補償金の額が膨らむことを抑えて、市街地再開発事業の支出を過大にしないという意味がある。
 しかし、地域外に転出していく者への補償の支払いの原資は、保留床の売却によって確保するのであり、転出者が増大する分、保留床の面積は増大するのであるから、地域外に転出していく者の数が増減することは、組合の財政を悪化させる要因にしないことができる。前に記載したとおり、保留床の売却価額が予定したとおりに売却できるように、転出者に補償金を支払う時点で、将来債権である保留床の売却代金債権を売却することによって達成することができる。
 したがって、組合設立に3分の2の同意を要件とすることは、市街地再開発事業の収支を安定させるという正当化理由にはならない。
 設立要件として、事業計画について3分の2以上の地域住民の同意を得ることを要件としていることは、過半数の地域住民の同意を得ることよりもはるかに厳しい要件を課しているものである。様々な個性を持つ地域住民の中には理由が何であれ反対する人は一定程度いるのであり、地域住民の同意者の割合を高くすることは、反対する者を賛成に回らせるために、市街地再開発事業の事業計画を、反対者に迎合的なものにしなくてはならないという状況を生み出すおそれがある。それは、市街地再開発事業の事業費を過大なものにすることを通じて、組合が市街地再開発事業を完成させるという組合員への忠実義務の履行を難しくするおそれがある。
 以上のとおり、組合の設立要件は、民主主義の意思決定の原則である地域住民の過半数の同意とすることが必要である。

(4)組合の設立における多数の意思のあるべき要件
 組合における多数の意思による決定の方法は、組合員となる土地権利者の頭数の過半数の賛成と土地権利者の土地所有面積の過半の賛成の両方の賛成があるときとすべきである。
 頭数と面積の両方の要件がかかるのは、頭数の少数の人々による意思決定は、多数の意思による決定があったとは言えず、また、面積で少数の人々による意思決定も、多数の意思による決定があったとは言えないからである。
 また、現行制度は、土地所有者と借地権者は、単純に合計できないため、それぞれの特別多数の同意があることを設立要件としているが、議決グループを二組に分けることは、意思決定を困難にするものであり、借地権者は、そもそも当該借地の底地権者と一つの土地所有権を分け合っているのであるから、その地域の借地と底地の権利割合で一つの土地所有権を分割した同意権を持つこととしたうえで、全体で過半数となることを同意要件とすべきである。

(5)マンションの建替え決議の議決要件
 市街地再開発事業の完了により、組合は解散し、建設されたマンションの管理は、マンションの管理組合法人が行うこととなるが、そのマンションについて更新の必要が生じたときは、建替えの問題になるので、マンションの建替え決議のあるべき議決要件についても検討する。
 現行法は、マンションの建替えにつき、区分所有者及び専用部分の床面積の割合に応じた等の議決権の各5分の4以上の多数で、建物を取り壊し、新たに建物を建築する旨の決議をすることができることとしている。
 しかし、マンションの老朽化が進行したとき、各区分所有者が所有するマンションの専用部分と共用部分の老朽化の進行により、他の区分所有者が所有するマンションの専用部分と共用部分の安全性や快適な所有権の行使を侵害しているのである。
 このように建物の区分所有においては、区分所有者の互いの所有権が、互いの所有権の内容を制限する関係にあることにより、個々の区分所有者が他の区分所有者と権利の調整を図って安全で快適に居住する権利を実現するためには、所有者の全体の意思でマンションをどうすべきかを決すべきである。区分所有者の多数の意思の決定方法は、民主主義の原則である多数決により決すべきであり、区分所有者の頭数と面積の過半数を、マンションの建替え決議の要件とする必要がある。
 建替え決議要件を5分の4にしていることは、建替えに反対する者の区分所有権について売渡請求権を行使することの経済的負担を重いものにしないという意味合いがある。
 しかし、建替えに反対する者の区分所有権について売渡請求権を行使することの経済的負担の原資を、建替え後の保留床の売却代金によって確保することとすれば、建替え決議に反対した者の区分所有権の売渡しが増大する分、保留床の面積は増大するのであるから、建替え決議に反対した者の数が増えることは、建替え決議に賛成した区分所有者等の経済的負担にはならない。そのことは、保留床の売却価額が予定したとおりに売却できるように、建替え決議に反対した者の区分所有権の売渡しを受ける時点で、将来債権である保留床の売却代金債権を売却することを制度化することによって達成することができる。
 マンションを更新するのは、建物の寿命が有限である以上、必然的に行わなければならないものであり、街づくりを目的とする市街地再開発事業の実施のための組合が、過半数による意思決定で、街づくりを目的とする市街地再開発事業を実施すべきことからは、その後でのマンションの更新のための建替えについても、権利者の多数決により意思決定をすべきである。

第7 おわりに

土地所有権をめぐる権利調整を行うことは大変であるが、防災や環境保全上大きな問題を抱えている都市や街をそのままに放置することは、適切な選択ではない。
 災害によって大きなリスクが発生する危険を感じながら、現実の生活を変えることの困難性ゆえに、現状に甘んじていることは、後で大きな災害が発生してしまった後に正当化できるものではない。
 事故あるいは災害が起こる前に、リスクに見合った適切な対策を取ることは、今を生きるすべての人の責務である。
 市街地が無秩序、無計画に拡がって形成された密集住宅を、望ましい街並みに変えていくためには、密集住宅街の街並みをもう一回最初からやり直すしかない。
 それを形成する方法は、土地の権利者たちが、土地の利用形態を全体的に改善する合意をするための過程として、組合の活動によって街づくりをしていくことである。
 スプロールによって形成された密集住宅街を変えていくことは、災害が起こる前にリスクに見合った適切な行動を取るものとして、すべての人にとって必要である。



[1] 石川幹子「都市と緑地」岩波書店4頁(2001年)

[2] 石川幹子「都市と緑地」岩波書店22頁(2001年)

[3] 石川幹子「都市と緑地」岩波書店87頁(2001年)

[4] 石川幹子「都市と緑地」岩波書店135頁(2001年)

[5] 大塩洋一郎「日本の都市計画法」ぎょうせい22頁(1981年)

[6] 大塩洋一郎「日本の都市計画法」ぎょうせい23頁(1981年)

[7] 石川幹子「都市と緑地」岩波書店263頁(2001年)

[8] 東京の都市計画」(岩波新書)についてのネット上の読者の感想

[9] 中川理「風景学」共立出版78頁(2017年)

[10] 中川理「風景学」共立出版79頁(2017年)

[11] 隈研吾「自然な建築」岩波新書29頁(2008年)

[12] 逐条解説建築基準法編集委員会「逐条解説建築基準法」ぎょうせい853頁(2012年)

[13] 山本豊編集「新注釈民法」(14)(一木孝之)有斐閣253頁

[14] ネイサン・シュナイダー「ネクストシェア」東洋経済新報社342頁(2020年)

[15] 国交省市街地整備課監修「都市再開発法解説」第8版大成出版384頁(2019年)

[16] 国交省市街地整備課監修「都市再開発法解説」第8版大成出版384頁(2019年)
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実重重実さんの感想
「自然保護と防災の街づくり 」を読み、 都市作り・ 都市計画について、現在 これほど 夢があって かつ制度的にも緻密な提案ができる人はいないのかもしれないと思いました。

実重重実さんの感想
自分の理想をこれだけ緻密に、また制度的な裏付けまでも含めて分析し提案することができることは、官界、法曹界、学界という3つの世界にまたがって研鑽を積んで来られた饗庭さんならではのものだと思いました。
その上で、私は3つの立場から感想を申し述べさせていただきます。第1は、20代以降私は11年間にわたって土地改良制度(土地改良法や換地制度)に関わってきてきたということです。第2は、30代の3年間パリに居住したということです。第3は、私が本来子供の頃から現在に至るまで心に秘めてテーマとしている自然生態系の中における人間の位置づけということについてです。
 第1の土地改良制度との関連で本論文について思うのは土地改良制度が2/3強制という半ば公的な手法を持って一定の地域内における農地の集約・改良を図っていますが、それと同様に市街地の再編整備についても、公的なあるいは強制的な色彩が従来以上に強化されるべき時期になってきているのだろうということでした。
 土地改良法やため池についても、最近累次の改正が行われ、農業者の発意でなく国や都道府県、市町村の発意により農業基盤整備事業を行うこと、権利者・農業者等に対する権利侵害がない場合には同意徴集なしで事業を実施できることなどが法定化されています。来年の通常国会にはその方向をさらに拡張して、改正法案を提出することが検討されているとのことです。その背景には、土地改良施設等がすでに老朽化し、このまま放置したのでは災害面や安全性の面で危険が増大するということがあります。都市部におけるスプロール化した密集住宅地についても、全く同様の状況が強まっているものと思います。
 第2のパリに住んで思ったことは、論文で指摘されているル・コルビジェのように高層建設物に居住することで緑地を創出するといった考え方が、パリではすでにある程度実現しているのではないかということです。ナポレオン3世時代の都市計画にその根源があるようですが、今もパリのペリフェリック(環状高速道路)の内側は、一戸建てを建設することはできず、すべて高層建築になっているはずです。また最近では、多くの道路を一方通行にして、片側を自転車専用道路にしているようです。もともと街路樹などで緑が深かった都市ですが、さらに自動車交通からの脱却などに強く配慮をしているところは、さすがだと思います。
 日本の場合、東京の都市再開発によって、パリなどとは比較にならないほど高層のビルが次々と建築されていきます。しかしその代替として緑を拡張するという饗庭さんの指摘のような発想はあまりないのではないでしょうか。神宮外苑の木を伐採して建築物を建てるということになどに象徴されていると思います。
 日本は依然として利潤追求という感覚が強く、緑の植栽、自然環境の拡充といった発想が乏しいことを極めて残念に思います。
 なお、ナポレオン3世時代のパリの街づくりは、植民地の犠牲による富の集積によって形成されたものではないかと推測していますが、今の日本に美観を伴う都市を形成していくだけの国力や富があるのだろうかという点も心配なところです。
 フランスの人たちは何が自分の人生にとっての幸せかということをひたすら追求する人たちであり、そうした点は日本人も見習わなければならないと思います。
 まだまだ日本人は、自分の所属する組織の利害を追求することがまるで人生の目的であるかのように誤解をしている人が多いのではないでしょうか。
 第3に、生物・自然という観点からですが、論文で指摘されているような高層化とそれに伴う緑地の拡大という考え方に、私も全面的に賛成します。その場合、点として緑地化をするだけでは十分でなく、緑地と緑地がネットワークでつながることが必要だと思います。緑地とは、植物の生育する場所ですが、植物の生育する場所には必ず昆虫、鳥を始めとする様々な小動物、菌類、細菌など多様な生物種による生態系が成立します。その生態系が点として孤島のように存在しているのでは、環境変化に対して大変弱いものがあります。生態系は、島と島とが繋がってこそ、本当の意味での生態系になるものと考えています。したがって、都市計画、あるいは街づくりにおいては、緑地のネットワーク化ということが重要なものと考えます。
 また、その緑地の管理ということも重要です。管理には、コスト又は労力がかかります。
 私が仕事としている山村に関して言えば、国土の約半分の面積、全国の森林の約6割の森林を山村の人々が管理しています。その人々は人口のわずか2.5%に過ぎません。
 論文では、都市再開発事業等やマンション区分所有権等について饗庭さんの専門領域である法的な観点から緻密に検討がされていて、さすがだと思います。特に、行政が計画を作り、住民が組合によって民主的に事業を実施するという仕組みはよくできていると思います。
 その上で考えたいのは、そうした建築物や緑地・景観や美観地域を形成するだけでなく、その地域による恩恵を享受する人々が管理していかなければならないということです。山村の人々は、先祖伝来の伝統に従って、ほぼ自発的にほぼ無償で、自分の身の回りの自然を管理しています。例えば公共物である河川敷の草刈りを、公共物などとは意識しないで、毎年行っている老人夫妻がいます。この夫妻は、自宅のそばの河原で草刈りをするのは、先祖伝来の当然の役目だと思っていることでしょう。
 都市の組合や自治会においても、緑地を作った後は、そうした自発的な景観・植生・自然の管理というものが極めて重要になっていくと考えます。それは自分の住んでいるところから得られる恩恵への感謝と、住む地域への愛着から自然に沸き起こってくるものでなければならないと思います。

 最後に、私自身が秘かに思っていることについて述べさせていただきます。所有権という概念は、おそらく古代ローマあたりに発祥があるものと思われますが、生物学的に見れば、おそらく縄張りという概念の固定化したものなのでしょう。
 しかしその縄張りを権利という形で外形化して、評価したり売買したりするという人間の生態は、生物としては極めて特殊なものだと思うのです。イヌイット、アイヌの人たち、あるいはアメリカのネイティブ・インディアン、おそらくは縄文時代の日本人にも、さらには江戸時代までの里山に暮らす人たちにも、所有権などという概念はなかったことでしょう。自分の住む範囲が縄張り的に存在するというだけのことだったものと思います。
 そうした人々にとっては、自分という存在は自然の一部を所有しているというのではなくて、逆に自然の中の様々なネットワークの一部として、その結節点にすぎないのだという観念が強かったものと思います。それが縄文時代のアニミズム的な思想であり、やがて神道になっていたのではないでしょうか。
 現在これだけ世界的に定着した所有権というものについては、それを前提にものごとを考えざるを得ないわけですが、所有権の概念自体が極めて奇妙で特殊なものである、ある意味では異常なものである、ということもまた考えておかなければならないことだと私は思います。
 ヨーロッパが育んできた人間中心主義ではなくて、むしろヨーロッパ以外のあらゆる民族が原始的な感覚で持っている「自然こそが主人であって、人間はその懐の中に招かれていて、短期間だけ去来する客人なのだ」という観念が、これからの世界にとって重要になってくるのではないでしょうか。
 都市作りにおいても「緑を作る」というのではなくて、「緑があることによって酸素を頂いて我々が生かされている、したがって植物と人間の円滑で適切なネットワークを形成することが大切なのだ」という考え方に変わっていくことを私は願っています。

実重重実さんのプロフィール
 全国山村振興連盟常務理事兼事務局長 元農林水産省農村振興局長。
 著書に「生物に世界はどう見えるか」、「感覚が生物を進化させた」、「細胞はどう身体をつくったか」、(以上新曜社)、「森羅万象の旅」(地湧社)など。

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その他の論文

日本の緑化から始まる地球の森林保全

T 地球における森林減少
U 開発途上国の森林減少を食い止めるために先進国がしなければならないこと
V 先進国の森林化
W 日本における森林化
X 都市の緑化
Y 人間の生き方を、森林という自然環境と共存させていくこと


T 地球における森林減少

1 森林減少を抑制するための国際的合意づくりの失敗
 森林を保全することは、森林を住みかとする生物を保護して地球の自然環境を保全し、また二酸化炭素を吸収することにより地球温暖化を防止することになる。

しかし、森林は人間の活動によって大きな影響を受け、地球上で急速に減少している。森林の減少は1970年代から顕著となり、森林が急速に消滅していることが各方面で問題とされるようになった。世界中で森林が減少していくことに対して、森林の消滅ないし減少に歯止めをかけ、減少のペースをダウンさせることを国際的な枠組みによって達成しようという考え方の下に、国際条約を作って、各国が国内法を整備して森林に害を与える行為を取り締まっていくことを国際的に監視する必要が主張された。

この動向を受けて、1992年の国連環境開発会議において、森林を保全するための条約づくりが試みられた。国連環境開発会議は、21世紀に向けて地球環境を健全に維持するための国家と個人の行動原則(環境と開発に関するリオ宣言)、地球温暖化についての「気候変動に関する国際連合枠組条約」、生物の多様性に関する条約などを採択した。同会議は、「持続可能性ある開発」(sustainable development)の概念を世界に定着させ、SDGs(持続可能な開発目標)を国際連合の目標とすることの礎を築いた。

それにもかかわらず、国連環境開発会議は、主要な目的の一つとしていた森林を守るための法的拘束力のある条約を作ることに失敗し、森林を保全することができなかった。このような結果になった原因は、開発途上国側が、自国の森林について天然資源としての役割を重視し、その開発・利用のフリーハンドを確保しようとして、熱帯林をはじめとした森林が減少することを停止させるための法的拘束力のある国際的な取決めや合意を作ることに反対したためである。

開発途上国側は、会議において、森林の利用を制限することは国際法やストックホルム宣言で規定されている「自国の資源を開発する主権」への挑戦であると主張し、世界における森林減少は、ヨーロッパ等がその経済発展のために、産業革命以降、森林を減少させてきたことによるものであり、先進国が自国の森林資源を減少させてきた責任からは先進国においてこそ緑化が推進されなければならないと主張した。世界の森林減少を防がねばならないと主張する先進国と開発途上国の対立により、国連環境開発会議は、森林の減少を防ぐ条約を作ることができなかったことに加え、そこでの「環境と開発に関するリオ宣言」は、国際連合における自然保護の理念を変質させることになった。

それまでの国連における自然保護の考え方は、1982年に国際連合で決議された世界自然憲章に盛り込まれている、「自然保護と人間の経済開発活動とを調和させるためには、最大限に自然を保護しながら、その中で可能な人間の経済開発活動を精査することが必要であり、経済開発行為を行う前に環境に与える影響についてアセスメントを行って、その厳格な審査を通った経済開発行為のみ行うことが認められる」という考え方であった。

しかし、経済開発行為を行う前に環境アセスメントを常に要求することは大きな負担となるため、自然環境に不可逆的な悪影響を与えない限り、経済開発行為を自由に行えるという考え方を正当化したのが、1992年の「環境と開発に関するリオ宣言」の「持続可能な開発」という概念である。環境アセスメントなしに経済開発行為を行いうることを認めて規制を緩和したものであり、自然保護に悪影響を与えないように環境アセスメントを行うという先進国に共通する自然保護のための開発規制のレベルを、環境アセスメントの実施を自国の判断で必要な範囲に限定して経済開発行為を行うことを認める開発途上国の規制レベルに、国際連合のスタンダードを引き下げることを意味する。

この「持続可能な開発」の概念によって開発途上国における自然保護のレベルがスタンダードとなり、先進国が国際連合内の指導的役割を持って各国の自然保護を牽引していくのではなく、開発途上国が多数派として強い発言力を持ち、SDGs(持続可能な開発目標)等の環境政策においても、開発途上国の経済開発を支援する目的に大きな比重が置かれることになった。

このような経緯により、国際連合が、地球環境を保護していくための実効的な役割を果たすことは難しくなっている。

2 国連環境開発会議以降の森林の減少

国連環境開発会議が開催された90年代以降も、世界の森林は、伐採され、他用途の土地に転用され、そして地球温暖化の中で発生する大規模な火災により減少している。

世界の森林面積の減少率は、1990年から2000年は年平均0.19%であったが、2010年から2020年には年平均0.12%となっているため、森林の他の土地利用への転用速度が減少したかにみえる。

しかし、これは砂漠化をおそれて植林を進めている中国が発表する数字が含められており、中国での植林事業の困難さと中国以外の開発途上国で森林が減少していることを考えれば、森林減少国の森林減少量を合計した数字の動きこそが重要である。そこで、中国での森林面積の増減を除いて世界の森林面積の動向を見ると、世界の森林面積の減少率は、2010年から2020年には年平均0.16%であり、高い減少割合を保ったままとなっている。熱帯、とりわけアフリカ、南米、東南アジアで大規模に森林が減少しているのである。

国際連合食糧農業機関(FAO)「世界森林資源評価2020;Global Forest Resources Assessment(FRA)2020」の統計を基に、1990年から2020年の森林面積の減少が今後継続すると仮定して計算すると、減少面積の上位国のうち、アマゾンの森林が過去50年で17%減少したブラジルは333年、アマゾンと並ぶ自然の宝庫であるインドネシアは128年、カンボジアは37年、コンゴは120年、パラグアイは52年の後に全森林が消滅してしまう。

豊かな自然である熱帯林を持っている国々で、近年中にも森林が消失する勢いで森林が急速に減少していることは、森林を住みかとする多様な生物を保護し、地球の自然環境を保全していく観点からは極めて大きな問題である。森林は地球環境の保全と経済社会の存続に重要な役割を担っており、森林の減少・劣化の進行を止めることは、各国、関係国際機関、等が協力して解決する必要のある地球規模の課題である。

U 開発途上国の森林減少を食い止めるために先進国がしなければならないこと

1 世界の森林減少は先進国の責任であるという論理

先述したように、国連環境開発会議において、開発途上国側は、森林の減少を一方的に停止させるための法的拘束力のある国際的な取決めや合意を作る交渉となることに反対し、先進国において緑化を進めて国土を森林化すればよいという議論を行った。

近年も、ブラジルのボルソナーロ政権は、アマゾンの森林の開発を積極的に行うことを容認し、大規模な森林火災にも有効な手を打たずにいたが、この対応についてフランス大統領を始めヨーロッパ各国が批判したところ、地球の森林を減少させてきたヨーロッパがアマゾンに関する内政について発言することはブラジルの国家主権を冒していると主張した。これは、1992年の国連環境開発会議で、森林の減少を防ぐための法的拘束力のある国際的な条約を作らせなかった開発途上国の論理を踏襲した主張である。

このような主張がブラジルのような大国の大統領によってなされていることは、今日に至っても、世界の森林減少は先進国の責任であって、開発途上国に押し付けるべき問題ではないという論理を否定することができないために世界の森林が加速度的に減少することを傍観せざるを得ない状況にあることを示している。

2 地球温暖化の主因は、森林減少であること

地球温暖化の原因は、二酸化炭素を主とする温室効果ガスの排出量が、地球レベルで拡大していることが原因であり、それを受けて、地球温暖化対策の推進に関する法律も地球温暖化を防ぐために温室効果ガスを削減していくことを人類共通の課題としている。

二酸化炭素の排出量がその吸収量を上回って地球レベルで増加しているのは、人間の活動領域とならない森林を地球上から減少させているからである。森林を伐り開いて地球上から減少させて二酸化炭素の吸収源を縮小させるとともに、森林であった土地をすべて人間の活動領域にし、人類の化石エネルギーの消費を増大させていることにより、二酸化炭素の吸収量が減少し、排出量がそれを上回って増大しているのである。

したがって、森林を減少させることと二酸化炭素を主とする温室効果ガスの排出量の増大との間には直接の因果関係があり、地球温暖化をもたらしているのは人間が森林を開く等して減少させていることが主たる原因である。

3 開発途上国の森林減少を食い止めるために先進国がしなければならないこと

先進国が開発途上国の森林を利用し開発する行為に干渉するのは、森林を開発し尽した先進国が開発途上国との間の経済格差を固定しようとする意図やエゴイズムとして行っているものではないが、このような主張を行う開発途上国に地球上の森林保全行動の開始を促すためには、世界の森林減少は先進国の責任という論理を口実にさせないための先進国側のアクションの必要があることを示している。

自然保護は、自然利用を制限することを伴うから、社会的にコストを要するものである。このコストを社会で負担しながら地球環境を保護するためには、世界の森林保全に反する行為を最小限化するように、各国で環境法制が整えられ、法の執行体制が整備されることが必要である。そして、それを保障するための国際条約を作るためには、開発途上国の不満に正しく応えていかなければならない。

そのためには、森林の減少を抑制し、自然を保護していくための負担を開発途上国にのみ押し付けるのではなく、森林保全のための開発途上国の努力に必要な痛み以上の痛みを先進国が受け入れ、先進国も含めて自然保護のための負担を分かち合うことが必要である。そして、先進国が、開発途上国に率先垂範する姿勢で世界の森林を守っていくための方策として、かつては森林状態であった土地を森林化し、自然を回復する努力を行うことが考えられる。

1992年の国連環境開発会議でも、拘束力ある森林条約が作れなかった代償措置として採択された、「全ての種類の森林の経営、保全及び持続可能な開発に関する世界的合意のための法的拘束力のない権威ある原則声明」森林原則声明」と略される)において、「世界の緑化のための努力がなされるべきである。すべての国、とくに先進国は森林の再造林、新規植林と森林の保全に関し積極的かつ透明性のある行動を適切な範囲でとるべきである。」としているところであり、先進国は、国内の森林を維持、回復していくことに大きな努力を払う必要がある。



V 先進国の森林化

陸上における地域一体の自然状態は、人間の手が加わらない限り、水資源の賦存状況に応じて森林または草地などとなる。このような人間の手が加わる以前の水資源の賦存状況に応じた森林または草地などの本来の姿に復旧し、生態系を復活させる努力が行われる必要があるが、国土を森林化する能力は、財源や技術など多くの困難を抱える開発途上国よりもむしろ先進国の方が高いと考えられる。

森林の伐採は農地や住宅としての土地利用のために行われてきたので、農地(特に耕作放棄地・荒廃農地)について、そして人々が暮らす都市についての森林化を検討する必要がある。

農地は、自然環境を食料生産という目的のために人工的に改変した環境であり、今日農地が形成されている土地においても、もともと森林地帯であった地域は、本来生物活動が盛んな森林地帯を形成するのが適切な地域である。森林や草原を農地に作り替えてきたことは、化学物質の散布による影響のみならず、土地、水、大気への蒸散作用、そしてそこに生息する生物に対して決定的な影響を与えている。また、広大な土地に一ないし少数の種類の作物を栽培している農業生産方式が、地球環境や生態系に対して、甚大な影響を与えていることについて再検討をする必要がある。

アメリカ合衆国の東側半分の国土は、17世紀には老齢林に覆われた土地だったのであり、そのような人間の手が加わる前の自然状態が回復されることは、地球環境にとって本質的な意義がある。そのために、かつて原生林であった農地で生産性の低い土地については、再森林化するために農地等土地の買入制度ないし樹林地化の助成制度を設ける方法がある。

イギリスは、その実践として農地を樹林地とすることの補助制度を設けている。具体的には、景域の改善、新たな野生生物の生息地、スポーツの機会を提供すること、木材の生産等を目的として、広葉樹を中心とした森林を創出し、環境保護基準と指針に従い、持続的森林管理に対して補助金を支出し、また、農地を樹林地に転換することに対して助成をしている。

世界中の国において、原生林をそのまま保全していくことのみならず、かつて森林であった土地を森林に戻していくことが重要である。

W 日本における森林化

日本でも、世界に対して森林保全を提唱するため、もともと森林であった土地を森林に復活させる努力が行われるべきであり、特に農村部と都市の緑化をしなければならないと考える。

 農村部は、緑が豊かなように思われるが、森林を伐り開いた土地が今日では人間のための可動空間として無意味に存在している土地が多くある。農家の高齢化の中で、相続人がいなかったり、放棄されている農地については、国が積極的に買収し、自然再生事業として森林として再生する事業を行うことが考えられる。また、森林を農地に転換した土地については、農地内に樹林地を設ける努力をすべきである。農地の中に樹林地を形成して森のそばで農業を営むことによって、より親自然的な農業の方法を実現できる。

そして、日本において最も注力すべきは、都市の緑化である。都市を緑化することは、農村部の緑化よりもはるかにコストが高いが、非常に困難に見える都市の緑化に取り組むことによって、国際社会に対して森林保全の決意を示すことができる。また、副次的な効果として、農村部はそれより低コストで緑化を実現できることが理解され、農村部の森林回復を促進することができる。

X 都市の緑化

1 地球規模で森林を拡大していくためには、先進国と開発途上国を問わず、人類の生活様式、人間の生き方を、森林という自然環境と共存するというパラダイムへ転換していくことが必要である。そして、それを実現するために、個人のレベルにおいて森のそばで暮らすライフスタイルを実現できる環境を整備することが重要である。

先進国において、森林を開いて都市的な土地利用が行われていることの意義を否定することはできないが、これらの都市的な土地利用と森林を保全・増殖していくことを両立させることは可能である。

日本においても、都市に転換されたかつて森林であった土地に、森林を再生することができれば、その価値は大変大きい。今日でも緑が失われ続けている関東平野において、失われた森林地域として象徴的な場所に武蔵野がある。かつて森林であった武蔵野は伐り開かれ、今日、最も人口稠密な地域の一つとなっている。本来は森林として、豊かな生態系を誇っていた地域であり、今日でも森林を回復して、豊かな生態系を作り出すことができる土地である。

2 都市空間を森林として再生する方法として、現在の都市が持つ住宅地等の用地としての機能を保全しつつ、これらの都市的な土地利用と森林としての機能を果たすことを併存させる方法が考えられる。

第一に、大規模な森林を、都市の中に創り出すことが考えられる。都市に森林を創造した典型例として、東京の田畑や荒地であった土地に作られた明治神宮がある。明治神宮は、土地に合う広葉樹林を、50年、100年、150年先の姿を予想してつくりあげ、天然更新により維持していくことを目標に、約10万本の献木と延べ11万人の青年の奉仕により100年前につくられた。現在の明治神宮はオオタカなど貴重な生物が生息する豊かな生態系を構成している。古代の日本では、山や川といった自然がそのまま神や仏であり、人間自身も草や木と何ら変わるものではないという意識が人々の基底に流れていた[17]。このことからも、明治神宮で森林の再生事業が行われたことは象徴的である。明治神宮のような森林を、公共用地を利用して都市にいくつも創造していくことが望まれる。

大規模な森林を造成することのほかにも、事実上放棄されている土地を樹林地化すべきである。高齢化の中で相続人が不存在又は不明であるため管理が放棄されている土地については、公共機関が土地上の建物を除却し、土地を樹林地として再生する事業を行うことが考えられる。所有者不明土地対策として政府により法案提出が目指されている民法等の改正内容として土地所有権の放棄を認めることが検討されているが、所有権が人間の土地利用を可能にする手段であることからは、所有者が土地利用を不要とする土地は森林に戻すために国への帰属を認めるべきである。

また、交通網や電柱のような公共的な施設については、地下に敷設し直すことを推進し、施設の移転により生じた空地を樹林地とすることが考えられる。さらに、国道、都県道、区市町村道、私道において、街路樹の植栽を行うべきである。現在の日本の都市道路では、農民など地元の民が通るために形成された曲がりくねった道を前提にして、区画整理をしないまま住宅地が形成されている土地が多くある。このため、狭く見通しのきかない道を利用した市街地であるから、その区市町村道、私道をそのままにして街路樹の植栽を義務的にすれば、自動車の通行がおよそ不可能になる場所が多く出現する。自動車の通行できない道を作ることは住宅地での生活を成り立たなくさせることから、街路樹の植栽を行うことは、道の拡幅を可能にする区画整理を促進することにもなる。

これらの施策は都市計画や区画整理によって行われる必要がある。自然公園法がゾーニング法であるように、ゾーニング法を自然環境保全のために活用すべきであり、ゾーニング法である都市計画法の下に、土地区画整理法を活用して、都市の中に森林を再生する事業が行われるべきである。もともと森林地帯であった地域で住宅地になっている市街化区域においては、狭小道路についてもセットバックの手法等により、街路樹の植栽を促し、また、住宅の建蔽率を引き下げて、住居の庭が樹林地化されることを促進すること等によって都市となっている地域に森林を形成し、森のそばの都市生活を実現できるであろう。

3 以下のような環境政策的手法も、都市に生物の生態系を成立させるために行われるべきと考える。

都市において、干潟や湿地の埋立てといった環境に影響を及ぼしてしまう開発が行われていた場合には、歴史を遡って元の自然が持っていた機能を復活させるために、その環境影響を補償あるいは代替する措置として、開発行為後に生態系を修復し、あるいは開発対象地以外の場所に代替的な生態系を創造するというミティゲーション(代償措置)の対応がとられるのが適切である。

 河川改修や道路整備、工業団地や住宅団地整備等の公共事業が行われる場合には、生態系に配慮した緑地を整備する、区画整理の際に一定の割合で自然の草地を残す、ビル建設の際に周辺のみでなく屋上や外壁にも植物を植える等の措置を行い、様々な生物が生存できる自然的あるいは半自然的な地域を確保しようとするビオトープ(小規模の生態系)が創り出されることがある。これをさらに、生存や繁殖のために相当規模の広がりを有する空間を必要とし、あるいは移動する野生生物の保護という観点から、小規模な自然地域をつなぐように自然公園、緑地帯、ビオトープを配置し、野生生物が移動できる通路を確保する自然の回廊(グリーン・コリドー)まで創り出すことが望ましい。

以上の対応を行うことにより、もともと森林地帯であった都市地域に、現在の都市が持つ住宅や都市利用の用地としての機能を保全しつつ、森林としての機能を併存させることが可能となる。

都市に>森林そのものの形状、外観を作り出す方法としては、住宅などの土地利用を地下に移し、地上に森林としての形状を作り出すことも、将来的には考えられるかもしれない。このような光景は、安藤忠雄氏の地中美術館や淡路夢舞台などで先駆的に創造されている。このような光景が多くの人にとって自然なものとして受け入れられるようになるまでの当面の目標は、上記のような都市利用の用地としての機能を保全しつつ、森林としての機能を併存させる形で森林を復活させることであると考える。



Y 人間の生き方を、森林という自然環境と共存させていくこと

開発途上国の方が先進国よりも森林が多く、森林という自然環境と共存する生活様式に近いと言えるかもしれない。しかし、開発途上国でも、先進国で実現されているライフスタイルが志向されており、先進国と同じような土地利用を行っていくことが採るべき「開発の道」だと認識されている。

地球的に森林を保全していくためには、先進国のライフスタイルが森林のそばで暮らすものとなり、社会生活と森林という自然環境とを共存させていくことが必要である。このため、先進国が、人間の用途のために転用した土地の再森林化に力を尽くして、自国内の森林を保全し、増殖していくことが重要である。

日本においても、都市において森林のそばで暮らすというライフスタイルを実現し、人類の生活様式、人間の生き方を森林という自然環境と共存するように変えていくことができる。これだけ人口稠密の成熟した日本の住宅街においても、熱意を傾ければ、森林のそばで暮らすというライフスタイルを実現することができることの実例を、世界に対して示すことが、地球レベルでの森林保全を実現するための道となると考える。

 

[17] 稲沢公一「市場ゲームと福祉ゲーム」書斎の窓No.660(2018年)30頁参照
 同書では、本居宣長が『古事記伝』において、「『古来より神とされてきた諸々を整理し、天地の諸神、社の御霊、人をはじめとして鳥獣木草海山などをあげ、それらの共通点から、『尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり』と結論づけた。」とされている。
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Global Conservation Starts with the Greening of Developed Nations

Introduction



The ever-increasing impact of human activities on the environment makes the conservation of natural resources, including biological diversity, an urgent and critical task.

According to the State of the World’s Forests of the FAO, forests harbor most of the terrestrial biodiversity of the earth and provide habitats for 80% of amphibian species, 75% of bird species, and 68% of mammal species. The Global Tree Search database records more than 60,000 species of trees, more than 20,000 of which have been included in the International Union for Conservation of Nature Red List and over 8,000 of which are assessed as globally threatened. Approximately 60% of vascular plants are found in tropical forests[i].

Developed nations negotiated the Convention on Biological Diversity in 1992 with the original purpose of nature conservation and the limitation of environmentally damaging development in developing countries.

However, developing countries fiercely opposed the convention characterizing it as a revival of colonialism in a different form. The opposition centered on the willingness of developed nations to interfere with development and regulate land use in developing countries. As a result of this opposition, the content of the convention was revised to stand for the proposition that each nation determines its own level of conservation of biological diversity.

The implications of this revision meant that advocating global nature conservation becomes considerably difficult. Rather, nature conservation was regarded to the sovereignty of individual countries.

Under such circumstances, a paradigm shift is necessary to expand nature conservation on a global scale.

Lifestyles in developed nations must change to allow coexistence with nature, especially forests, in cases where communities exist in the vicinity of a forest to conserve nature worldwide. Therefore, developed nations should undertake efforts to reforest land that has been previously appropriated while simultaneously conserving and growing their domestic forests.


II Global Deforestation

1 Failure to Reach an International Consensus on Controlling Deforestation

Conserving forests protects forest fauna, preserves natural environments, and prevents global warming through the sequestration of CO2. Forests are heavily impacted by human activities and are rapidly declining worldwide. The rate of deforestation has been significant since the 1970s, and the rapid disappearance of the forest cover has caused international concern. The desire to arrest this global trend and slow the pace of deforestation reflects the need for an international framework to enable the international monitoring of domestic laws and enforce countermeasures to actions that are harmful to forests.

The United Nations Conference on Environment and Development (UNCED), which was held in 1992[i].

, attempted to create a forest conservation treaty and adopted the Rio Declaration on Environment and Development, the United Nations Framework Convention on Climate Change, which addresses global warming issues, and the Convention on Biological Diversity. The UNCED also established the concept of sustainable development and laid the foundation for the Sustainable Development Goals (SDGs) of the United Nations (UN).

Nonetheless, a legally binding treaty to protect forests, one of the major goals of the conference, was not achieved. Developing countries emphasized the role of forests as a natural resource and wanted to use and develop them without outside constraints. These nations were opposed to legally binding agreements that would stop deforestation in the tropics and elsewhere[ii].

Developing countries took the position that restricting forest use would challenge their sovereign right to develop their resources, citing international law and the Stockholm Declaration. These nations insisted that deforestation had occurred worldwide to support the economic development of European and other countries since the industrial revolution. This conflict between developing and developed nations precluded the UNCED from ratifying a treaty. Nevertheless, the Rio Declaration on Environment and Development changed the concept of nature conservation in the UN.

The earlier concept was embodied in the World Charter for Nature[ii].

, which was adopted by the UN in 1982. It stressed that harmonizing nature conservation with economic development, while protecting natural ecosystems to the maximum degree possible, required the examination of likely human economic development activities, the assessment of environmental impacts before engaging in development activities, and only proceeding with development that fulfilled strict screening criteria.

However, an environmental assessment before beginning any economic development activity is a huge burden; therefore, the 1992 Rio Declaration on Environment and Development introduced the concept of sustainable development. This concept included the idea that economic development is freely permissible as long as it does not have an irreversible detrimental impact on the natural environment. This compromise allows economic development to proceed without an environmental assessment and signals a lowering of UN standards from conservation restrictions that are common in developed countries.

With the concept of sustainable development, the level of nature conservation in developing countries became the standard. Instead of developed countries playing a leading role in the UN and driving nature conservation globally, developing countries gained as strong a voice as the majority. This shift resulted in a major emphasis on assisting the economic development of developing countries in terms of environmental policies, such as the SDGs. This background has made it difficult for the UN to play an effective role in protecting the global ecology.



2 Deforestation after the UNCED

The world’s forests continue to be logged, exploited for other uses, and devastated by large-scale fires associated with global warming even since the 1990s when the UNCED was held. The average annual rate of deforestation worldwide decreased from 0.19% during 1990-2000 to 0.12% during 2010-2020[iii]. Evidently, the pace of forest conversion to other land uses has slowed down. Nonetheless, these data include information from China. The Chinese are promoting tree planting to counter desertification. Afforestation projects in China have encountered difficulties, and deforestation continues in developing countries. When figures from China are excluded, the average rate of deforestation worldwide was still high at 0.16% between 2010 and 2020. Large-scale deforestation is occurring in the tropics and in regions, such as Africa, South America, and Southeast Asia.

According to calculations based on data from the Global Forest Resources Assessment (FRA) 2020[C]. by the Food and Agriculture Organization, continuing deforestation at the same rate as it occurred during 1990-2020, the number of years that it will take for the forests to be annihilated is 333 years for Brazil, where 17% of the forests were lost over the past 50 years, 128 years for Indonesia, a treasure trove of nature that ranks on par with the Amazon, 37 years for Cambodia, 120 years for Congo, and 52 years for Paraguay.

The rate of deforestation in countries with an abundance of natural tropical forests is extremely important for protecting forest biodiversity and preserving the natural biomes of the earth. Forests play a key role in global conservation and ensure the survival of our socioeconomic systems. Stopping deforestation and forest degradation is a global challenge that nations, relevant international institutions, and non-governmental organizations (NGOs) must work together to address.

 

III What Developed Nations Must Do to Stop Deforestation in Developing Countries

1 The Logic Behind “Developed Nations Are Responsible For Global Deforestation”

At the UNCED, developing countries have opposed negotiations to establish a legally binding international treaty that would unilaterally stop deforestation and have insisted that developed nations should lead the way through afforestation and the greening of their land. Recently, the Bolsonaro administration of Brazil has allowed the active development of the Amazon rainforest and has permitted large-scale forest fires to burn without control. The comments of the NGO on internal affairs in the Amazon have been an infringement on the national sovereignty of Brazil[C].This logic is the same as that employed by developing countries to prevent the ratification of an international treaty to curb deforestation at the UNCED in 1992.

 

2 Deforestation as a Major Cause of Global Warming

Global warming is caused by the increase in greenhouse gas emissions-mainly CO2-on a global scale. The Law Concerning the Promotion of Measures to Cope with Global Warming identifies the reduction of greenhouse gases as a common problem that can only be addressed cooperatively if global warming is to be slowed or stopped.

CO2 emission volumes are exceeding the sequestration capacity partly because forests that are not meant for human habitation are being destroyed. The cutting of forests reduces the size of carbon sinks. Moreover, lands that have been formerly forests are converted into areas of human occupation, with a consequent increase in the consumption of fossil fuels, a decrease in CO2 sequestration, and a further increase in CO2 concentrations in the atmosphere. Hence, a direct causal relationship exists between deforestation and the increasing levels of greenhouse gases—mainly CO2. Deforestation and forest degradation by humans are the major causes of global warming.

 

3 What Developed Nations Must Do to Stop Deforestation in Developing Countries

Developed nations that have largely developed their forests interfere with the use and development of forests in developing countries, and it is not due to egoism or an intent to fix the economic gap between developing and developed nations. Developed nations must take action to neutralize the excuse utilized by developing countries that global deforestation is the responsibility of developed countries to encourage the developing countries to initiate global forest conservation activities. Nature conservation requires restrictions on the use of natural resources and, therefore, comes with a social cost. Bearing this cost and protecting the global environment require each nation to have enforceable and enforced environmental laws to minimize the actions that would violate global conservation efforts.

The burden of controlling deforestation and protecting natural environments must not be imposed on developing countries alone. Rather, developed nations must bear more than their share of the pain associated with conserving forests; thus, conservation efforts must be shared.

The Non-Legally Binding Authoritative Statement of Principles for a Global Consensus on the Management, Conservation, and Sustainable Development of All Types of Forests (known as the “Forest Principles”) was adopted by the UNCED in 1992 as a substitute for a legally binding forest treaty. The Forest Principles urge all nations-particularly developed nations-to take positive and transparent actions for reforestation, the establishment of new forests, and the prioritization of forest conservation. Additionally, developed nations are expected to channelize their efforts into maintaining and recovering their domestic forest lands.

 

IV Afforestation in Developed Nations

In the absence of human intervention, land tends to be occupied by forests or grasslands depending on the availability of water. Efforts must be taken to revive the former ecosystems by restoring the lands that have been disturbed by human intervention to their original state of forest or grassland depending on the availability of water.

Because forests have been decimated to make space for agriculture and dwellings, reforestation of such land should be considered, especially for abandoned and devastated farmlands and cities where people live.

Farmland is a natural environment that has been artificially altered for the purpose of producing food. However, even if it is currently used as a farmland, if it used to be a forest, reforesting it to achieve a diverse ecosystem is appropriate. The conversion of forests and grasslands into farmlands alters the biotic community not only through the spraying of chemicals but also by depriving wildlife of habitat. In addition, it changes the water cycle and causes climate change, and the significant impact of monocultures or polycultures on the global environment and specific ecosystems should be reconsidered.

In the 17th century, half of the Eastern United States was covered with primary forests[D]. Reverting the current land to its former natural state has far-reaching implications on the global environment. Hence, regarding former old-growth forests that have been turned into farmlands with low productivity, a system could be established whereby the government purchases the land for the purpose of reforestation or provides subsidies for reforestation.

More specifically, the government provides subsidies for sustainable forest management and support for farmland reforestation in accordance with environmental protection standards and guidelines. The objective is to create forests mainly comprising broad-leaved trees to improve the landscape, creating new habitats for wildlife, providing sporting opportunities, and increasing lumber production.

 

V Afforestation on a Global Scale

Developed nations should take the lead in worldwide forest conservation and take efforts to revert their land to forests by focusing on the greening of rural and urban areas.

Although rural areas generally seem abundant and green, much land that has previously been logged or farmed has become a space for humans but is not actually used or is utilized infrequently. The state or local government could engage in reforestation projects to regenerate wildlife by buying abandoned farmland and land without ownership due to the aging of farmers. If a farm was formerly a forest, efforts should be made to reforest farmland on the condition of the agreement of landowners.

Similarly, urban areas can be made greener, which is something that developed nations should focus on. Urban greening is considerably more expensive than rural greening. However, leaders who engage in forest conservation and the renaturalization of urban forestation while disregarding the cost of urban forestation can demonstrate their determination globally, including developing countries.

 



VI Urban Greening

1 Environments that Allow People to Live in Close Proximity to Forests

A paradigm shift is necessary to expand forests on a global scale. Our lifestyles must be aligned with the principles of nature to ensure coexistence with the natural environment of forests, both in developed and developing countries. To achieve this goal, environments that allow people to live in proximity to forests must be created.

Reforesting an urban area that has previously been a forest is extremely valuable. Many densely populated areas with the ongoing loss of vegetation are the outcome of past logging. If the land was formerly a forest with a rich ecosystem, then it is capable of returning to its original state.

 

2 Creation of Forests in a City

One consideration when regenerating a forest in a city is to retain the functions of the city, such as those of residential areas, and the functions of the forest.

Creating a large-scale forest in a city is fairly feasible. A typical example is Meiji Jingu (Meiji shrine), which was constructed 100 years ago in an area comprising paddy fields and devastated land in Tokyo to commemorate Emperor Meiji and his wife. Today, it is a 70-hectare forest in the center of the capital of Japan. Its origins were the vision of a great broad-leaved forest, 50-150 years in the future, and the planting of approximately 100,000 trees[E]. Furthermore, it is now home to a rich ecological community, including precious animals such as goshawks.

In addition to creating large forests, land that has been abandoned should be turned into woodland. Public institutions could undertake projects on land that is not owned by any individual (e.g., through inheritance) or whose ownership is unclear because of missing claims to the land title by removing any buildings and reverting it to woodland. Despite land ownership rights that confer usage rights to individuals, land with no successors or no known owners is not needed by anyone. Such land should be returned to the state or local government to be reforested.

Moreover, the construction of underground public transportation systems could be promoted, and these could replace the existing above-ground systems. The reclaimed land can be turned into woodland. All roads should also be lined with trees. Nevertheless, occasionally, parts of residential areas are constructed without adequate rezoning, resulting in winding streets. The promotion of roadside tree planting, thus, should be conducted in conjunction with rezoning, which includes road widening.

Such measures should be implemented in accordance with city planning and zoning regulations. The City Planning Act, which determines zoning, should be employed to create natural environments. The rezoning of public institutions, houses, and roads should be conducted to allocate land for reforestration. In addition, for residential areas, the legal site coverage ratio should be lowered to promote tree planting in gardens for creating urban forests and accompanying favorable lifestyle changes.

 

3 Reinstatement of Ecosystems in Cities

It is necessary to adopt the following environmental policy measures to reinstate ecosystems in cities.

In cases where urban construction has substantially impacted the natural environment (e.g., where land was reclaimed from tidal mudflats or marshes), ecosystems should be restored to their original state or functionally similar ecosystems should be created in other places. Such an approach is known as mitigation, which is carried out to restore the original functions of specific ecosystems and compensate for the impact caused by construction.

In conjunction with public construction projects, such as river bank and road improvement or the development of industrial estates and residential complexes, compensatory environmental measures are implemented sometimes. These measures include creating green reserves and mandating the provision of proportionate areas of natural grassland. The result is the creation of biotopes, which are small-scale ecosystems that comprise natural or semi-natural areas that serve as habitats for various life forms. Because diverse wildlife requires sufficient space, the creation of green corridors that connect such small-scale natural areas (e.g., parks, green belts, and biotopes) would ensure effective wildlife conservation by providing space for migration and movement.

Through such measures, the functions of both urban residential areas that were originally forests and forest ecosystems can be ensured.

In the future, moving the living spaces below the ground could create space for forests in former above-ground cities. This concept was promoted by Tadao Ando, the Japanese architect whose visionary work is renowned internationally. His concepts are embodied in the Chichu (meaning underground) Art Museum[F].and the Awaji Yumebutai (meaning Awaji dream stage) complex.

 

VII Aligning Human Existence with the Natural Forest Environment

Because developing countries retain more forests than developed nations, their citizens have a lifestyle that is more in harmony with the forest. However, even there, people increasingly aspire to have the lifestyles of developed nations and think that using the land in a way similar to that of developed nations constitutes the “road to development.”

To conserve forests worldwide, the lifestyles in developed nations must change to allow coexistence with nature, especially forests, in cases where communities live in the vicinity of a forest. Developed nations should, hence, undertake efforts to reforest land that has been previously appropriated while simultaneously conserving and growing their domestic forests.

The only way to realize worldwide environmental conservation and prevent global warming is to demonstrate to the world, including the developing countries, that lifestyles in which people coexist with forests in densely populated cities are possible if we invest in the necessary efforts.

 

Keywords: global environmental conservation, nature conservation, global warming, deforestation, forest conservation, forest fire, Sustainable Development Goals (SDGs), World Charter for Nature, United Nations Conference on Environment and Development (UNCED), the Forest Principles, Convention on Biological Diversity, Global Forest Resources Assessment, zoning regulations

 

Author Profile
Yasuyuki Aeba
Professor, Tokyo Metropolitan University Graduate School of Law and Attorney-at-Law, Shutotokyo Law Office

 

The author would like to thank Crimson Interactive Pvt. Ltd. (Ulatus; www.ulatus.jp) for their assistance in translating and editing the manuscript.



[@] “State of the World’s Forests 2020,”: from Food & Agriculture Organization of the United Nations (FAO) at https://www.fao.org/3/ca8642en/online/ca8642en.html

[A] “World Charter for Nature,” October 28,1982, UN General Assembly (37th sess:1982-1983), UN Digital Library at https://digitallibrary.un.org/record/39295

[B] “Global Forest Resources Assessment 2020,” Food & Agriculture Organization of the United Nations (FAO) web site: https://www.fao.org/documents/card/en/c/ca9825en/

[C] “Amazon fires: Merkel and Macron urge G7 to debate “emergency,” August 23, 2019, BBC News Services at https://www.bbc.com/news/world-latin-america-49443389

[D] Poffenbeger, Mark. Communities and Forest Management in Canada and the United States. A Regional Profile of the Working Group on Community Involvement in Forest Management (1998) (Berkley)

[E] “Meiji Shrine, A brief look into Japan’s most renown [sic.] Shrine at https://voyapon.com/tokyo-meiji-shrine/

[vii] Chichu Art Museum from Benesse Art Site Naoshima at https://benesse-artsite.jp/en/

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学校における教育の在り方(教師と学生による協同組合)



T はじめに

 吉見俊哉「大学は何処へ」岩波新書272頁は、「12,13世紀のヨーロッパに大学が誕生した最も重要な条件は、汎ヨーロッパ的に都市から都市へと渡り歩くことのできる移動のネットワークだった。このネットワーク上を、商人、職人、聖職者、そして知識人が旅していた。どこかの都市に、大変学識のある人物がいることがわかると、多くの学徒が何か月も旅してその都市に集まり学びの舎を形成した。やがてそうした都市の旅人たちは、地元の世俗権力の干渉を退けるため、学問の自由についての勅許をローマ教皇や神聖ローマ帝国皇帝から得て、教師と学生の協同組合、すなわち大学を形成していった[18] 」と記載している。

 本稿は、学校制度を、大学の草創期の姿であった「教師と学生の協同組合」の姿に戻すことが学校制度のあるべき在り方ではないのかという検討を行うものである。
 これは、学校で行われる教育が、教育を受ける学生の「教育を受ける目的」を実現するためには、教育を提供する学校の管理の意思決定が、学生が参加して行われることが必要だからである。
 本稿は、学生が学校の統治に関与することを実現するため、学校の組織形態を、教育を行う教師と教育を受ける学生が共同で統治する「教師と学生の協同組合」に組織変更することを検討する。

 

U 教育の目的

1 国家ないし社会の有する教育の目的

 アメリカを代表する教育哲学者であるジョン・デューイは、その著の「民主主義と教育」において、「生存を続けようと努力することは生命の本質そのものである。(中略)共同社会すなわち社会集団は、絶え間ない自己更新を通して自己を維持する。そしてこの自己更新は、その集団の未成熟な構成員が教育を通して成長することによって、行われる。無意図的あるいは計画的なさまざまな作用によって、社会はまだその仲間入りをさせられていない、外見的にはよそ者のように見える人間を、その社会自身の資産や理想の健全な担い手に作り替えるのである。[19] 」と記載する。
 この記述に従えば、社会は、社会の自己更新の必要性を充たすために、社会の構成員の子に対して、教育する目的を持つ。
 デューイが「民主主義と教育」を書いたのは、1915年という列強の帝国主義の終末をもたらす第一次世界大戦中であるが、当時はドイツ帝国の国家社会主義の伸長が国際社会に大きな影響を与えており、英米においても、スペンサーが社会進化論に則り「国家は、国家間の競争、淘汰によって進化していく」という思想が影響を与えており、国家の発展のために構成員の果たす役割を強調する考えが支配的だった時代であった。デューイも、「ドイツ思想の影響の下で、教育は公民の任務となり、その公民の任務は民族国家の理想の実現と結びつけて考えられた。[20]」と記載している。
 社会が自己更新のために、社会の構成員を教育するとの考え方は、近代国家成立期や帝国主義の時代の過去のものではなく、今日においても、「国家や国民経済の発展の基礎をなすのは国民の民度であり、国民の民度を向上するために、国民を教育していく必要がある」との考え方は普遍的である。
 国家、あるいは社会の発展のために教育は存在するという国家教育権的な考え方は、現在も支配的であり、日本の教育基本法も同様の考えに基づいている。
 教育基本法1条は、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」とする。
 教育基本法1条は、国家や社会の要求する教育の目的を、「教育を受ける者に対する、人格の完成と国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身の健康な国民」に育成することと規定している。
 以上のとおり、今日の日本をはじめとして、国家ないし社会は、国ないし社会の自己更新のため、その構成員を教育する目的を持っている。


2 学生ないし生徒自身が持つ教育の目的

 学生ないし生徒本人の教育を受ける目的は、「自分がなりたい人間に、自分がなるための手段」とのことである。
 このことについて、ジョン・デューイは、「民主主義と教育」の中で、プラトンの教育哲学は、「各人が、他の人々に役立つような仕方で(つまり、自分が属している社会全体に貢献するような仕方で)、自分に生まれつき適性のある仕事をなしているときに、社会は安定した組織をもつことになるのだということ、そして、これらの適性を発見し、次第にそれらを訓練して社会に役立つようにすることが教育の任務なのだ、ということを明らかにした。[21]」そして、「プラトンはルソーに大きな影響を及ぼした。しかし、自然の語る声は、ルソーにおいて、個人の才能の多様性を証明し、個性の多様性を全面的に自由に発達させることの必要を説くのである。自然と合致する教育が、教育と訓育の目標と方法を与えるのである。[22]」と記載している。
 これによれば、教育の目的は「各人が、他の人々に役立つような仕方で(つまり、自分が属している社会全体に貢献するような仕方で)、自分に生まれつき適性のある仕事をなすことができるようにすることであり、また、個人の才能の多様性を証明し、個性の多様性を全面的に自由に発達させることにある」ということになる。
 教育を受ける目的は、人によって、「社会に役立つ人間」である場合もあるであろうし、「自分が社会的に成功するための能力を身につけること」である場合や、「自分の持つ才能を発揮する人間になる」場合もあるであろう。
 これらをひっくるめて、プラトンの言い方によれば、教育を受ける人の教育を受ける目的は「人あるいは社会を益する人間になる」ことである。
 本人が目的をもって教育を受けることを実現することは、憲法上、教育を受ける権利として保障されている。
 憲法は、「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を有することを定める。
 憲法学者の佐藤功は、次のように論じる。
 「教育は、個人が人格を形成し、社会において有意義な生活を送るために不可欠な前提をなす。この意味で、「教育を受ける権利」は、精神的自由権としての側面を持つ。また、「教育を受ける権利」が保障されることによって、人間に値する生存の基礎条件が保障されることになる。この意味で、「教育を受ける権利」の保障は憲法25条の生存権の保障における文化的側面をもつものである[23]。」



3 親が子に教育を受けさせる目的

 教育を受けることに対する目的を持つのは、本人だけではない。子供の保護者も、自分の子供が教育を受けさせる目的を持つ。
 親の子に対する本能的な愛として、あるいは子供を守るという親の責務の実行として、あるいは社会から親に対して子供に教育するように強制的な要請が働くことにより、いずれか又は複合的な理由により、親は、子が「人あるいは社会を益する人間になる」ように、子に教育を受けさせる目的を持つ。
 子供が幼いうちは、自分が「人あるいは社会を益する人間になるために教育を受ける」という目的よりも、自分を庇護する親が自分を教育し、教育を受けさせることに応えるという気持ちが、教育を受ける動機になろう。年齢が上がるうちに子ども本人に「人あるいは社会を益する人間になる」という自覚が生まれる。
 親が子に、教育を受けさせる目的は、子供が「人あるいは社会を益する人間」になるようになるためであるから、子供が教育を受ける目的を持つことと、親が子に教育を受けさせる目的を持つことは、表裏一体の関係にある。
 18歳未満の子は成年に達せず、民法818条が「青年に達しない子は、父母の親権に服する」ことを規定し、憲法26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」と定める。民法820条は「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」と規定する。
 憲法学者の佐藤幸治は、「人間の自由や幸福は、豊かな知識と教養を前提にしてはじめて有意義に実現されるものであるから、「幸福追求権」の保障は、人がその選ぶところに従って適切な教育をうけることができるという権利を措定しているものと解さなければならない。したがって、およそすべての国民は教育をうける権利の主体である。ただ、「幸福追求権」は同時に親権者がその子女をどのように教育するかの自由を内包しているから、両者の関係が問題になる。この点、親権者の権利は子女の教育をうける権利を充足させるためのものである[24]。」と論じる。
 教育基本法10条は、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的な責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るように努めるものとする」と規定する。


4 国家あるいは社会が教育について目的を持つことと、教育を受ける本人ないしその親などの保護者が本人が教育を受けることについて目的を持つことの関係

 上記のように、国家あるいは社会が教育について目的を持つことと、教育を受ける本人ないしその親などの保護者が教育を受けることについて目的を持つことは、いかなる関係にあるか。
 自由と人権を基調とする憲法が、教育を受ける権利を国民の権利として規定していること、そして、教育は、強制と義務によって実現できるものではなく、教育を受ける本人が、教育を受けることに目的意識を持たない限り、教育を行っても本人の身につかないという教育の持っている本質的性格から、本人が教育を受けることについて目的を持つことは、国や社会が国民を教育する目的を有することに対して従属的な立場に立たないと考えられる。
 したがって、国家あるいは社会と、教育を受ける本人ないしその親などの保護者は、それぞれ並列的に、教育の目的を有すると考えられる。
 国家あるいは社会が教育をすることについて持つ目的と、教育を受ける本人ないしその親などの保護者が教育を受ける目的との間で、現実に問題が生じうるのは、両者が齟齬を生じたときであろう。例えば、国家あるいは社会が教育をする目的に、情報統制国家にみられるような洗脳教育をすることが含まれるときである。
 この点について、最高裁判所は、教育内容を決定する権能は誰にあるのかを判断した旭川学力テスト事件判決(最大判昭和51年5月21日)において、親、私学および教師の教育の自由がそれぞれ一定の範囲において妥当することを前提に、それ以外の領域において、国が子ども自身および社会公共の利益のために必要かつ相当と認められる範囲内において、教育内容について決定する権能を有するものとしつつ、その際「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、許されない。」として、国家あるいは社会が教育を決定する内容には、個人の「自由かつ独立の人格として成長する権利」からの制約があるとしている。


5 学校による教育を成立させている主体

 憲法学者の佐藤幸治は、教育を受ける権利が学校制度によって充足されることを、次のように説明する。
 「国民はすべて教育をうける権利を持ち、保護する子女に教育を施す権利をもつといっても、国民各人が自らなしうるところには限界がある。かかる権利を有意的なものとするには、教育施設や教育専門家の助けが必要となる。技術文明の進展は、この必要性を一層切実なものとするに至った。したがって、現代国家にあって、教育を受ける権利とは、国家に対し合理的な教育制度と施設を通じて適切な教育の場を提供することを要求する権利を意味せざるをえないことになる。[25]
 学校による教育は、教育施設や教育専門家によって行われており、学生や生徒が、教師、学校設備、教材を提供されて、学び取っていく過程と言うことができる。
 教師、学校設備、教材を用意し、提供しているのは、現象的には、公立学校においては地方自治体又は国であり、私立学校においては学校法人である。しかし一方、学校による教育を受ける本人ないしその保護者は、教師、学校設備、教材を提供している地方自治体ないし国に対して税金を支払い、学校法人に対して学費を支払うことによって教育の提供が行われており、教育を受ける学生(生徒)が一方当事者といることによって、教育は成立している。
 したがって、学校による教育を成立させているのは、教育の目的を有する主体である、国家、社会と、教育を受ける本人及びその親など保護者であると言うことができる。



6 学校で教育が行われる過程における教職員の位置付け

(1)教職員の教育の自由
 教育の目的を有する主体は、以上述べてきた、国家、社会と、教育を受ける本人及びその親などの保護者であるが、それに加えて学校の教職員も、教育の目的を有する。
 教職員が持つ教育の目的を検討する。
 国民は、教師という職業を選択する自由を有することの中に、自己の人格的利益として、教育を行う権利が認められる。自己の思想信条の自由や表現の自由の発露として、教育する自由があると言うこともできる。
 大学の教授は、研究の自由と密接不可分なものとして、教育する自由が認められる。
 大学における教授の教育の自由と、初等、中等、高等教育における教師の教育の自由は、自己の人格を実現する自由として、同質のものと考えられる。
 教員のみならず、学校教育に携わる学校職員も、学生と、教師、学校設備、教材が相互作用する過程である学校における教育を担う者として、教育の自由を有すると考えられる。
 憲法学者の佐藤幸治は、次のように言う。
 「国民の教育をうける権利に対応して、国は合理的な教育制度と施設を確立する義務を負い、それは、「法律の定めるところにより」実現される。ただ「教育を受ける権利」の前提には、教育の自由があり、したがって、国が教育制度を確立し教育の場を提供するにあたっては、各人のそうした自由が最大限に充足されうるように配慮することが要請される。教育は人格的接触を通じて人の潜在的資質を引き出す創造的作用であるから、教育の実施にあたる教師の一定の「教育の自由」もそのような配慮の中に含まれていなければならない。[26]

(2)教育することの受託者としての教師
 教師には、上記のとおり、学生や生徒に対して教育を行う自由を有していると同時に、学生や生徒を教育する役務を行う受託者の立場にある。
 教師に対して、学生や生徒を教育することを委託したのは、学生や生徒に対して教育が行われることが必要だと考えて、教師に教育する委託をする目的を持つ者であり、教育の目的を持つ国家、社会や、教育を受ける本人及びその親などの保護者は、学生(生徒)に対して教育が行われることが必要だと考えて、教師に対して、教育を行うよう委託している。
 教育は、人格的接触を通じて人の潜在的資質を引き出す創造的作用であるから、教師は受託した教育を行うにあたり、教育の具体的内容を決定する裁量権を有する。
 教育することの受託者として有する裁量権は、教師にとって、教師の有する教育の自由にあたる。
 そして、教師の有する教育の裁量権は、教育を受ける本人及びその親などの保護者や、国家、社会という教師に教育することを委託した主体の授権の範囲内であり、これら教育の目的を有する主体の教師への授権の範囲が、教師が行使できる教育の自由の範囲を画するものである。
 教師の行う教育が、教育を行うことを委託した主体の授権した裁量権の範囲にある限り、教育の目的を有する主体の教育の目的は、教師の教育の自由の行使により実行される。しかし、教師が授権された裁量権の範囲を逸脱したときには、両者の間に矛盾を生じ、教育をする目的を有する主体の目的の実行は阻害されることになる。
 したがって、教師は、自己に対して教育することを委託した者に対して、忠実義務を負って学生や生徒に対して教育という役務を行っているということができる。教師は、授権の範囲内での裁量権を行使することを通じて、教育することを委託した者に対する忠実義務を履行するのであり、教師が教育の自由を有することと、教育の目的を有する主体に対して忠実義務を負うことは矛盾するものではない。

 

V 教育の内容

1 教育内容を決定する主体

 教育内容の決定はどのように行われるか。
 教育が、個人間で行われる場合の典型的な形は、スポーツの選手に対するコーチの指導において見られよう。
 スポーツの選手とコーチの間において、教育内容の決定はどのように行われるか。選手が自己のスポーツに対する能力を高めるという目的を持って、トレーニングを行うコーチとの間で、選手のスポーツの能力を高めるためのトレーニングを行うことの対価を払うことを内容とする契約を結び、選手が、どのような点で能力を高めたいかという目的を述べ、それに対してコーチが適切なトレーニングの内容の提案を行い、選手とコーチが協議を行い、トレーニングの内容について合意に達すると、コーチが選手に対しトレーニングの指導を行う。トレーニングの過程は、選手のスポーツの能力の状況に応じ、持続的に行われることになるだろう。
 スポーツの選手に対する指導は、選手とコーチが指導内容を協議しつつ、コーチが指導を実施している。
 学校における教育の提供の場合はどうか。
 学校において、学生(生徒)が教師から教育を受ける場合、個人間で行われるスポーツの選手に対するコーチの指導の場合と比べると、教わる学生(生徒)が多数となるが、教師が、学生(生徒)と質疑応答を繰り返して学生(生徒)の反応を見ながら、教師が主導的に授業の内容を決定していると言えるだろう。
 教育を提供する側は、学校設備、教材を用意して、教師に授業を行わせており、学校で教育を提供しているのは、複数の教師と、学校設備、教材が一体となって、総合的なプログラムとして教育が提供されている。
 この学校により教育が提供される過程は、教育は、学生と、教師、学校設備、教材が相互に作用し合い、学生や生徒が、教師、学校設備、教材に刺激されて、学び取っていく過程となっている。
 したがって、学校における教育内容は、教師、学校設備、教材を総合的に提供している主体によって決定されていると考えられる。
 旭川学力テスト事件判決(最大判昭和51年5月21日)は、教育内容の決定に関し、国家の教育内容を決定する権能について、次のように判断している。
 「子どもの教育の結果に利害と関心をもつ関係者が、それぞれのその教育の内容及び方法につき、深甚な関心を抱き、それぞれの立場からその決定、実施に対する支配権ないしは発言権を主張するのは、極めて自然な成り行きということができる。(中略)憲法の次元におけるこの問題の解釈としては、右の関係者らのそれぞれの主張によって立つ憲法上の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するのが、最も合理的な解釈態度というべきである。
 そして、この観点に立って考えるときは、まず親は、子どもに対する自然的関係により、子どもの将来に対して最も深い関心をもち、かつ、配慮をすべき立場にある者として、子どもの教育に対する一定の支配権、すなわち子女の教育の自由を有すると認められるが、このような親の教育の自由は、主として家庭教育等学校外における教育や学校選択の自由にあらわれるものと考えられるし、また、私学教育における自由や前述した教師の教育の自由も、それぞれ限られた一定の範囲においてこれを肯定するのが相当であるけれども、それ以外の領域においては、一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は、国政の一部として広く適切な教育政策を樹立、実施すべく、また、しうる者として、憲法上は、あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」としている。

2 小学校、中学校、高等学校における教育の内容

 旭川学力テスト事件判決(最大判昭和51年5月21日)は、普通教育における教育内容の決定についての教師の有する裁量権の範囲について次のように指摘している。
 「大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく、教師が児童生徒に対して強い影響力、支配力を有することを考え、また、普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。」
 憲法26条2項は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」と定める。生徒が未成年である小学校、中学校、などでの教育の目標につき、教育基本法5条2項は、「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする」と規定する。
 「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う」とは、国家及び社会が構成員に対して、国家社会が要求する一定以上の資質と能力を備えるように教育することを指している。
 小学校、中学校、高等学校で行われる普通教育とは、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指す。
 憲法26条の成案に向けられたGHQ草案は、「自由、普遍的且強制的ナル教育ヲ設立スヘシ」としており、その中の「普遍的」は、英語草案では「universal」であり、その内容は、普遍的、基礎的な知識を備えることと、合理的な判断能力を育てることであると考えられる。
 普通教育は、専門教育、高等教育などと対置されるが、専門教育は、特定の分野のために深く深化した教育を指し、特定の職業人を養成するために、知識や学問を実用的な職能に役立てようとする教育である。日本においては、高等学校や高等専修学校などの後期中等教育から開始され、大学及び高等専門学校、そして大学院などの高等教育で深められる。
 憲法26条は、「義務教育は無償で行われる。」と規定する。学校教育法16条は、憲法の規定を受け、義務教育として行われる普通教育の年限を9年と定めるとともに、教育基本法5条は、義務教育の無償の意味を国公立学校における授業料不徴収ということであると規定している。
  このため、小学校、中学校の教育は、義務教育として行われる。
 高等学校については、学校教育法50条が「高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すことを目的とする。」と規定する。
 学校教育法の規定に基づき、学習指導要領が作られている小学校、中学校、高校での教育の内容の決定は、学習指導要領が作られていない大学とは異なる。
 学習指導要領の法的性質について、学説(学校制度的基準説)は、学校教育法が立法化を予定しているのは「学校制度的基準」をなす各学校段階の教育編成単位である教科目等の法定にほかならないとし、したがって、指導要領は助言指導的基準としてのみ適法であるとするが、最判平成2年1月18日小法廷判決(伝習館高校事件)は、学習指導要領は法規としての性質を有すると判断しており、学習指導要領は規範的性格を持たせられていると解される。
 学習指導要領は、初等教育および中等教育における教育課程の基準として、小学校、中学校、高等学校等の各学校が各教科で教える内容を、文部科学省が定めたものであり、国立学校、公立学校、私立学校を問わずに適用される。
 小学校、中学校、高等学校での教育は学習指導要領に基づく教育課程となっており、公立学校及び私立学校の「教育」について、教師を含む学校法人は、学習指導要領という国の定立した基準の範囲内で教育する裁量権がある。


3 大学における教育の内容

 国家あるいは社会は大学における教育についても目的を持つ。このため、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」との教育基本法1条は、大学での教育にも適用される。
 大学での教育は、「人格の完成と国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身の健康な人間となること」を目的として、学校教育法83条が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教育研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と規定する。
 国の大学における教育の目的を実現するため、学校教育法13条により、大学の設置廃止等の認可権者である文部科学大臣は、大学が、法令の規定に故意に違反した場合、法令の規定により認可権者がした命令に違反したとき等の場合、学校の閉鎖を命ずることができる権限を有している。
 大学の提供する教育の内容は、学生からの教育の受託者である教授を含む大学が決定する。
 大学における教育においては、一般教育と専門教育という概念が使われる。
 一般教育とは、普遍性を理念とする教育を指す点で、「普通教育」と同じであるが、普通教育は学習指導要領に基づく教育課程である点で、意味が異なる。
 一般教育は、人文科学、社会科学、自然科学などの基礎科学を基本に総合科学、応用科学などを扱う。一般的には、大学などの高等教育に関する概念として用いられている。一般教育は幅広く物事を身につけ、それを深く人生に生かそうとする教養の概念にも通じ、人間のための基礎的、基本的な教育である。しかし、高等教育において、一般教育と専門教育の区分を、単に学問分野上の分類だけで厳密に定めることは不可能である。
 吉見俊哉「大学とは何か」岩波新書237頁によれば、「今日、世界の大学の標準型となっているのは、19世紀末以降に発展したアメリカの大学モデルで、リベラルアーツ教育を徹底するカレッジの上に修士・博士の学位取得システムを構造化したグラデュエート・スクールが乗った形態である。(中略)それは爆発的に拡大した大衆社会が欲望するベーシックな大学教育へのニーズと、高度に専門家した産業システムの人材需要の両方によく適合しているため、単にアメリカの軍事経済的覇権という理由だけからでなく、現代社会のより深い構造的な理由から高等教育のスタンダードとなってきた。」
 リベラルアーツとは、ギリシャ、ローマ時代に自由人として生きるために必要だとされた7学問―文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽を指すものであったが、ギリシャ、ローマ文明への尊敬からリベラルアーツに対する信奉は続き、良き紳士となるための学問として位置づけられ、近代の大学のモデルとなった19世紀初頭のドイツの大学では人格陶冶のための教養として位置づけられ、19世紀末以降のアメリカの大学では、大学院を専門教育の中心としたのに対し、大学ではリベラルアーツが中心とされた。
 日本では、一般に教養課程での学習の対象とされる学問を言うが、内容としては、学士資格の取得のために、人文科学・社会科学・自然科学の基礎を横断的に教育する科目群、教育プログラムを呼ぶものである。
 リベラルアーツは、学部・科目横断的に幅広い分野を学び、論理的な思考力を身に付けるとともに、人間性の全体的な発達と人格の成熟を目指す特徴がある。
 このことから、リベラルアーツによって獲得される、一般的な「知」の取得と、高度に専門化した産業システムから要請される「専門知」の取得をともに行うことが、高等教育のスタンダードとされる。
 大学教育において、教育の内容として、リベラルアーツによって獲得される、一般的な「知」の取得と、社会で役立つ人材になるための、高度に専門化した産業システムから要請される「専門知」の取得のいずれを重視すべきか。
 専門知の専門性は、学問の領域を細分化して対象範囲を狭くすることによって、深い専門知を獲得できると考えられる。
 学問の領域を細分化して得られる各「専門知」の取得を行うべき学生の人数は、専門科目で育成される技術性を持った専門家に対する社会の需要する人数に規定される。
 しかし、社会の需要する専門家の人数は、社会経済の発展、あるいは変化により変動するものであり、固定していない。したがって、専門家に対する社会の需要する人数の変動に対応しうるような専門人材の可動的対応ができるような人材育成が、リベラルアーツによる「知」の取得と産業の必要から要請される「専門知」の取得の組み合わせにおいて、考慮されるべきである。


 このため、リベラルアーツと専門分野の教育において、知の専門性と知の汎用性を両立させて、これらにより身につけたものを応用することにより他の専門分野に移動できる能力を養成する必要があるだろう。
 東京工業大学は、「教養ある技術者」を輩出することを教育理念としてきたと言われるが、今日、インターネットによって、アイデアを大規模事業化しやすい環境ができていることから、少人数の社員によって成り立つ企業が、大きな事業を担えるようになってきており、中小企業が経済活動に占める役割は大きくなると考えられる。理科系の技術者も、専門の研究を行うことに加えて、事業を行う経営者として、経営を担える技術者であることの必要性が高まっていると考えられる。このため、リベラルアーツによる教養の取得と、専門教育による専門知の取得を両立させる必要が高まっていると考えられる。


4 ボローニャ・プロセス

 プラトンは、「各人が、適性を発見し、それを訓練して社会に役立つようにすることが教育の任務だ」としている。学生が、自分の適性を発見し、それらを訓練して社会に役立つようにするために、学ぶべき教育内容を自ら選択していくことの実現のためには、ボローニャ・プロセスを我が国にも導入することを検討する必要がある。
 ボローニャ・プロセスとは、高等教育における学位認定の質と水準を国が違っても同レベルのものとして扱うことができるように整備することを指しており、この実現を目指し、ヨーロッパ諸国の間において、高等教育圏を作り出すことの合意がなされている。
 1999年のボローニャ宣言で、ヨーロッパ29ヶ国は、以下の内容を合意している。
・バラバラだった学位制度を比較可能なように標準化する
・3年以上の学士課程とその上の修士・博士課程を全ての国で導入する
・学士・修士・博士のレベル感と社会的な評価を欧州内で揃える
・欧州内の大学で単位互換制度を導入する
・学生・教職員交流と人材流動(モビリティ)を促進する
 ヨーロッパでこのような合意がなされるに至る歴史的経緯としては、19世紀、ナポレオンとの戦争に敗北したドイツは「教育に対する組織だった配慮こそが自己の政治的統一と国力を回復久し維持するための最良の手段である」との考え[27]から、大学における専門教育制度を確立し、学術において世界をリードすることとなったが、19世紀末にアメリカが大学院による専門教育制度を整えることによって学術をリードすることになったが、ドイツは学士課程と修士課程が合体した独自の学位システムのままであるなど、欧州では学士、修士、博士の資格認定がバラバラな状況にあったため、これを欧州内で統一する必要があったことと、欧州の大学間の人的交流を増大させて学術を発展させていくことの必要があったことが、ボローニャ合意がなされる動機となっている。
 ボローニャ・プロセスは、それ自体は、国家ごとに作られる大学教育制度についての国際調整の問題であるが、その目的の中に、欧州内の大学の学生が自分の受ける教育を主体的に選択できるようにすることが含まれている。
 ボローニャ・プロセスによって、この条約の締結国に属する大学の学生は、この条約の単位互換制度の下で、締結国に属する大学で単位を取得することができ、学生、教師の人的移動による交流が広範に行われるようになる。
 ボローニャ・プロセスで現出されるものは、草創期の大学を髣髴とさせる。
 学生が教育を受けることの始原的な形態につき、吉見俊哉「大学とは何か」岩波新書20頁は、大略、「大学とは、利害を同じくする学生や教師の組合団体という意味であった。(中略)学生や教師の組合としての大学が最も早く形成されていった北イタリアのボローニャで、11世紀後半から著名な法学者に学ぼうとする学徒がヨーロッパ全土から集まっていた。彼らは、都市では保護されない存在であったため、自らの生活を守るための互助組織が形成され、「大学=ユニバーシティ」に結実していった。学生たちは次第に教師との合理的な契約関係という考え方を全面に出すようになり、学生たちは聴講料を支払い、教師たちは学位授与権を行使した。」と記述している。
 この最初期の大学と同じように、ボローニャ・プロセスの下では、学生は、自分の受けたい授業を求めて、ほかの国の大学との間で自由に行き来し、そこで修習して単位を取得して学位を得ることができるようになっている。
 ボローニャ・プロセスは、@学生の受ける教育内容を規格化して、学生が他の大学に行っても、一定の事項を対象としたその大学の教授の講義を受けられるようにすることによって、学生が受ける教育を選択する権利を拡大すること、A大学の行う単位取得の認定を客観的な基準で行うようにすること、B学位の認定が標準化されることによって、学位を取得したことの価値を客観的な評価可能なものにすること、という効果を持つ。
 ボローニャ・プロセスとして行われる大学の教育内容の共通化と互換性の仕組みがEU内にとどまらず、世界に拡がったときには、その拡がりの中で、学士、修士、博士の学位授与が標準化され、学生は、単位取得のために、旅して他の国の大学に行くことができるようになる。学生が自国以外の国において学習と職業訓練の機会が提供されることにより、学生が国籍を有する国の内外で活躍する「世界人」を創出することにつながる。この結果、学生は、何を学ぶべきかを自己決定していく選択を、世界中の大学で行うことができるようになる。
 これに対して日本の教育システムが日本の中に閉じこもって外に出ていこうとしないことにより、日本の教育のガラパゴス化が進むおそれが高く、憂慮すべき事態にある。
 日本においても、日本の大学間において、そして、国外の大学との間において、教育内容の共通化と単位取得の互換性を保障することにより、学生が望む大学での教育を受けられるようにしていくことが必要であると考えられる。
 学生の主体性の下に、学生が受講したい授業を選択し、その授業を行う教師から教育を受けることができるようになることが、学生の、自己が受ける教育の内容を決定していく権利として認められるべきである。

 

W 学校の提供する教育における法律関係

1 教育の契約による提供

 公立学校においても、教育は非権力的な作用なので、公立学校に入学する学生ないし保護者の、学校に入学して教育を受ける法律関係は、契約関係である。
 しかし、公立学校における教育の在り方は、公法関係であることによる修正として、地方自治体によって設立される教育委員会により学校の管理が行われており、公立学校における教育の仕組みは、典型的な契約関係である私立学校における教育契約の修正形態となっている。
 このため、学校における教育を提供する契約について、典型的な契約関係である私立学校における教育契約を検討し、その後に公立学校における教育の在り方を検討する。

2 私立学校における教育

 私立学校は、一種の部分社会である。国民社会が、全体として相対的に大規模で、自己完結性をもった包括的な社会であるのに対して、部分社会とは、全体社会のなかに包摂されていてその構成要素をなしている社会を言う。宗教集団や一定の信条を持った人たちによる結社などがその典型例になる。
 デューイの言う「社会が絶え間ない更新を通して自己を維持することの必要性」は、国民社会も有するが、社会の一部を構成する部分社会もその必要性を有する。部分社会が学校法人を設立する例は、宗教集団や、少数民族の集団や、一定の思想の下に結社を構成する集団に見られる。
 学校法人が、典型的な部分社会によって設立される場合に加え、個人の発意により学校法人が設立される場合でも、学校に学生を入学させて、特色ある教育を実践しようとすることは、学校の中に部分社会を作るものと言える。
 部分社会は、私立学校における教育について、教育する目的を有しており、私立学校における教育は、部分社会が教育の目的を実現するために行われていると言える。
 しかし、私立学校において行われる教育も、日本という国家内における教育であり、日本の国家あるいは国民社会は、私立学校における教育についても教育の目的を持っている。そして、私立学校で教育を受ける本人やその保護者は、教育を受けることについて彼らの目的を持っている。
 日本の国家や社会が私立学校における教育についても目的を持つことから、教育基本法1条の「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」との規定は、私立学校での教育に適用されるとともに、学校教育法に基づく学習指導要領も適用される。
 この教育目的を実現するため、私立学校の設置廃止等の認可権者である都道府県知事(大学及び高等専門学校については文部科学大臣)は、私立学校が、法令の規定に故意に違反した場合、法令の規定により認可権者がした命令に違反したとき等の場合、学校の閉鎖を命ずることができる権限を有している(学校教育法13条)。
 しかしながら一方で、憲法89条は、「公金その他の公の財産は、(中略)公の支配を受けない教育の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」ことを規定し、私立学校において行われる教育の事業の自主性を尊重している。
 この憲法の規定について、下級裁判所の解釈は、「私立学校に対する公的助成は、その目的及び効果において、私立学校の自主性、独立性を害し、あるいは私立学校の基礎となっている特定の信念、主義、思想等を助長することにより、思想、良心及び学問の自由に対する国家の公正、中立性が損なわれない限り許される」(千葉地裁昭和61年5月28日行裁三七.四=五・六九〇)と解釈している。
 このような私立学校の国からの自主性、独立性を守るため、私立学校法5条は、学校教育法14条の、「都道府県知事は、学校が、設備、授業その他の事項について、法令の規定又は都道府県知事の定める規程に違反したときは、その変更を命ずることができる」との規定を、私立学校について適用除外としている(私立学校法5条)。
 このような、私立学校における国からの自主性、独立性の要請から、私立学校における教育に対する国家あるいは国民社会の教育の目的は、私立学校の自主性、独立性を確保しようとする私立学校設立者の教育の目的と、自主性、独立性を持つ私立学校による教育を選択した学生(生徒)ないしその保護者の教育を受ける目的と併存し、共存していくことが求められる。


3 私立学校における教育契約の性質

 私立学校における学校法人と入学者の関係は、授業料を対価として、教育を受けることを内容とする契約で結ばれた関係である。
 この学校法人が教育を提供する役務提供の契約類型は、委任契約か、請負契約か。
 教育基本法が「国家及び社会の形成者としての資質を備えた心身の健康な人間となること」を教育の目的として掲げ、教育を受ける本人が、プラトンが言うように「人あるいは社会を益する人間になる」という目的をもって、教育を受けることから、教育契約は、学生(生徒)がこれらの目的を実現しようとすることに助力することを内容とする(準)委任契約となる。
 学生(生徒)が、「国家及び社会の形成者としての資質を備えた心身の健康な人間となること」、「人あるいは社会を益する人間になる」という目的を実現することは、当人が、そのような資質を身に付けるよう努力しようという自発性がない限り、そのような資質を身に付けることは不可能であるから、これら目的の実現は、当人の自由に委ねられた問題であり、教育機関である学校法人は、その実現に助力する位置に立つからである。
 以上をより詳細に検討するために、教育の目的を有する主体が学校設備、教師、教材を用意し、これらを学生ないし生徒に提供する行為は、医療従事者が医療契約を締結した患者に医療を提供する行為と類似することから、医師・診療機関と患者の診療契約の法的性質に関する議論を参考にする。
 医師・診療機関と患者の診療契約の法的性質に関して、一木孝之「新注釈民法(14)」有斐閣242頁は、「生きた人間に対してなされる特別な行為である診療を委任上の事務に当てはめるのは困難である一方、病気の治癒という請負上の結果まで目的とするものではない、あるいは契約の具体的内容に関する当事者の合意がごくあいまいであるが、健康の回復・増進に関して最善の利益をもたらすための、症状等に応じた医学知識・技術の駆使が、患者の医師に向ける合理的な期待であるといった理由から、診療契約を準委任に近い無名契約と解する見解がある。これに対して、医師患者関係の法規範の要素として、患者の医療的利益の保護、医療的決定におけるプロセス的利益の保護、専門家の義務および第三者や社会一般の利益の保護を挙げ、無名契約説がこれらすべてを説明する上で最も適切であることを認めつつも、議論の進展の観点から、大半のサービス提供契約と同じく、診療契約を準委任契約と一応性質決定しながら、医療の特殊性を適正に定式化した権利義務関係を具体的に論ずるのが建設的であるとの見解が出されており、実務上も、「診療契約≒を準委任契約」構成が有力である。」とする
 診療契約に関する議論を参考にしつつ、教育契約の法的性質を考えると、教育によって一定の成果をあげたことが客観的に評価しうるかであるが、教育を受ける学生(生徒)の目的の実現をもたらすため、個人の状況に応じた最善の教育が行われることが、教育を受ける学生(生徒)の契約上の合理的な期待であり、卒業認定をしないことが、教育提供債務の未履行とは評価されないことからは、教育契約は請負契約と解することはできず、準委任契約と解すべきである。


4 学校法人の教育を受ける者に対する忠実義務

 教育契約は準委任契約であるから、学校法人は、教育を受ける学生(生徒)の目的実現に助力する受託者責任を負い、学生(生徒)に対して忠実義務を負うと解される。
 受任者の忠実義務とは、受任者が受任者であるという地位を利用し委託者の犠牲において自己の利益を図ってはならず、委託者の利益だけを考えて業務を行わなければならないという義務である。
 委任契約においては忠実義務が当然に成立するというのが多数説と考えられるが、忠実義務が成立するためには、委任者の事務を処理していること、信頼関係性および独立裁量性が認められることが必要との見解がある[28]。これに従って検討すると、教育を受ける学生(生徒)が、「人あるいは社会を益する人間になる」という目的をもって教育を受けるとき、受任者である学校法人は、学生(生徒)が自己の目的を実現しようとすることに助力することが、教育契約上負う債務の内容であるから、教育を提供する学校法人の行う事務は、学生(生徒)の自発的努力に助力するものであるため、教育は、「教育を受ける者の事務を処理している」ものである。
 そして、学校法人は、学生(生徒)が自己の目的を実現することに助力するにあたり、教育する者と教育を受ける者との人格的ふれあいという裁量性をもって教育を行うという「独立裁量性」がある。そして、教育を受ける者は、教育を行う教師等に対して、自己を導くという信頼を置くことによって、はじめて、教育の成果を上げることが可能になるという「信頼関係性」がある。
 以上のとおり、学校法人による教育契約の履行には、委任の持つ事務処理性、独立裁量性および信頼関係性が認められる。したがって、委任契約において忠実義務の成立に三要素を要求する説に立っても、学校法人は、学生(生徒)に対し、学生(生徒)の利益だけを考えて業務を行わなければならず、「自己又は第三者の利益を考えることを排除しなければならない」という忠実義務を負っている。学校法人は、学生(生徒)の、教育を受けることへのニーズを充足するために最善の結果となるように努力する義務を負う。


X 学校法人における統治権への学生の関与

1 学校法人による大学における統治のあり方

 教育を提供する学校法人は、学生(生徒)に対して負っている忠実義務を最も良く果たすためには、学校法人の統治権に学生が関与することが望ましい。
 学生には、学校法人の提供する教育を向上させることによる利益を受ける権利がある。そのため、学校法人が提供する教育を向上させるための行動について、学生は学校法人から説明を受け、意見を述べる権利を有するべきである。
 このため、学校法人が学生に対して、学校に関する情報をオープンにして、学生に対して説明責任を果たすことに基づき、学生は、学校法人の提供する教育を向上させるための方策について意見を形成することが重要である。
 学校法人の事業が、教育を受ける者の利益のために行われるという、教育を受ける者に対する忠実義務を果たすことを履行させるためには、教育として何をどのように行うのかは、教育を受ける者が参加して決定されるべきである。このため、学校法人が、教育を受ける者が欲するであろうものを一方的に設定するシステムではなく、学生が学校法人が教育をどのように行うのかについて主張し、学校法人の決定に影響を与えることが必要である。
 これを実現するためには、学校法人を、学生と教職員を中心的な構成員とする協同組合形態の法人格に組織変更し、学校法人が学生に対する忠実義務を実行するために、学生と教職員を中心の構成員とする組織によって学生らに対し説明責任が果たされ、学生らが学校法人の統治に参加できるようにすべきである。


2 学生のために教育する組織体としての協同組合形態

 役務の提供を受ける利用者が、役務を提供する事業体を統治する組織は、協同組合である。
 協同組合とは何かについて、国際協同組合同盟が1995年に採択した定義は、「協同組合は、人びとの自治的な組織であり、自発的に手を結んだ人びとが、共同で所有し民主的に管理する事業体を通じて、共通の経済的、社会的、文化的なニーズと願いをかなえることを目的とする。」としている。協同組合の核心をより直截に表現するネイサン・シュナイダーの定義によれば、「協同組合とは組合員が所有し、組合員によって、組合員のために運営される事業である。[29]
 すなわち、協同組合とは、@組合員が事業を所有すること、A組合員が事業を統治すること、B組合員の利益を実現することを事業の目的とすること、を組織要件とする事業体である。事業の利用者が出資をして協同組合の組合員となり、組合員として協同組合を統治して、事業の利用者の利益を実現する事業を行わせるものである。
 協同組合の組織要件のBの「組合員の利益を実現することが事業の目的である」ことは、協同組合が組合員である事業の利用者に対して忠実義務を負うことを意味する。
 したがって、協同組合とは、事業の利用者に対して忠実義務を負う事業主体を、@利用者が所有し、A利用者が統治する組織である。
 協同組合は、株式会社と並ぶ事業を行うための組織であるが、協同組合が株式会社と異なる点は、株式会社は、出資に対するリターンという利益を目的とする投資行為を構成要素とする事業体であるのに対し、協同組合は、利用者のために活動することを目的とする事業体であることである。
 協同組合の組織原理は、「利用者がして欲しい事業を行う事業体を、利用者が統治して事業の内容を決める権利がなければ、事業をして欲しいという人々のために事業が行われる保証はないから、事業の利用者が事業主体を統治する権利が必要である」ことにある。
 教育においても、学生が教育を行う学校法人の提供する教育について意見を言い、その意見を学校法人の提供する教育に反映してもらうことは、学生が納得し、満足できる教育を受けるために必要である。
  そのためには、学校法人を統治する権利を学生が持ち、学校法人の運営と提供する教育の内容の決定に学生が参加できるように、学校法人を協同組合にするのが望ましい。
 学校法人を協同組合にすることは、組織形態を組合員を構成員とする協同組合にすることによって達成される。詳細は後述するが、学校法人は、学生、教職員、寄付者、国、地方公共団体を組合員とする協同組合とするのが適切である。
 学生が組合員になるための学校法人への出資行為は、学校法人に支払う入学金や学費をもってこれに充てることでよい。また学生の卒業を協同組合からの脱退事項とし、出資金については返還しない特約があるとすることにより、在学中の学生を協同組合である学校法人の組合員とすることができる。
 協同組合の出資行為がない組織としては、一般社団法人法による一般社団法人があり、学生を社員となる社団法人とすることによっても、学生らによる学校法人の統治権の取得を行うことができる。社団法人においては、法人の資本にあたる基金への出捐行為を行う者と、社員総会の議決権を持つ社員の地位との分離が行われ、基金への出捐と社員となることは別のものとして扱われるが、一般社団法人が基金制度を採用するときは、協同組合の出資制度と同様の構造となる。
 協同組合についてのネイサン・シュナイダーの定義を、社団法人にあてはめることも可能であり、「社団とは社員が所有し、社員によって、社員のために運営されている事業である。」ということができる。
 教育を受ける者が学校法人のサービス内容を最終的に決定する権利を保障するシステムは、学校法人を協同組合又は社団法人に組織変更し、教育を受ける者がこれらの協同組合形態の所有者(出資者)である構成員となり、学生が学校法人の統治に参加することである。
 以上のとおり、教育契約が、学生のために教育という役務を提供する準委任契約であることからは、教育契約の当事者の学校法人は、学生に対する忠実義務を徹底して果たすためには、学校法人教育の提供を委託している学生は、教育の内容について指示できるために、学生に学校法人の統治権への関与を認めるべきである。

 


Y 大学の統治への学生の関与の具体的検討

1 総論

ルソーは、「教育は、個人の才能の多様性を証明し、個性の多様性を全面的に自由に発達させることの必要のために、教育を受ける本人の自然と合致する教育が、教育と訓育の目標と方法とならなければならない」としている[30]が、このことは、個人が自我を確立したうえで才能を開花させるための大学での教育にも当てはまる。
 18歳以上は成人であり、教育契約を大学を運営する学校法人と締結する権限を有しているため、大学の学生は、自分の受ける教育の内容を決定する権利と責任を有することとさせるべきである。
 現状は、学生が、大学における統治権に全く関与させられることなく発言が封じられているが、大学紛争が多く生じた1960年代においては、慶應大学では、学費値上げ反対から学生運動が始まり、東京大学では、医局員の無給問題から始まる理工系の研究者の処遇問題から学生運動が始まった。そして大学紛争が消滅した後も、学生は大学の統治権に関与させられることがないままになっているが、それでいいのかという問題が残されている。
 学生を大学の統治権に関与させることは、大学に教育を受ける学生のために教育を授けることを徹底させることになるとともに、学生に大学の経営の責任を持たせることを通じて、学生自身を社会に対して責任を持つ民主主義の担い手として育成する手段となるであろう。


2 私立大学の統治機構

(1)理事長と理事会

 私立大学においては、大学の設置者たる学校法人の理事会と教授会は、異なる組織である。学校の管理についての最終的な決定権は、学校法人の理事会が保持している。
 学校法人は、理事をもつて組織する理事会を置くこととされ、理事会は、学校法人の業務を決し、理事長の職務の執行を監督する(私立学校法36条)。
 理事は、私立学校の校長、評議員、学識経験者等から寄付行為の定めるところにより選任される(私立学校法38条)。
 学校法人の理事長は、理事のうちから寄付行為の定めるところにより選任される(私立学校法35条2項)。
 理事長は、学校法人を代表し、その業務を総理する(私立学校法37条1項)。したがって、理事長が学校法人の権力を握る者である。
 評議員は、学校法人の職員、学校OB、学識経験者等から寄付行為の定めるところにより選任される(私立学校法44条)。
 文部科学省の学校法人のガバナンス強化を検討する委員会は、2022年4月29日、評議員会が、合併・解散、寄付行為の変更といった重要事項の議決権や理事の解任請求権を持つこととする改正を内容とする報告書を公表した。

(2)学長、教授その他の教職員
 学校法人と国立大学法人の設置する大学には、学長、教授、准教授、助教、助手、事務職員が置かれる(学校教育法92条)。
 しかし、学校教育法には、学長や教授の選任方法についての規定はなく、学校法人の自治に委ねている。
 学長は、校務をつかさどり、所属職員を統督する。
 教授は専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の特に優れた知識、能力及び実績を有する者であって、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する(学校教育法92条)。
 大学には、重要な事項を審議するため、教授会が置かれる(学校教育法93条)。
 教授会は、教員人事、教育課程、学生関連などの重要な事項を取り扱い、学長が、学生の入学、卒業及び課程の修了、学位の授与、その他教育研究に関する重要な事項について決定を行うに当たり意見を述べる。

(3)学校法人における理事長、理事会、学長、教授会の権限関係
 理事会は、学校法人の業務を決し、理事長の職務の執行を監督する。
 理事長は、学校法人を代表し、その業務を総理する。
 これに対し、学長、教授その他の教職員は、学校法人における学生の教育又は研究活動を担う。学長及び教授会の権限は、教員人事、教育課程、学生の入学、卒業及び課程の修了、学位の授与、その他教育研究に関する事項について決定することとされ、教育研究に関する部分に集中することとされている。
 教職員に対する理事長の人事権行使については、教授会の意見を基に行使されるなどしているのが実務であるが、学校法人の予算や学校法人全体の人事権は、理事長、理事会が握っており、学校法人の管理権は、理事長、理事会が有している。


3 私立大学の統治への学生の関与

 私立大学の運営に関する事項につき、学生が統治権の行使に参加することが適当かを検討する。
 理事会は、学校法人の業務を決し、理事長が職務を執行し、理事会が理事会の監督を行うので、学生が、学校法人の統治権に関与する方法としては、理事の選解任権に、学生が関与し、そのことによって、学生が、理事、理事長の行動を監視し、監督することが検討の対象となると考えられる。
 これに対し、学校法人の学長及び教授会は、主に教育研究に関する事項について決定を行うが、そのうちの学生に対する学位の認定について、評価の対象となる学生が関与することは認められるべきでなく、教授会の決定事項に、学生の意思を反映させる必要がある事項は限られるので、学生が、教授会を監視・監督することは抑制的であるべきと考えられる。


4 学校法人の統治への学生の関与についての具体的検討

 私立大学の運営に関する事項につき、学生に統治権への関与を認めるべきかを、具体的に検討する。
(1)教育内容の決定について、学生の関与を認めるべきか
 第一に、リベラルアーツの教育内容に学生の関与を認めるべきか。
 学生が自分の才能を開花させるために必要だと考える教育を受けられるようにすることに、学生は大きなニーズを持っていると考えられる。
 ニーズがあるとしても、学生は、受ける教育の内容を知らないから教育を受けるのであって、教育の内容の決定に参加することに意味があるのか。
 この点については、スポーツの選手とトレーニング・コーチとの関係を想起すると、スポーツの選手とトレーニング・コーチの間においては、トレーニングの専門家はコーチであり、コーチが選手にした提案に対して、選手が意見を言い、両者が合意することによって、トレーニングの内容が決定される。
 大学における教育の提供の場合にも、教育内容の決定はスポーツの選手とコーチの場合と同様に考えられ、学生が教育を受ける前に、教員からガイダンスを受け、学生と教員が納得し合意するところにしたがって教育が行われるべきである。
 教員のみによって、リベラルアーツの教育内容が決定されるままでは、教授が自己の専門性を優先して教育内容が決定されることになる。結果、教員間のセクショナリズムによる決定が行われ、旧態依然たる教育を温存することとなるおそれがある。それを避けて、学生が望む内容にリベラルアーツを革新していくためには、リベラルアーツの教育内容を教員と学生の意見交換と協議によって決定すべきである。
 したがって、教育内容を学生が自己決定する権利として、学生が、リベラルアーツの教育内容に関与することを認めるべきである。
 第二に、専門科目の教育内容に学生の関与を認めるべきか。
 学生は、社会の需要に対応した専門性を身につけることに強いニーズがあると考えられるが、「専門知」の取得を行うべき学生の人数は、専門科目で育成される技術性を持った専門家に対する社会の需要する人数に規定されるという問題がある。
 専門科目が社会経済の発展あるいは科学技術の発展によりその内容が変化していくとともに、専門科目で育成される技術性を持った専門家に対する社会の需要する人数は、社会経済の発展、あるいは変化により変動する。
 したがって、専門科目で育成される技術性を持った専門家に対する社会のニーズに対応しうるような専門人材の流動的な対応ができるような人材育成が必要となる。リベラルアーツによって獲得される「知」の取得と専門化した産業システムの必要から要請される「専門知」群を組み合わせて取得することが、学生の主体的な選択による知の取得の可能となるようにすべきである。
 このような学生の主体的な選択による知の取得が、学生の教育内容についての自己決定権となるよう、学生が、専門科目の教育内容に関与することが認められるべきである。
 第三に、学校法人が、ボローニャ・プロセスの精神に則り、他大学と、高等教育における学位認定の質と水準を同レベルのものとして扱うことができるようにし、大学間の単位互換制度を整備していくことに、学生の関与を認めるべきか。
 大学間での単位互換制度を整備して学生・教職員交流と人材流動(モビリティ)を促進することは、学生が主体的に、教育内容を自己決定していく権利を確立することとなる。したがって、学生が習得を希望する教授の下に行って単位科目を取得することが、他大学も含めて幅広く選択できるように、大学の学位認定の質と水準を同レベルのものとするようにし、大学間の単位互換制度を整備することに、学生の関与を認めて進めていくべきである。
 第四に、学生は、学校の教育設備の整備に関与することを認めるべきか。
 学生は、自己の受ける教育内容についての要求の一環として、学校の教育施設の整備に対し強いニーズがあると考えられる。
 学校の教育設備の整備は予算の工面をする必要があり、学生の学校の教育設備の整備への関与は、学校法人の予算編成への関与を認めることが必要となるが、学校の教育施設の充実は、学生の受ける教育の内容に直結するので、予算編成を含めて学校の教育施設の整備への学生の関与を認めるべきである。
 予算編成は理事会決定事項と考えられるが、学校法人を協同組合形態に組織変更することで、予算の承認を、学生を含めた学校法人の構成員による総会の議決事項とすることができる。
 それにより、学生の教育内容についての自己決定権として、学生が、学校の教育施設の整備の内容に関与することを認めるべきである。

(2)学費の決定に学生は関与を認めるべきか
 学校法人と教育提供契約を締結する学生にとって、学費は、学生が教育を受けることの対価であり、学生は学費の決定に強い関心を有している。
 1960年代の大学紛争の出発点となったのは、1965年の慶應大学での学費値上げ反対闘争であった。慶應大学の大学評議会が値上げ案を発表すると、これに反対する学生が抗議集会を開いて紛争が始まり、翌1966年には早稲田大学で学費値上げ反対闘争が起こり全学での長期ストライキが行われた。
 これらの大学紛争の原因となった学費の値上げは、大学の運営維持のための収入として学生から徴収する学費の増額が必要であったためであるが、大学を運営維持できる水準の学費を徴収しなければならない学校側の要請と、自ら支出する費用を増大させないことを希望する学生側の利益は対立する。
 私立学校では、学生の教育にかかる実費用を反映して学費が決定される面が強い。学生の経済状況に左右されない進学機会を提供することを考慮して決定される公立学校における学費の決定と、私立学校における学費の決定には大きな違いがある。
 学生は、入学後、自らの支出を増大させないことを必要とすることから、学費を上げないこと、あるいは学費を引き下げるように学校法人に働きかけることは認められるか。
 学生が学校の統治権に参加し、学校と学生の間の教育契約の内容を、契約の一方当事者である自己のために、契約相手方の学校法人の意思決定に参加し、意思決定に働きかけることは利益相反行為に当たらないのか。
 学費として徴収される金員は、学校法人の歳入となり、予算編成に関わってくる。が、学校設備、教育研究費の原資となり、それは学校法人の実現する教育内容に直結することになる。学生が受ける教育の内容については、学生自ら決する権利があると言うべきであるから、学費の決定に学生が関与することは、利益相反行為に当たらないだろう。
 学生に自ら受ける教育の内容を決定する権利があり、教育内容を高めるためには学費も高くすることも、学費を下げて教育内容を低下させることも、教育内容に直結する学費の問題を決定することに学生が関与する権利はあると言える。
 しかし、学費の引き下げは、学費の引き下げが行われた時点での教育内容のレベルに直結するのではない。徴収される学費総額の減少は、のちの学校の予算の縮小となり、それによる後年度の教育内容の低下に反映につながることになり、学費の決定は、その後代の年次の学生への教育内容のレベルを決定するという性格を有する。
 このため、学生が、学校法人の統治権を行使する一環として、それが自己の教育内容の決定として、学費を決定する権利があるというためには、学生の在籍期間が短いことが制約となる。
 そのため、後代の、後の年次の学生に適切な教育環境を提供し、学校の教育の持続発展を確保するためには、学生が学費を決定する権利は制限されることが必要であり、学費を、学生が主体的に決定できるようにすべきではない。このため、学費の決定が、学校法人の構成員による総会の決定事項となるとき、総会の議決に際し、学生は過半数の議決権を持つべきではなく、少数議決権であることが必要である。
 学生の総会議決権は、主体的な決定権ではなく、学校法人の学生に対する説明と、学生が学校の経営を監視していく権利として機能するようにすべきことから、学生の議決権は、学校法人の意思決定としての総会の議決に相当の影響を与えることができるが、過半数とならない議決権とする必要がある。

(3)大学の教育研究体制について学生の関与を認めるべきか
 大学については、学校教育法83条1項が「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教育研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と規定するとともに、同条2項が「大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」ことが規定されている。
 大学の教育研究を充実させるために、大学の教育研究体制と研究者のキャリアパス(自己の職業の最終目標へ向けての職歴の道筋)の充実について、学生は発言できる権利を認めるべきか。
 1968年から始まった東京大学における大学紛争のきっかけは、大学院生・若手研究者の処遇につき、医学部内の執行部と医局員や医学生とが対立し、医学部教授会が青年医師連合の学生に退学等の処分を決定したことであり、学生団と教授団の争いがエスカレートして東大紛争となった。東大での紛争の原因となったものは、理科系の研究教育体制と、その中の学生から研究者となる道筋であるキャリアパスについて、旧来のやり方に対する学生の不満である。
 今日でも、社会全体での非正規雇用率と大学での任期制教員の比率を年齢層毎に比較すると、社会全体では4,50台後半以降の非正規雇用率が増加していくのに対し、大学教員は若手から40代にかけての非正規率が高く、40代後半から減少している。大学に温存されてきたギルド制の残滓から、修習過程にある若手に対する低賃金の傾向があり、大学の研究職への道は、他職種と比べて圧倒的な不利なキャリアパスとなっている。
 大学の研究職のキャリアパスが他職種に比べて不利なことは、学生が大学で研究に従事し、専門家となっていくための研究者の養成過程に問題があることを示している。
 助教や研修医の人員体制や低賃金などの処遇の問題は、学生にとって、大学での研究者になるための自身の将来の問題であり、処遇改善への取組みに学生の関与が認められる必要がある。
 現在の助教等の養成課程における研究者の処遇の低劣さが、日本の大学における研究水準が、国際的な観点からは見劣りするおそれがあることの原因の一つとなっている可能性が高いことからは、教育研究者の処遇改善やそのための教育研究のための資金を充実させるための予算の問題に、当事者である学生を積極的に関わらせて改善につなげるべきであり、大学の教育研究体制への学生の関与を認めるべきである。

(4)学校のコンプライアンスの確保に学生の関与を認めるべきか。
 1968年以降日本大学では、大学経営陣の巨額の使途不明金が明るみに出たのをきっかけに、日大闘争と言われる大学紛争が起きた。
 学校役職員によって背任行為が行われることは、学校役職員によって大学が食い物にされているのであり、そのような事態が生じるとき、学校法人はコンプライアンスが欠けている状態にある。
 学校役職員が背任行為という不祥事を起こすことは、学校の評判ないしステータスを著しく害する。学校役職員が背任行為があった大学に在籍する学生が、進学や就職において不利益を被るとすれば、学生に理不尽としか言いようのない損害を与えることとなる。
 このため、学校法人の経営においてコンプライアンスが確保されていることに学生の利益があり、学生が、学校法人においてコンプライアンスが確保されることを監視していく権利を持つことが認められるべきである。
 2021年の日本大学の理事長の脱税事件に見られるように、学校法人の経営に学生OBの人脈が居座り、学校法人の収益事業を行うことは、学校法人のコンプライアンス上問題を生じる構造を生み出すこととなる。
 学校法人の行う収益事業は、学校法人のコンプライアンスの確保に関わることから、収益事業が不明朗な利権を生み出すことなく、収益事業が学生の教育環境を向上させるために行われるようにするため、学校法人の行う収益事業に学生が関与することを認めるべきである。
 また、大学において、裏口入学や入学試験において女子や浪人学生を現役男子学生よりも不利益に扱う差別が行われているとすれば、学生の教育を受ける機会が適正に確保されていないこととなり、学生の教育を受ける権利が害されていることになる。
 したがって、裏口入学や入試による女子や浪人を差別する行為が行われないように、教育を受ける権利の主体である学生が監視を行い、教育を受ける権利を保全していくことができるようにする必要がある。

(5)理事長や理事の選任に学生の関与を認めるべきか
 教育は、学校設備、教員、教材などの有機的に結合した総合的プログラムの提供であり、この総合的プログラムを提供する学校法人のマネジメントは、学生の教育を受ける権利を実現させることを目的として行わなければならない。
 学生は、教育を受ける権利の主体であり、自己の教育を受ける権利を実現するためには、学生が学校法人のマネジメントを統治する必要があり、このため、学生は、学校法人のマネジメントを行う理事長や、理事会の構成メンバーである理事を選任する権利が認められる必要がある。
 学校法人を学生を含めた構成員により組織される協同組合形態にし、理事長や理事の選任を、学生を含めた学校法人の構成員による総会の議決事項とすることにより、学生の、理事長、理事の選任する権利を実現する必要がある。

(6)教職員の人事、給与決定に学生の関与を認めるべきか
 教職員は、学校法人の提供する学校設備、教員、教材などの有機的に結合した総合的プログラムの提供の担い手であり、この総合的プログラムの提供が、学生の教育を受ける権利を実現させることを目的として行わなければならないことからは、学生は、教職員の体制の充実について関与する権利を持つべきである。
 その一方で、学生が、教職員の人事、給与決定に直接、関与することは、教職員への圧力として機能し、教職員が教育の担い手として行動することを歪めるおそれがある。
 学校法人の実際においても、教員に対する理事長の人事権の行使は、教授会の意見を基に行使されるなど、これらの権限行使は抑制的であるべきとの要請の下にある。
 したがって、学生の教職員の人事、給与決定への関与は、予算編成等への関与にとどめるべきだと考えられる。
 このため、学校法人を学生を含めた構成員により組織される協同組合形態にすることによって、学校法人の予算や事業計画を、学生を含めた学校法人の構成員による総会の議決による承認事項とすることにより、学生の、教職員の体制の充実について関与していく権利を認めるのが適当である。

(7)教員の学生に対する評価へ学生の関与を認めるべきか
 中世における大学の創設以来、学生の学位を認定する権限は、教師側の権限とされてきた。教師の学生に対する学位授与権に、学生が関与すべき理由は見当たらないので、教員の学生に対する評価への学生の関与は消極的に考えるべきである。


4 私立の小学校、中学校、高等学校の管理についての保護者の関与

 小学校、中学校、高等学校の生徒は未成年者であって、民法上の行為能力を完全に備えているものではない。私立の小学校、中学校、高等学校の生徒は、学校法人から教育の提供を受ける権利を有するけれども、未成年であるため、自ら学校法人の管理に統治権を行使するのは適当でない。 
 私立の小学校、中学校、高等学校を管理するため、学校法人の統治権に関与するのが適切と認められる者は、生徒の保護者である。 
 18歳未満の子は成年に達しておらず、「成年に達しない子は、父母の親権に服する」とされ(民法818条)、「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」と規定される(民法820条)。 
 未成年の場合は、親などの保護者にパターナリズム(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のために、介入・支援すること)としての教育権がある。親権者は、子女の教育をうける権利を充足させるために、その子女に教育を受けさせる権利を有しており、学校法人は、生徒に対して教育を受ける目的実現のために忠実義務を負うところ、生徒の親権者に対しても、教育を受ける目的実現のために忠実義務を履行することに義務を負うこととなる。
 このため、親権者は、未成年の子である生徒本人に代わって、学校法人の統治権に関与し、私立の小学校、中学校、高等学校で行われる教育内容、学校の教育施設の整備、学校法人の理事の選任、学費の問題、教職員の人事、給与などの予算の決定に関与することが認められるべきである。


5 協同組合形態にした学校法人の統治に関与すべき者

 学生ないし生徒の保護者が学校法人の統治に関与する必要があるため、学校法人を協同組合や社団法人などの組織形態にすることが適当であるとき、その組織形態の学校法人において、統治権を行使することが適当な主体は、教育を受けることに目的を有する学生ないし生徒の保護者のほか、教育する目的を有する者らから教育することの委託を受けた学校法人の教職員と、学生に対して教育が行われることに目的を有する学校法人への寄付者並びに国、地方公共団体と考えられる。
 以下、統治権を行使することが適当な主体のそれぞれの理由を述べる。
(1)学生
 大学に入学する学生は、学校法人との間で教育契約を締結し、教育を受けることの対価として学費を支払い、大学法人は、学生に対して教育を受ける目的実現のために忠実義務を負う。
 2022年4月から、民法上18歳以上の者は成人となり完全な行為能力を有する。
 学生は、大学法人の行う教育の最大の利害関係者であるので、学校法人の統治権に関与する適格性を有する。
 学校の管理の在り方に対して、教育の提供を受ける学生は教育を受ける当事者として深い関心と発言する利益を有しているため、学生は、学校の管理についてのその意見を実現させるために、協同組合形態の学校法人の構成員となって学校法人の統治に参加する必要がある。
 学生を大学の統治権に関与させることは、大学に教育を受ける学生のために教育を授けることを徹底させることになるとともに、学生自身を、大学の経営に責任を持たせることを通じて、社会に対して責任を持つ民主主義の担い手として育成する手段となるであろう。
 したがって、18歳以上の学生を、協同組合形態の大学法人の組合員とするのが適切である。

(2)保護者
 私立の小学校、中学校、高等学校に入学している生徒が未成年の場合は、親権者は、自分の子女に教育を受けさせる権利を有しており、学校法人との間で教育契約を締結し、自分の子女に教育を受けさせることの対価として学費を支払い、学校法人に対して、生徒に対して教育を受ける目的実現のために忠実義務の履行を求める権利を有する。
 親権者などの生徒の保護者は、その子女の受ける教育に対して深い関心を持ち、その意見を実現させることを目的として、未成年の子である生徒本人に代わって、学校法人の統治権に関与する適格性を有する。
 したがって、私立の小学校、中学校、高等学校に入学した生徒の親などの保護者を、協同組合形態の学校法人の組合員とすることが適切である。

(3)教職員
 教員は、学生ないし生徒に対して直接教育を行う者であり、学校職員は、学校法人の設備、教師、教材を調整整備して、学生(生徒)への教育を実現させる者である。
 教職員は、現行の学校法人では、校長(学長及び園長を含む)が理事となるものとされるとともに、教職員のうちから理事に選任される評議員を選任するものとされており、教職員の代表者が学校法人の管理に携わるべき者として位置づけられていると言える。
 しかし、国、社会、学生(生徒)、生徒の保護者など学生に教育を提供することに目的を有する各主体は、教職員に委託して、学校法人として教育を提供することを担わせていることからは、教職員の一部の代表者のみが学校法人の管理に関わるのでは不十分である。
 学生に教育を提供することに目的を有する各主体は、学校法人の管理者である理事長あるいは理事会のみならず、教職員に対しても同じように、学生への教育の提供をするよう委託しているので、各教職員は、学校法人の指揮命令を受けるだけではなく、学生への教育の提供の際に有している裁量権を適切に行使するために、学校法人が適切な教育を提供することを実現するように学校法人の統治に関与する必要がある。
 教職員は、学生に教育を提供する当事者として深い関心と発言する義務を有しているため、学校の管理についてのその意見を実現させるために、協同組合形態の学校法人の組合員となって学校法人の統治に参加することが適切である。
 教職員が学校法人の統治権に関与することを学生側から見ると、学生は、教育を受ける権利を充足させるため自ら学校の統治権を行使するとともに、学生は、自己を適切に教育することを教職員に委託しており、その受託を受けた教職員が、学校の統治権を行使することを通じて、間接的な形で学校法人の統治権を行使していることになる。教職員は、学生のみでなく、学生が教育を受けることについて各目的を有する国、社会、学校法人への寄付者らの委託を受けている。このため、学生は、教職員を通じて間接的に統治権を行使するのみでは足りず、学生自身の意思を学校法人の統治に反映させるため、協同組合形態の学校法人の組合員となって学校法人の統治に参加することが必要である。

(4)学校法人への寄付者
 学校法人への寄付者は、理想とする教育を実行する私学を設立するという教育の自由の発現として寄附を行うことにより学校法人の財産的基礎を形成し、学校法人の根本組織規範である寄付行為を作成して、学校法人の根本組織を決定する者である。
 私学の寄付者が、寄付をして学校法人を設立することにより実現する教育の自由は、部分社会の、子女に対する教育の自由の現れと見られるものであり、寄附という財産出捐行為を通じて学校を設立することは、学校法人において、部分社会を実現、あるいは再生産する行為であり、これを行うことは教育の自由として保障される。
 現行の財団形式の学校法人では、寄付者は、財団の寄付行為という学校組織の根本規範の作成者として位置づけられているが、学校法人の運営を担う管理者としては位置づけられていない。しかし、寄付者が、部分社会の更新ないし創造のために理想とする教育を実行するという教育目的を有して学校法人を設立したことからは、寄付者の有する学校法人の管理に関与する権利と責任を実行しうる組織形態にすべきである。
 寄付者が学校法人の統治に関与する方法としては、協同組合形態の学校法人の総会の議決権という形で統治権を行使すべきであり、他の統治権を行使すべき者と共同して、適切な割合で議決権を持って権限を行使して統治に関与すべきである。
 したがって、学校法人に寄附を行い学校法人を設立するなどした者は、協同組合形態の学校法人に出資して組合員となるめるのが適切である。
 なお、寄付者が持つ協同組合形態の学校法人の総会の議決権が相続の対象となる場合においても、統治権の世襲化は望ましくないと考えられ、議決権の相続を認めるべきでないと考えられる。寄付者の有する学校法人を通じて教育する自由は、部分社会が学校法人を通じて教育をする自由であると考えられることからは、寄付者の有する議決権は法人に管理させて、議決権の個人による相続は認めないこととして、世襲させないこととすべきである。

(5)国、地方公共団体
 大学は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。大学は、その目的を実現するための教育研究を行い、その成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」とされている(学校教育法83条)。
 このように、大学は、学生を教育することを目的とするとともに、学術、学芸を研究することにより、社会の発展に寄与することが目的とされている。
 このため、大学で行われる教育に対して、国、地方公共団体は、「教育を受ける者に対する、人格の完成と国家及び社会の形成者としての必要な資質を備えた心身の健康な国民」に育成すること(教育基本法1条)を要求しているとともに、大学で行われる研究を振興していく目的を有している。
 大学における学術学芸の研究は、我が国産業の国際競争力の向上に不可欠の役割を果たすと考えられており、産業界から、大学において最先端の科学技術を担える人材を供給することと、我が国の学術の研究水準を国際的に競争できる水準にするよう強い要請があり、国、地方公共団体は、研究を振興する要請に大学が応えて実行することができるようにするため、大学に要請し支援していく役割がある。
 そのために、国、地方公共団体は、私立学校振興助成法に基づき、学校法人に私学助成金を支出して助成している。この財政支援を行う国、地方公共団体は、寄付により学校法人に財産出捐をしている寄付者と同等の立場に立っている。
 このため、国、地方公共団体は教育・研究の目的を達成するために、他の教育の目的を有する者と同様に、学校法人の統治権を持つことが適切であり、国、地方公共団体が学校法人の総会で議決権を行使することが認められる必要があると考えられる。
 国、地方公共団体が学校法人の総会で議決権を行使することが、憲法89条は、「公金その他の公の財産は、(中略)公の支配を受けない教育(中略)の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」ことを規定し、私立学校において行われる事業の自主性を尊重していることとの整合性を検討する。
 憲法89条との関係については、前述した裁判所の解釈などを参考にして検討すると、国、地方公共団体が私学助成金を支出している学校法人の社員総会で議決権を行使することが、国、地方公共団体が教育及び研究の振興を目的とし、国の議決権行使の効果において、私立学校の自主性、独立性を害し、あるいは私立学校の基礎となっている特定の信念、主義、思想等を助長することにより、思想、良心及び学問の自由に対する国家の公正、中立性が損なわれない限り許されると考えられる。


6 協同組合形態にした学校法人の各構成員の議決権の対象

 教育目的を持つ学生又は未成年の生徒の保護者、教職員、寄付者及び国、地方公共団体は、学生が教育を受けることについて有する各目的を実現するために、学校法人の統治権を持ち、共同して学校法人に何をやるべきなのかを指示し、従わせるべきである。このため、教育目的を持つ各主体は、学校法人の理事会を構成する理事の選任権を持って、管理運営にその意思を反映させるとともに、学校法人を直接に統治するため、社団の総会の議決権を行使すべきである。
 学生が教育を受けることに目的を持つ各主体は、学校法人が協同組合形態になることにより総会における議決権を持つことにより、学校法人の理事長及び理事会から説明を聞き、それに対する意見を主張する方法として総会の議決権を行使することとなる。
 教育目的を持つ各主体が学校法人の統治権を行使するために必要な総会の議決事項は、学校法人の組織、運営、管理その他学校法人に関するすべての事項に及ぶことが可能である必要がある。そして、その中で必ず総会の議決の対象となる必要的議決事項とすべきものは、@理事長を含む理事の選任と、A予算及び事業計画の承認である。
 理事の選任権を、社団の総会の議決事項にすることによって、教育目的を持つ各主体は、社団の総会における議決権を行使することにより、学校法人の理事会を構成する理事を、自分たちの代表者とすることができ、そのことにより学校法人の管理運営について代表者により発言権を持つことができることとなる。
 この場合、各教育目的を持つ主体が、自分の代表者として選任する理事が、自己のグループに属する人物、例えば、学生が議決権を行使する際、学生の代表者となる理事を学生自身に限定する必要はないと考えられる。理事として最適な者としてどのグループに属するかに関わらず、理事として選ぶ権利を認めるべきだからである。ただし、学生が理事になることを排除する仕組みは、学生の理事として適切と考える者を選任する権利を奪うことになるので、認められないこととすべきである。
@理事長を含む理事の選任と、A予算及び事業計画の承認について議決できることと、これに加えて、総会の議決権者として有する議案提出権により、すべての事項を議決対象とできることにより、教育目的を持つ主体である学生は、学生が教育内容や学費の問題をはじめとした学校法人管理上の諸問題に関与することができることになる。


7 協同組合形態にした学校法人の総会における教育目的を有する各主体の議決権の割合

(1)教育目的を有する各主体の議決権の持つ重みのパワーバランスを図ることの必要
 学校法人の組織形態を協同組合形態とし、教育を受ける学生ないし生徒の保護者と教職員、寄付者、国などの各教育目的を有する主体が構成する総会において、教育目的を有する各主体の議決権の行使につき、各主体毎に1議決権を行使することや、各主体の構成員全員に1議決権を付与することは、各主体の存在形態が互いに異質であるので、議決権者の扱いが平等なものになることにならないと考えられる。
 存在形態が互いに異質である各教育目的を持つ主体は、それぞれを巡る利益状況が異なるのであり、それにもかかわらず、教育目的を有する各主体が、他の教育目的を有する主体から制約されることなく、言わなければならない意見を主張できるためには、教育目的を有する各主体間に、議決権の持つ重みのパワーバランスを図ることが必要である。そのパワーバランスは、学校法人としてあるべき意見を形成することができるような議決権比率であることが必要であり、このため、教育目的を有する各主体が行使できる議決権の適切な割合を検討する必要がある。
 その検討を行う前に、存在形態が互いに異質である教育目的を有する各主体が、総会の議決権を行使する際に、支配権を得るため、議決権数が過半数となる多数派を形成することを目的として、議決権を有する各主体が党派的な争いをすることが適切なのかという点を検討しておく。
 例えば、教職員が二つに割れて党派的争いをする状況にあるとき、総会の議決権を持つ学生や保護者、更には寄付者や国、地方公共団体をこの争いに巻き込むことは適当なのかという問題である。
 総会の議決権の過半数となる多数派を形成するために党派的争いを行うことは、社団もその一つの形態である代表民主主義を取るときに生ずることであるが、協同組合形態の学校法人において多数派形成のキャスティングボードを、学生や保護者などの教育を受ける側を含め、各教育目的を有する主体が握り、利害調整を行っていくことは、民主主義のプロセスとして、正当なことである。
 教育の目的を有する各主体が総会の議決権を行使する過程において、過半数の賛成を得るために利害調整を行い多数派を形成することは、学校法人としてあるべき意思決定を行うために必要なプロセスと考えられる。

(2)学生ないし生徒の保護者の議決権割合
 学生ないし生徒の保護者は、教育を受ける主体として、学校法人で受ける教育の内容を自己決定していく権利がある。したがって、学生ないし生徒の保護者には、学校法人の総会で、その意思が総会での議決の結果に反映できるような議決権を持つ必要がある。
 しかし、学生ないし生徒の保護者の議決権割合としては、上述したように、学費等の問題など、学生ないし生徒の保護者に過半数の議決権を持つことによる支配的な決定権を持つことが適切でないため、学生側の議決権が過半数とならないように調整することが、学校法人の議決権割合として必要である。
 学生又は生徒の保護者の議決権が過半数を下回るように調整されるべきであるが、学生ないし生徒の保護者は教育を受ける主体として最大の利害関係者であるため、学生側以外の議決権の行使により学生側が少数議決権者として常にその意思が総会での議決の結果に反映しないという事態を避けることが必要である。このため、学生側の議決権が相当の影響力を持つようにすることが必要であり、学生ないし生徒の保護者の議決権割合は、全体の議決権の中の割合として3分の1を上回る議決権割合とするのが適当である。

(3)寄付者の議決権割合
 寄付者は、自分の理想とする教育を実行する私学を設立するという教育の自由を有し、学校法人が学生(生徒)に対して行う教育の内容を決定することに関与すべきであり、寄付者の寄付を協同組合への出資ないし社団法人の基金への出捐という形態に切り替え、寄付者が総会の議決権を行使すべきである。
 しかし、寄付者が、学校法人の創設者として絶対的な支配を及ぼすことのないようにして、学校法人で行われる教育に対し、教育目的を有する他の主体(学生ないし生徒保護者、教職員、国、地方公共団体)と共存して、それぞれの主張が行えるように議決権が行使できるようにする必要があり、私学で自己の理想の教育を実現したいという寄付者の有する議決権については、議決権全体の中の割合として過度の影響力を持たないようなものにすべきである。
 前述のとおり学生ないし生徒の保護者の議決権割合が過半数とならないようにすることから、寄付者が教職員に対して、圧倒的な支配権を持つこととなると、寄付者は、寄付者自身の議決権と教職員の持つ議決権を支配することとなり、寄付者の意思が常に総会の議決を支配することとなるおそれがある。
 このおそれを払しょくするためには、寄付者の持つ議決権の重みが、教職員の持つ議決権を上回らないようにして、寄付者の意向に関わらず、教職員の主体的な意思が、総会での議決権行使に発揮されるようにする必要がある。
 寄付者が、その理想とする部分社会の更新あるいは創造することを学校法人において実現することは、教職員と学生ないし生徒保護者の支持を得ることにより、学校の校風を決定することができることにとどめるべきである。
 このためには、寄付者の議決権の割合は、教職員の議決権の割合を下回るようにすることが必要であり、そのため、寄付者の議決権の割合は、3分の1を上限とすべきである。
 また、寄付者が複数のとき、寄付額の多寡により、寄付者間の議決権に重みをつけることは可能と考えられるが、寄付者により平等に近い議決権を与えることとすることも、法人の自治の範囲内の事項と考えられる。

(4)教職員の議決権割合
 教職員が、国、社会、学生(生徒)、生徒の保護者など学生に教育を提供することにそれぞれの目的を有する者らの委託を受けて、教育を提供することを担っているが、教育の提供において有している裁量権を適切に行使するためには、学校法人が適切な教育を提供することが実現できるように学校法人の統治に関与することが必要である。
 教職員が適切な教育を提供することが実現できるように協同組合形態の学校法人の総会の議決権を持つべき重みは、総会での議決権の行使において、寄付者の意向に関わらず、教職員の主体的な意見が主張できるようにするため、寄付者の持つ議決権の割合を上回るようにして、しなければならない。
 そのため、教職員の議決権の割合は、全体の議決権の中の割合として3分の1以上とすべきである。
 教職員のうちの教員と職員の議決権の割合については、教職員すべて平等の割合とすることも考えられるし、教員が直接学生(生徒)に教育を行う点を考慮して、割合に差を設けることも、法人の自治の範囲内の事項と考えられる。しかし、学校法人の教育の実行に果たす職員の重要性から、職員の議決権を実質的なものにすべきと考えられる。
 教員と職員の間での議決権の重みについては、すべて平等の割合とすることも考えられるし、職業経験等の差を考慮して、割合に差を設けることも、法人の自治の範囲内の事項と考えられるが、差を設けても各教職員の議決権を実質的なものにすべきである。

(5)国、地方公共団体の議決権割合
 国、地方公共団体が学校法人の社員総会で議決権を行使することは、国、地方公共団体が教育基本法1条の目的及び研究を振興するとの目的を実現し、学校法人に対する助成金が適切に使用されることを監督することが実現されるとの観点からその議決権の割合が認められるべきである。
 このような国、地方公共団体の学校法人の議決権は、私学で理想の教育を実現してもらいたいとして財産を出捐して寄付を行った寄付者の議決権と同様に扱われるべき性格のものと考えられる。
 そして、国、地方公共団体が学校法人に過度の影響力を持たないようにすることが学校法人の自主性を損なわず、思想、良心及び学問の自由に対する国家の公正、中立性が損なわれないようにするために必要であることからは、寄付者の議決権割合と足し合わせて、全体の議決権の中の割合として3分の1を上回らないようにするとともに、かつ私学の自主性を損なわないように、寄付者の議決権割合と同等ないしこれを下回る割合とすべきと考えられる。


8 教育の目的を有する者と教職員によって組織される協同組合形態の学校法人

 学校法人の組織形態を、教育を受ける学生ないし生徒の保護者と教職員、寄付者を組合員とする協同組合等の組織形態にしたときには、組合員は膨大な人数となるため、組合員一人一人の意思が学校の管理に反映されるのかという問題を生ずる。
 構成員の意思により学校を管理するという組織原理は、構成員が多数いる場合、一人一人の議決権の行使が、全体の議決の結果に与える影響は微々たるものでしかなく、一人一人の構成員の意思は議決による決定を実質的に左右しないという問題がある。このことは、大規模組織体の議決権の行使である選挙権や議決権の行使に普遍的に存在する問題である。
 しかし、一人一人の学生ないし保護者を含めた各教育目的を有する主体の意思が学校の管理に反映しているのかという問題は、一人一人が占める割合が全体の中で小さいものであっても、協同組合形態の学校法人が、教育目的を有する各主体によって、教育目的を有する者のために統治されるという点は、財団形態の学校法人とは決定的に異なる。教育を受ける者の意思を反映していないという批判は、学校法人の運営に向けられる常なる刃として、学校法人の運営が教育目的を有する各主体によって教育目的を有する者のために行われることと、学校法人の管理者は常時向き合うことを意味する。その点で、協同組合等の組織形態とすることの意義が失われることはない。

9 学校法人における組織変更の検討

 学校法人が学生に対して負っている忠実義務を履行するために行動することを制度的に体現するためには、学校法人は教師と学生ないし保護者を構成員とする協同組合ないし社団法人という組織形態になることが望ましい。
 ところが、学校法人の組織形態は一般に財団であるところ、財団から社団への組織変更を行うことは法制度として一般的には認められていない。これは、学校法人を社団に組織変更することの必要性が考えられてこなかったからだと考えられる。しかし、利用者に対して忠実義務を負う学校法人の場合は、学生への忠実義務の履行を徹底する観点から学生も統治権を有する協同組合形態に変更する必要があるので、学校法人を財団から協同組合形態へ変更することを可能にする法制が設けられるべきである。
 社員制度でない組織から社員を構成員とする組織への変更が自由に行える制度が設けられているのは、保険業を営む事業体である。保険業については、保険契約者のために保険事業が営まれる制度とする必要があることから、株式制度をとる保険会社が社員を構成員とする相互会社になることができる法制がとられている。相互会社は、保険契約者が所有し、保険契約者が総会で原則として議決権を行使することによって統治権を行使し、保険契約者の利益を実現することを目的として事業運営が行われる組織であり、実質的な組織の内容は協同組合である。
 学生への忠実義務を負う学校法人の場合にも、学生のために教育事業が営まれることが認められるべきことからは、組織変更の規定を持つ保険業法を参考にして、学校法人を学生を構成員とする協同組合ないし社団法人に組織変更することを認める法制度とする必要がある。
 このため、保険業の例にならい、組合員制度でない組織から組合員を構成員とする組織への変更を制度化することを検討する。
 保険業の組織変更の法制では、株式会社から相互会社への組織変更計画として、組織変更後の会社の財産的基礎となる基金の総額、株主でなくなることに対する株主への補償、相互会社の社員となる保険契約者の権利の内容などを定め、株主総会の特別決議により計画の承認を受けることとされ、組織変更に異議を述べる債権者へ債権の弁済を行う手続きを行うこと、相互会社の社員となる保険契約者が、半数以上出席し、各人1議決権を行使して4分の3以上の多数により、組織変更計画の承認を得ることを、株式会社から相互会社への組織変更の手続としている。
 学校法人を財団から学生を構成員として含む協同組合ないし社団法人への組織変更を行うための手続として、保険業法の組織変更制度に準じて関係者の利益を保護するために、財団所有者の同意に当たる手続として寄付行為に定められた手続により寄付行為の変更を行って定款を作成し、組織変更に異議ある債権者の利害の調整の手続を行い、新たな組織の構成員となる組合員により、新たな法人組織にすることについての特別多数による議決などを手続内容とする法制を設けるのが適切である。


10 財団形式の学校法人で、教育目的を有する各主体が理事を選挙する方式

 教育目的を有する各主体が学校法人の統治権を行使する方法として、学校法人の組織形態を協同組合形態に変更することなく、財団形態としておいたまま、教育を受ける学生ないし生徒保護者と教職員、寄付者、国、地方公共団体などの教育目的を有する各主体が、理事長と理事を選挙により選任する方式を選択することも考えられる。
 この場合、教育目的を有する各主体が選挙権を行使して理事を選ぶとき、理事の被選挙権を有する者を、教育目的を有する各主体のグループに属する者に限定する場合(例えば、学生は学生を理事候補者として選挙する)と、理事の被選挙権を有する者に特段の制限を加えない場合が考えられる。この方式では、教育目的を有する各主体が、総会で直接統治権を行使することができない状況下で、その主張を学校法人の経営に反映していくためには、理事の被選挙権を有する者を、教育目的を有する主体の各グループに属する者に限定する方式とすることも考えられる。
 @学生ないし生徒の保護者、A教職員、B寄付者、C国、地方公共団体という教育目的を有する各主体が理事の選挙における選挙権の全体に対する割合については、教育目的を有する各主体間のパワーバランスが、選挙の結果構成される理事会が学校法人としてあるべき決定を行うことができるような、選挙権比率であることが必要である。
 このため、教育目的を有する各主体が行使できる選挙権の適切な割合は、総会の議決権について検討したときと同様に、学生ないし生徒の保護者については、選挙権全体の過半数未満で3分の1以上、教職員については全体の3分の1以上、寄付者及び国、地方公共団体については足し合わせて3分の1以下で、国、地方公共団体の割合が寄付者の割合と同等ないしそれを下回る必要があると考えられる。
 学校法人を社団形式にして、総会において、教育の目的を有する学生ないし生徒の保護者、教職員、寄付者と国、地方公共団体が議決権を行使する方式は、社団の構成員が学校法人の人事権と財政を直接支配するので、それと比べると、財団の理事を選挙する方式は、教育の目的を有する学生ないし生徒の保護者、教職員、寄付者と国、地方公共団体は、間接的に統制することになる。
 財団の理事を選挙する方式は、各理事が選挙で選ばれたとしても、理事に選ばれた人の個人的属性の如何で、その中からボス的人物が生まれるケースがありえ、そのような場合には、ボス的人物の行動に歯止めをかけることが難しくなり、民主的統制が効かなくなるおそれがある。その場合、学生ないし生徒の保護者の持つ選挙権は過半数未満であることから、学生が選んだ理事は、少数派理事となり、理事会で孤立し、無視される存在となるおそれもある。
 これに対し、学校法人を社団形式にして、総会において、教育目的を有する各主体が議決権を行使する方式は、総会議決に至るまでに行われる各主体間でのパワーバランスの中での調整により、利益調整を図っていくことが可能なシステムである。
 以上の点から、財団形式のまま理事の選挙制をとる方式よりも、社団形式として総会で議決権を行使する方式の方が、教育目的を有する各主体の統治権への関与は、格段に強くなると考えられる。

 

Z 国立大学法人における統治の在り方

1 国立大学法人制度の概要

 国立大学は、従来文部科学省の内部組織であったため、組織は法令で決められ、教職員は公務員としての制約がかかり、研究予算についても、予算の執行としての制約があった。このため、欧米諸国では、国立大学にも法人格があり、より自由な運営が認められていることに倣い、優れた教育や特色ある研究に各大学が工夫をこらせるように、国の組織から独立した、国立大学法人が制度化された。
 このような国立大学法人の制度の概要は次のとおりである。
 国立大学法人は、政府が全額出資する(国立大学法人法7条)。
 国立大学法人については、私立大学において経営権を握っている理事長は存在しないで、その役割は学長が担っており、私立大学の理事長と学長を、国立大学法人の学長は兼務しているような形態となっている。
 国立大学法人は、国立大学法人法30条により、文部科学大臣が、国立大学法人の意見に配慮しながら、日本全体の高等教育のバランスや財政事情などを考慮して定める6年間の目指すべき目標を明らかにする中期目標の下で、中期計画を定め、国立大学法人が国立大学を運営する。
 学長は、国立大学の校務をつかさどり、所属職員を統督し(学校教育法92条3項)、国立大学法人を代表し、その業務を総理する。
 学長は、国立大学法人の申出に基づいて、文部科学大臣が任命する。国立大学法人の申出は、役職員以外で構成される経営協議会において選出された者、役職員で構成される教育研究評議会において選出された者が同数で構成する学長選考・監察会議の選考により行われる(国立大学法人法12条)。
 国立大学法人の管理は、学長、学長と理事で構成する役員会、経営協議会、教育研究評議会が行う。
 学長と理事によって構成される役員会は、国立大学の中期目標、中期計画等、予算の作成、執行、決算、重要な組織の設置又は廃止に関する事項等の議決権を有する(国立大学法人法11条)。
 理事は、学長が大学の教育研究活動を運営する能力があると考えられるなどの者を任命する。


2 国立大学法人における統治の在り方

 国立大学において教育を受ける学生と、学生に教育を提供する国立大学との関係は、学校法人の場合と同様に、教育契約の当事者である。
 国立大学における教育は、教育を受ける目的を有する学生のために行われるものであるから、国立大学法人の運営者である学長と理事は、学生に対して、教育を受ける目的が実現されるよう最善を尽くす忠実義務を負っている。
 また国立大学における教育研究活動は、教育研究の目的を有する国ないし社会のために行っているものでもあるから、学長と理事は、国立大学において、教育の目的が実現されるようにする義務を負っている。
 国立大学法人の事業が、もっぱら教育(研究)の目的を有する者の利益のために行われるという、教育(研究)の目的を有する者に対する忠実義務を果たすことを確実に行わせるためには、教育(研究)の目的を有する者が、国立大学法人に忠実義務の履行として何をやるべきなのかを指示し、従わせるべきである。
 したがって、国立大学における教育(研究)の目的を有する学生と、国ないし社会が、教育・研究の目的を実現するために、国立大学法人の統治権を行使して、国立大学法人に何をやるべきなのかを指示し、従わせるべきである。
 このため、国立大学法人を、財団形式から協同組合形態に組織変更し、教育を受ける学生と、国ないし社会と学生に対して忠実義務を負う国立大学の教職員と、教育研究目的を有する国が構成する総会において、学長と理事の選挙権と、予算と事業計画についての議決権を行使することができるようにすべきである。
 これら教育目的を有する学生、教職員、国の議決権行使により、国立大学法人としてされるべき決定をなしうるように、適切なパワーバランスを保てる議決権割合を持つこととすべきである。
 その場合の議決権割合としては、私立大学において寄付者と国が果たすべき役割を、国立大学法人では、寄付者ではなく国がすべてを果たすことから、私立大学の寄付者と国、地方公共団体の議決権割合を、国にすべて置き換えるのが適当である
 学生と教職員と国の議決権の持つ重みは、私立大学と同様の構造となることから、学生が過半数未満、教職員が国よりも議決権割合が高くなるように、教職員の議決権割合を3分の1以上とし、国の議決権割合を3分の1以下とするのが適当である。
 更に、学生によって選挙された学生の代表が、理事となることも大学についての統治権に学生が関与する方法として考えられる。
 学生が理事になることについては、現行法で、理事は公務員がなることとの制約を課されていないこと、地方教育行政を担当する教育委員会の委員に生徒の保護者が任命されることが認められており、公務員であることとの制約が課されていないことと同様に考えることができることから、学生のままで、理事となることが認められると考えられる。

 

[ 小学校、中学校、高等学校の管理と教育委員会

1 小学校、中学校、高等学校の管理形態
 私立学校の管理は、理事長と理事会によって行われるが、公立の学校には、理事長と理事会は存在しない。
 私立学校、公立の学校ともに、小学校、中学校、高等学校に、校長、教頭、教諭、事務職員等を置くこととされている(学校教育法37条、49条、60条)。
 校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督することとされ、教諭は、児童の教育をつかさどる(学校教育法37条、49条、62条)。

2 公立学校に対する教育委員会の管理権
 小学校、中学校では義務教育が行われ、小学校、中学校、高等学校においては、地方公共団体が設置する学校(公立学校)が中心となっている。
 地方公共団体が設置する学校(公立学校)については、教育委員会が、教育に関する事務を管理し執行する(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条)とされており、日本の公立の学校の管理権は、教育委員会にある。
 教育委員会の権限は、学校その他の教育機関の設置、管理、教育財産の管理、教育機関の職員の任免その他の人事に関すること、生徒の入退学に関すること、学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導等に関することに及ぶ。
 私立学校に対しては、教育委員会は、管理権を有しない(私立学校法5条)。

3 小学校、中学校、高等学校における生徒側の統治権への関与
 小学校、中学校、高等学校で学ぶ者は、原則未成年であるため、生徒本人が教育をどうすべきかということについて十分な判断能力があるとは言えない。
 生徒本人に代わり、生徒の保護者は、生徒の教育に対して発言権を有するのが適切と認められる者は、小学校、中学校、高等学校に入学した生徒の保護者である。
 未成年の子女に対して、親はパターナリズムとしての教育権がある。親権者は、子女の教育をうける権利を充足させるために、その子女に教育を受けさせる権利を有している。
 このため、未成年の子である生徒本人に代わって、親権者は、学校が生徒に対して教育を行うことに関与する権利を持つ必要がある。
 そのため、保護者は、小学校、中学校、高等学校の、生徒を社会で有用性の高い人材に育てることを目的として、学校の教育課程、学習指導等の教育内容や、学校の校舎や教材等の教育設備の整備や、生徒の保健、学校の安全、更に、教職員の人事や、予算に関与すべきである。

4 私立の小学校、中学校、高等学校の管理における生徒の保護者の関与
 私立の小学校、中学校、高等学校に入学している生徒が未成年の場合、親権者は、自分の子女に教育を受けさせる権利を有しており、学校法人との間で教育契約を締結し、自分の子女に教育を受けさせることの対価として学費を支払い、学校法人に対して、生徒に対して教育を受ける目的実現のために忠実義務の履行を求める権利を有する。
 親権者などの生徒の保護者は、その子女の受ける教育に対して深い関心を持ち、その意見を実現させることを目的として、未成年の子である生徒本人に代わって、学校法人の統治権に関与する適格性を有する。
 したがって、私立学校においては、上記したとおり、学校法人を財団形式から協同組合形態に組織変更し、教育を受ける生徒の保護者と、国ないし社会と生徒に対して忠実義務を負う教職員と、教育目的を有する寄付者、国、地方公共団体が組合員として構成する総会において、理事長を含む理事の選挙権と、予算と事業計画についての議決権を行使することができるようにすべきである。

5 公立の小学校、中学校、高等学校を管理する教育委員会における生徒の保護者の関与
 公立の小学校、中学校、高等学校の管理は、教育委員会が行っており、保護者は、教育委員会を通じて、学校の管理に関与する必要がある。
 教育委員会は、原則、教育長及び4人の委員をもって構成される(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第3条)。同法第4条第5項は、「地方公共団体の長が教育委員を任命するにあたっては、委員のうちに保護者(親権を行う者及び未成年後見人)である者が含まれるようにしなければならない」ことを規定している。
 この法律の規定は、保護者が、教育委員会を通じて、学校における管理を統治していくことの必要性ゆえに設けられている。したがって、現行法上、保護者が教育委員会を通じて学校の統治に関与する必要性は、明らかにされているのである。
 しかし、「教育委員会の行う教育行政に、保護者が参加すること」が、形式的に行われるのではなく、保護者の持つ子女に教育を受けさせる権利が、教育行政機関である教育委員会の行う行政の中に実効的に実現させるためには、たんにこの規定があるだけでは足りず、教育委員として教育委員会の委員となる保護者は、教育委員会が管轄する公立学校の保護者を正当に代表する保護者が、教育委員会の委員となって、公立学校の保護者の総意を、教育委員会の決定に反映していくことが必要である。
 そのためには、教育委員会の管理する学校の生徒の保護者が、教育委員となる保護者代表を選挙する権利を持ち、教育委員会の委員となる保護者が、学校の生徒の全保護者から選挙によって選ばれることが必要である。
 教育委員会の委員となる保護者が、教育委員会が管轄する公立学校の全保護者から選挙によって選ばれることの必要性は、教育委員会の中での保護者代表の活動が見えなくなっているという実態と、イギリスの学校理事会制度において、学校理事会の理事となる保護者を学校の生徒の保護者の選挙により選ばれることとされていることから明らかである。

6 学校理事会制度
(1)学校理事会とは
 イギリスでは、教育委員会ではなく、学校単位で設置され、選挙で選ばれた親、職員、校長、生徒代表などが参加する学校理事会(school governing body)が設置されている。また、ニュージーランドのように教育委員会制度を廃止して学校理事会制度に移行した国もある。
 ネイサン・シュナイダーは、「教職員だけでなく学生や保護者などの利害関係者も学校を所有し管理するべきだ、と求める声がある。近年、イギリスでは民営化改革の波に乗り、大学より下の各層の学校で、親と教師が共同で所有管理する協同組合学校が設立されている。」と記述しているが、この記述は、学校理事会の制度を、生徒の保護者と教師の協同組合を実現するものと理解しているものである。

(2)イギリスの学校理事会
イギリスの学校理事会は,学校の管理運営上の意思決定機関である。
 学校理事会は、@教育課程(カリキュラム),A教職員の任用及びB学校予算の運用に関する権限と責任をもつ。
@教育課程(カリキュラム)
 学校理事会は、国の教育課程基準である全国共通カリキュラムや、地方ごとの教育課程の基準に基づいて、教育課程を編成し、各教科への時間配分を決定する。
A教職員の任用・校長の選考
 学校理事会は、教職員の採用の募集,選考あるいは解雇の決定を行う。校長及び副校長の選考に当たっても学校理事会が、地方教育当局との協議、助言の下に決定し、これに従い、地方教育当局が形式上任命する。
B学校予算の運用
 学校理事会は、学校予算額につき、地方教育当局が決めた総額の範囲で、裁量によりその具体的な運用を行う。

(3)イギリスの学校理事会の理事の構成
 学校理事会の理事は,親,地方教育当局,教員,地域の代表、校長等からなる。
 親代表の理事は、子どもが在籍している生徒の親により選出される。立候補者がいない場合、理事会が任命する。
 保護者の代表者が公立学校の学校理事会の構成に占める割合は、2003年学校管理規則により、理事全体の3分の1以上であることが必要である。
 地域の代表の理事は、理事会が,地域の利益代表として任命する。地域の代表は全体の5分の1以上であることが必要である。
 地方教育当局を代表する理事は、地方教育当局により任命される。地方教育当局の代表が理事全体の5分の1とされる。
 教職員を代表する理事は、教職員の中から互選される。校長のほか,教員及び職員を必ず含むが,教職員代表が2名の理事会の場合は,校長と教員が理事となる。教職員の代表は全体の3分の1を超えない範囲とされる。
 後援理事は、理事会が,後援理事の設置の可否を決め,任命する。
 市民からなる親の代表と地域の代表を合わせると、理事全体の15分の8以上となるとされており、市民の代表が過半数となることが法定されている。このため、それ以外の地方教育当局と教職員の代表の理事の割合は、合わせても理事全体の15分の7以下になることとされているものである。
 このように、親や地域の代表という市民の代表者が学校理事会の理事全体の過半数となることが必要とされ、これらの代表者が全体の議決で決定的役割を果たすことができるようにされている点が注目される。

(4)学校理事会の日本への導入の検討
 日本においても、学校理事会に相当する組織を設置することが検討されるべきである。
 一つの地方自治体の管轄する多数の学校について、地方自治体に一つの教育委員会が、その管理を適切に行うことは困難であり、各公立学校ごとに公立学校の適切な管理を行っていく主体が必要である。
 したがって、教育委員会の下に、あるいは教育委員会に代えて、学校理事会に相当する組織を設置し、学校の管理、学校の用に供する財産の管理、学校の職員の任免その他の人事、生徒の入退学に関すること、学校の組織編制、教育課程、学習指導に関することを決定させることが適当である。
 その学校理事会に相当する組織の各代表の構成割合として、イギリスの学校理事会の構成員として、市民からなる親の代表と地域の代表を合わせると、15分の8以上となるとされ、市民の代表が過半数となることとされていることを踏まえた構成割合で、組織することが適切である。
 日本において、生徒の保護者が教師に対して主張をぶつける仕方が過激な行動となったり、生徒に事故があったときの教師に対する責任追及が執拗な個人攻撃になったりするなどの保護者のモンスター化が問題となっている。
 このことは、暴行脅迫にあたる行為については、厳正な対応が必要な問題であるが、保護者の立場になってみれば、自分の子が学校教育の場において適切に扱われていないと考えるとき、自分の子を適切に扱うことを主張する方法が制度化されていない状況下で、自分の子を適切に扱うようにするためには、教師に直接交渉するしかないと思い、自分の子の権利を守るために自らの力で行動をするという不慣れなことを行っているとも見られるのである。
 このような保護者の行動が不幸な結果をもたらさないためには、保護者が自分らの子が学校教育の場において適切に扱われるよう学校運営の統治権の行使に参加し、学校の運営に対する関与と責任を持たせることが必要である。そのために、生徒の保護者によって選挙された保護者代表者が、学校理事会の構成員となって、学校管理についての統治権を行使することが必要である。



[18] 吉見俊哉「大学は何処へ」岩波新書272

[19] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫23-25

[20] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫152

[21] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫141―142

[22] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫149頁

[23] 佐藤功「憲法(上)」新版444−445頁

[24] 佐藤幸治 現代法律学講座5「憲法」新版 青林書院545頁

[25] 佐藤幸治 現代法律学講座5「憲法」新版 青林書院546頁

[27] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫152

[28]一木孝之「新注釈民法(14)」有斐閣253頁

[29] ネイサン・シュナイダー「ネクスト・シェア」東洋経済新報社342頁 

[30] ジョン・デューイ「民主主義と教育」(上)岩波文庫149

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饗庭靖之の写真

弁護士 饗庭 靖之(あえば やすゆき)

昭和54年 東京大学法学部卒業
昭和54年〜平成8年 農林水産省勤務
平成10年4月 弁護士登録
平成17年〜 東京都立大学法科大学院教授
(倒産法、環境法)
平成26年 首都東京法律事務所開設

連絡先

  • 電話:080-6346-6063
  • e-Mail:tmlf.jimukyoku@tmlf.jp